どうして今、ここにいるのか。

今からだいたい2年前、私はSCPというジャンルにどっぷりハマった。

元々トレバーヘンダーソンのクリーチャーや、クトゥルフモンスターが大好きだった自分にとって、SCP-682“不死身の爬虫類”や、SCP-096“シャイガイ”のクリーピーな設定はこれ以上なく魅力的で、私はその世界にどんどん魅せられていった。

私がSCP-JPの門戸を叩くのはそれから半年と少しあとの話になるのだが、それまではYoutubeの紹介動画をたくさん観た。
SCP-910-JP“シンボル”が強くて洒落てるだとか、SCP-070-JP“わんわんらんどと犬ではないなにか”が怖くて仕方ないだとか、所謂「にわか」の時期を私はYoutubeというプラットフォームで楽しんだ。

その頃の私にとって、SCPはモンスターたちの宝石箱。
Keterクラスは強いし、ブライト博士は廊下にクソをするし、SCP-001はたくさんあってよく分からないものだった。

大きく認識が変わり始めたのは、いつも通りYoutubeでSCPの動画を貪っていた時。
その頃の私はSCPMADにハマっていた。かっこいいから。
すると、オススメ欄にある動画が出てきたのだ。

それがこれだ。続編はどこだ。SCPの「書き方」。
このサムネイルを見た時、私はまさに真っ黒い稲妻がビシリと自分のつむじから足の先までを貫いたような感覚を覚えた。

今まで私がSCPに抱いていたトレバーヘンダーソンやクトゥルフモンスターの幻影は塵も残らないほどに叩き壊され、受動的なコンテンツだと思っていたSCPが突然ずずいっと眼前までその距離を詰めてきたのだ。

実は私はこの動画を見るまでSCPのサイトを開いたことがなかった。そもそもそんなものが存在すると考えたこともなかった。
だからSCPは「不思議生物図鑑」だと思っていたし、そこに「新種」は有り得ないと決めつけていた。

Youtubeというフレームを取り払ったSCPは、当時の私にはあまりにも生々しかった。
「Rate」「著者ページ」「コンテスト」「スタッフ」そういった創作サイトの欠片たちひとつひとつが丁寧に、それでいてあまりにも力強く、私の認識をぐいぐいとひん曲げていった。
トレバーヘンダーソンやクトゥルフモンスターという盾を失った私は生身でこの大穴のような現実に放り投げられ、今まで浸かっていたぬるま湯は蒸発し、もう涸れていた。

歪んでいた認識がまっすぐに矯正され、私の心は歪んだ。
どうしてもその現実が受け入れられなくて、トレバーヘンダーソンを抱えたまま、私はLINEのSCPについて雑談をするオープンチャットに飛び込んだ。

そこには現実があった。
雑談をするみんながSCPはシェアード・ワールドであることを受け入れていたし、トレバーヘンダーソンの影がそこにないことをちゃんと理解していた。

そして私は遂に折れ、SCP-JPのトップページに華々しく飾られていたコンテスト優勝作を読んだ。

それはどこからどう見てもモンスターではなかった。
ねこですよろしくおねがいしますでも、緋色の鳥でもなかった。そこには情動的なストーリーが存在していて、読者を震えさせるクリーピーさは身を隠しているようだった。

トップページの「初めての方へ」という文字列をタップして、そこから繋がったガイドを全部読んだ。
読んでようやく、私の中に巣食っていた「SCP」というコンテンツが死に、まったく新しい「SCP」というコンテンツが成立した。
それは飲み込みづらく、受け入れ難い事実ではあったが、私のエゴよりも何倍も大きな現実だった。

それからたくさんの記事をゆっくり音声ではなく、活字で味わった。
感動的な記事、理論的な記事、胸糞が悪い記事、コミカルな記事。
たくさんの記事がそれぞれのジャンルにみっちりと存在していて、クリーピーな記事はむしろ少ないくらいだった。
私はゆるゆるとその現実を受け入れつつあった。

夏、私はサイトに参加申請を提出し、SCP用のアカウントを作ってTwitterを始めた。
Twitterでは、ホラー記事をたくさん書いている人が異性装をしていたり、荒波のようなストーリーのある記事を書いている人が下ネタを連呼していたりした。
困惑こそしたが、再びSCPというコンテンツが自分に近づいてきたように思い、以前とはちがってそれを恐ろしく感じなかった。

だから、記事を自分で書いた。そして何度も低評価で削除された。
初めてした創作の出来は今見返すと酷いもので、当時はよくこれを投稿しようと思ったな、と。
でも、新鮮だった。かつてはある種神格化していたコンテンツの裏側に今、自分が立っている。その実感があった。

いつの間にか記事が残るようになり、Twitterアカウントはたくさんの著者の方にフォローしてもらい、コンテストで優勝もした。

そして今、私は黎明期のSCPの幻影を追い続けている。
SCP-198“コーヒーを一杯”のようなクリーピーさが恋しくなっている。

私はトレバーヘンダーソンやクトゥルフモンスターのようなクリーピーさを求めてSCPという沼に自ら沈んでいった。
そして色んな記事と出会って今、再び「SCP-198」に帰ってきたのだ。そう考えると、私はいつも言葉で表せない寂寥感に襲われる。

度々思う。トレバーヘンダーソンやクトゥルフモンスターがいないSCPで、私はどうして記事を書いているのだろうか。
もしその気なら、今もサイトの存在に気づかないフリをして、ぬるま湯に浸かっていることはできたはずなのだ。
それでも私はぬるま湯から出て、大穴に飛び込んだ。
今となってはハッキリと思い出せないが、当時はそれなりの覚悟があったのだろう。(もしかしたらなかったかもしれないが)

だから私は、たくさんの人に支えられながらもなんとか記事を書いて、こうしてnoteに手を出している。
実に数奇なものだが、それは紛れもない現実で、トレバーヘンダーソンやクトゥルフモンスターに別れを告げたからこそ、私は今、ここにいるのだ。

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