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回想)ダルクローズ指導者クラス

朝から暴風暴雨。
遅咲きながら、急に満開になった桜も、一気に吹き飛ばされてしまいました。

そんな中、今日は中明佳代先生のダルクローズ3科目と指導法 火曜クラスの新年度スタートでした。

4/7の鈴木顕子先生の日曜クラスに引き続き、指導者クラスの熱い1年がスタートしました。

自己紹介タイムでは、

「ジャックで初めてダルクローズを学んで3年です」
「ダルクローズ歴7年、ジャック歴4年です」

などと「ジャックと音楽の木」の略称が色々な方の言葉で語られるのを、とても不思議な気持ちで眺めていました。

変な話ですが、ダルクローズ・メソッドを学ぶ機関として、「こんな私が」よくこんなに多くの方の人生に影響を与える教室をつくることができたなぁと、まるで自分ごとではない感覚です。

もちろん、それは先生方が素晴らしいからで、私の唯一の手柄は、素晴らしい先生方を集めた教室をつくったというただ一点に集約されます。

実は、元々「ジャックと音楽の木」では指導者クラスをつくるつもりがありませんでした。

指導者育成という意味では、私の恩師の教室も都内にありましたし、関東圏では学べる場所がいくつかあります。

それに、教室のミッションは「ダルクローズ・リトミックを広めること」だったので、子どもやシニアなどの、まだダルクローズ・メソッドを知らない人に伝えることを最優先で考えていました。

というのも、指導者が学べる場所はあれど、指導者が働ける場所が少ないと感じていたからです。

特に、国際免許を取得したことをインセンティブとして働くことができる場所が見当たりませんでした。それはそれは取得が困難な資格であるのに。

なので、国際資格を取得した先生が働けるダルクローズの音楽教室を作りたいと考えていました。

それでは、どこで風向きが変わったのかというと、ターニングポイントは2回ありました。

1回目は、ダルクローズ・リトミック国際ディプロマの中明佳代先生にシニアクラスを担当頂いたことによって、指導者クラスはないのですか?というお問い合わせが増えた時です。

あまりにもお問い合わせが多いので、それではと、1ヶ月に1回ゆるく楽しめるクラスを開講しました。その年は発表会の出し物を考えて発表したり、お茶タイムがあったり、ワイワイと賑やかな楽しいクラスでした。

そして、2回目のターニングポイントは、恩師の宮良愛子先生が亡くなられた時です。愛子先生は毎週のレッスンで、真剣に「ダルクローズ・ティーチャー」を育成されていました。

先生が他界された時に「愛子先生の意思を引き継いいで、ダルクローズ・ティーチャーを育てるクラスを作らなくてはならない」という強い使命感が湧き、佳代先生に相談しました。

期せずして同じタイミングで、日曜クラスの鈴木顕子先生にも参画して頂いたので、曜日の異なる振替体制を整える事ができ、ハンドルを「ゆるく楽しむ指導者クラス」から「ガチで学ぶ指導者クラス」に切り替えたのです。

それまで楽しくワイワイと通ってくださっていた方々はごっそりといなくなり、ほぼ入れ替えとなりました。

それでも、そうしなくてはならないと強く感じていたのは、もしかしたら、本当に愛子先生から動かされたのかもしれません。

そんなこんなで、毎月頻繁に行われるレッスンに、真剣にダルクローズ・メソッドを学ぶ方々が集まり、その中から免許試験に挑戦される方が年々増えていき、いつの間にか、「ジャックと音楽の木」は
ダルクローズ・メソッドを学べる機関として認知して頂いているのです。

今日の指導者クラスのレッスン後、目黒のスタジオからダッシュして、代々木のスタジオに到着したら、今日の風で吹き飛ばされてしまった桜が、Creo BOXの子どもたちの絵の中で咲き誇っていました。

色々と悩みも課題も抱えていますが、総じて贅沢すぎるほど恵まれた環境です。

田中素子

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