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価値観の多様性

ジャックと音楽の木 田中素子です。

私がこどもの頃から、大人達に思っていた事の1つに、

「どうして、たった1通りの人生しか生きていないのに、こども達に対して、それが正しいって言い聞かせるんだろう?」

というものがありました。

私がこどもの頃は、今よりずっと画一的な教育が「よし」とされていた頃でした。

そんな中で、哲学的な想いにふけいりやすい私は、相当生きづらかったのを覚えています。

例えば、

人の目から見える色は、本当に同じものなのか?というものがありました。

人と眼球を取り替えることができないから、確かめようがないし、取り替えたところで、その人から見えている色と一致してるのか確かめようがありません。

他には、いつも自分の視点と斜め上から全体を見下ろしている2つの視点があって、その高い視点の持ち主がとても冷静で大人なのです。なので、無邪気に装ってる自分と、とても冷静にいる自分とがいて、その分離に苦しんでいました。

しかも、その高いところから見てる視点が、大人が自分自身のために言っているのか、私達のために言っているのかも、見分けられていたので、人気がある先生のことも大嫌いだったり、逆な事もありました。

と、この話をどんどんとしていくと、変な人になってしまうので、この辺にしておきます。

という訳で、今という時代は、昔に比べて、とても多様性に富んでいて、それぞれの持つ個性のままで生きやすい時代になってきていると思います。

ただ、それはあくまで主流なだけで、本当にそういう時代にして行こうと覚悟していかなければならないのは、私達大人だと思うのです。

なぜなら、私達は、社会全体が持っていた固定の価値観で育てられているから。

認識できないレベルまで染みついているその価値観を拭い去るのは、実はとても至難の技だと思います。

「この生き方が絶対いい!」

というものが、例え、本当のものであったとしても、

例えば、流行りの「ありのままの私で生きること」は、今の主流では「よし」とされていて、憧れやすい生き方だったりするのですが、

あくまでそれは「それを言ってる人にとっては」という事だと思うのです。

ありのままでも、ありのままでなくてもいい。

人の目を気にしたり、比較して卑屈になってしまってもいい。

それより大事な事は、そういう事ですら、それは1つの価値観に過ぎないという事を、自分が認識する事なのだと思うのです。

そして、それを正義として人に押し付けないという事だと思うのです。

人と比べる事も、卑屈になる事も、落ち込むことも、孤独な気持ちになる事もある。

そんな事は当たり前にある。

そういう状況の人に、

「今はそういう時期なんだね。」

という事以外に、何ができるのかなと思うのです。

だから、究極には、自分がつくりたい世界を、コツコツと生み出して楽しんで行くことが、人生の楽しみ方なのかなと思います。

そこにいるのは、いつもかつての自分、今の自分、未来の自分。

例えば私だったら、こんな音楽教室が欲しい、こんな先生に習いたい、教室とこんな関係でいたい、こんな職場で働きたい、などなど。

自分の価値観を全面に打ち出している教室だから、そこに共感して集まってくださる方々が、気持ち良いくらいフィットしていって、居心地がいい。

もう誰も彼もが大好きで愛おしい。

でも、それは私の理想。

全然違う理想があっていいし、それはそれで素晴らしい。でも、私にそれを押しつけて欲しくはない。

「だからもう、人の人生に口出しするのやめようよ」

価値観の多様性って、そこからだと思うのです。


田中素子



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