抑制が命のブリリアント・テクノ「テストパターン」
さて、「テストパターン」である。
ざっくりと紹介すると、1982年頃に活躍し、細野晴臣プロデュースで一枚のアルバムを発表した他、企画アルバム用に数曲発表したまま活動を止めてしまった伝説の「純」テクノポップ・ユニットだ。
現在、検索しても非常に情報が少なく、存在そのものが謎めいている。
唯一のアルバム「アプレ・ミディ」のクレジットおよび断片的なソース以外何も詳しいことは分からない。
だが、その音楽スタイルは実に独特でクオリティが高い。
「アプレ・ミディ」は、真夏の夜にふさわしいエキゾチックでクールで幻想的な電子音に身体を包まれる、不思議なテクノポップ・アルバムだ。
このアルバムの制作については、基本的にはデザイナーが本職の「比留間雅夫」氏と(職業などの素性は不明)「市村文夫」氏によるユニットで、音作りは全面的に比留間氏がイニシアチブを取り、市村氏は部分的な参加に留まっているようだ。
私と「テストパターン」との出会い
当時貧相な高校生だった私は、この「テストパターン」のジャケットと帯の情報のみを頼りにして、「アプレミディ」を購入した。音も聴いたことがなく、直感だけで乏しい小遣いを注ぎ込むのは、自分としてはかなり大胆な行為だったと思う。
しかし恐らくびびっと来るものがあったに違いない。
現在では復刻版CDでさえ2万円ほどの値がついている。このLPをオークションに出せばどのような値がつくのだろうか?
少年の直感は正しかったのだ。
残念ながらそのLPは今これを書いている手元には無い*のだが、記憶とネット情報を頼りながら「テストパターン」について語ってみたい。
*その後実家にて無事に保管されていることを確認!
「ブリリアント・テクノ」
小気味の良いキャッチコピーだ。もちろん細野氏の発案だろう。
だが自分は「ピュア・テクノ」とか「エキゾチック・テクノ」みたいな呼び方も出来るんじゃないかと思っている。
独特の浮遊感を持つコードワークとキャッチーなメロディ、ドライブ感のあるリズムが大変心地良く、自分にとっては未だに夏の夜の定番になっている。
基本的には、プロフェット5などのアナログ・シンセとデジタルドラムが中心で、そこに抑制の効いた男性ボーカルが被さる(インストもある)という作りだ。アクセントとして当時の最新機材のサンプラー「イミュレータ」も使用されている。
この水彩のような淡いトーンと柔らかさは、その直後に出現するFM音源シンセサイザーではなかなか出せないモノだ。(私がFMにあまり馴染めなかったのはこういう理由もある)
では音楽的完成度が高いか、と聞かれれば必ずしもそうとも言えないのだが、良い意味で「高品質のデモテープ」と呼べるようなプライベートな制作感が残るアルバムになっている。
だからと言って、機材があれば誰にでも作れるかというと、
断じてそのようなことはない。
この独特のエキゾチック感、浮遊感は制作者の音楽的感受性によって生み出されているものであって、テクニックだけで真似しようにも真似るのは難しいだろう。
そして楽曲をよく聴いているうちに、「テストパターン」の音楽の様々なルーツが顔を出してくるのが面白い。
「Beach Girl」や「Modern Living」などを聴くと、比留間氏が良質な欧米のポップスをたっぷり吸収しつつ再構築しようとしているのが分かるし、「Souvenir Glaces」のようにフレンチ・ポップスの強い影響を持った曲もある(この曲の歌詞はすべてフランス語)
「Beach Girl」などはビーチボーイズが演奏してもおかしくない程、アメリカン・テイストに溢れているが、アレンジには細野氏が関わっており、同時期の越美春を彷彿させる、突き上げるようなピュア・テクノ・サウンドに仕上がっている。
一方で「Sea Breeze」「Ocean Liner」「Aeroplane」のようなインスト曲の爽快感はどうだろうか。この3曲を並べると、「旅の三部作」とも呼びたくなるテーマ性を感じる。
比留間氏はエキゾチックな旅の高揚感をこれらの曲に込めたかったのではないか。
今にして思うのは、これだけの豊かな質感を持った楽曲を一度に10曲も送り出した比留間氏の感性と実力が半端なかったということだ。
本職の音楽家ではないのだが、そこがまた良かった。
本職であれば、ギターやアコースティック楽器を取り混ぜ音楽的完成度を追及して行くのだろうが、その方向を採用せず、電子楽器の使用に徹し抑制をもって制作されたことが、このアルバムの存在感を際立たせているのだ。
安易にアコースティック楽器を入れると、ポップスとして綺麗に仕上がるが、その分まとまり過ぎて耳に残らないサウンドで終わってしまっていたのではないかと想像する。
さて、これだけの傑作を世に出した当時、「テストパターン」はさほど注目を浴びていたとは思われない。
自分の記憶では、六本木の「インク・スティック」で深夜ライブを時折行なっていたはずだが、貧乏高校生風情がギョーカイ人が集まる六本木のライブハウスなどに行けるわけもなく、「ぴあ」の出演情報を見ながら指を加えていたほろ苦い記憶もある。
また、YouTubeを探してもらえば分かるが、一度だけ細野晴臣と共に深夜のTVに出演したことがあったようだ。(この時も新聞のTV欄をみた記憶もあるが、どうも見逃してしまった模様)
これ以外にはメディアの露出はなく、ここに映る比留間氏が、人となりを知る唯一の手がかりとなる。
この番組に登場した、シックなスーツに身を包んだ、いかにもバブル期の六本木族のクリエーターっぽい出たちのハンサムでシャイな紳士が、比留間氏だ。
ちなみにこの時、モデルのような外貌の外人女性をボーカルに迎え、「私の中の少年は日本人」という珍奇なタイトルの曲のMVを発表している。これがまたぶっ飛んでいて、当時盛況だったニューウェーブのさらに斜め上を行っていたんじゃないかとさえ思えるシュールな仕上がりになっている。
そして当時「インク・スティック」でどんなライブを行なっていたのだろうか?どんな曲目を演奏していたのだろうか?大変興味があるのだが、いかんせん何の記録もなければ、ネット中を探しても体験談のひとつも出てこない。今となっては幻のパフォーマンスだ。
それにしても「比留間雅夫」はどんな人物だったのか?その後どんな経緯を辿っていったのか?そして、果たして今も元気なのだろうか?
長きに渡ってデザイナーの活動をしていれば、作品がクレジットされる機会もあると思うのだが、ネット上には痕跡があまりに少ない。(当時は「カシオペア」等、アルファレコードのアーチストのジャケットデザインを手掛けていたようだが、その後の情報はほとんどない)
Wikiによると、その後ゲーム音楽の作者としてクレジットされているそうだが、詳細は不明だ。
もしかすると、途中で音楽などどうでも良くなったのかも知れない。
(そこは私と似ている)
くりかえすが、「テストパターン」の味わいは本職には出せない領域であり、仮に専業化したとしても、この音楽的密度で創作を続けることは難しかっただろう。
とは言え、ほぼほぼ絶対にあり得ないが、比留間氏が忽然と姿を現し「アプレミディ」の続編をリリース・・・なんてことも非常に面白いんじゃないかと思う。がこれは完全な妄想。
やはり「テストパターン」は、非本職のミュージシャンによって忽然と現れて消えた、高品質で冴えた(「ブリリアント」な)「突然変異」ポップスだという見解が一番しっくり来る。
メジャーに乗らなかったとしても、ポップスの歴史の中でその進化を支えて来た無数の「突然変異」のひとつとして封印しておくのが正しいと自分は考えている。
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