なぜ「創作者」を全ゴロシするか

おれは「創作者」が反吐が出るほど嫌いである。

創作者という単語をコトバンクで見てみると、こうある。

“著作の創作に責任を有する個人・家族・団体.著者,編纂者,作曲者など”(『日本目録規則2018年版』用語解説)

あー、違う。そういう意味の創作者ではない。厳密に言うと、自我が嫌いなのだ。

つまり、創作論が苦手なのである。おれの持論として、「創作論を語り始めたら創作者として死ぬ」というものがある。要するに、偉そばった人間はダメなのだ。

創作論は主に、相手に己がノウハウを押し付け、先輩風を吹かせてやろうという時に起こるものだ。

著作のあとがきなどとはまた異なる。創作論とは、もっとペラペラの平べったいもののことを言うのだ。抽象的で、大抵は毒にも薬にもならないようなものだ。

でも、創作論はほとんどの創作者が(おれ含め)ポロリと言ってしまうものだ。なぜ。

なぜなら、先輩風を吹かせるのに正しいことを言う必要はないからだ。勿論、スーガクのスゴく難しい問題を解いて偉そばりたいんなら話は違う。正解しなきゃあ、きっとバレちまう。

でも、創作というのはそんなにシンプルにできていないのだ。創作論を誰しもが「言えてしまう」のは、ひとえに創作に不正解がないからということに起因する。

だから、口の端っこからポロッと漏れ出たりしてしまうのだ。

我々は、そろそろ創作論がイケナイことだと覚えなければならない。聞く側にとっては毒にも薬にもならないかも知れないが、垂れ流す側からしてみれば創作論なんてものは麻薬も麻薬。劇物極まれりなのだ。

なぜって。そりゃあ。創作論を垂れ流して、先輩風吹かすのが気持ちいいからに決まってるだろう。

脳みそ捻って風呂でブツクサ呟いて、書いて悩んでまた悩んで。そんなことを繰り返してようやっと抽出した濃厚な5000文字と、脊髄と腕を銅線で引っ付けて、口からヨダレをボタボタ落として白目をひんむくアホ面で垂れ流した、病院食のお粥みてえな1000文字の創作論。皮肉なことに、費用対効果がいいのは後者だ。創作論の方が他人に読まれるまである。

我々は弱い。故、数字に負けてしまうのだ。

だが、負けっぱなしで終わるわけにはいかない。一度依存症になってしまえば、健常者に戻ることはなかなか難しい。だから、もしこれを読んでいる人の中に、「創作論? ンなもんより小説書いてた方が楽しーじゃん」という人がいれば、あなたはぜひそのままであってくれ。そして、いつか必ず、あなたは創作論を零しそうになる。本当にふとした瞬間に来てしまうのだ。

その時、この文章を少しでも記憶の片隅に留めておいて、ブレーキをかけてくれ。あなたの素晴らしいアイデアは、丸めたティッシュみたいな創作論の例示に使うんじゃなくて、濃密な5000文字の中にふんだんにぶち込んでくれ。

話が逸れたが、つまり、おれは勝たねばならんのだ。おれはおれの中に巣食う「創作者」を全ゴロシしなければならない。こんなやつを生かしておいては、おれの創作人生は老い先短いだろう。

もし創作論を書きたくてしょうがないんなら、お前は書けばいい。おれは止めない。
「僕はお前とは違う! 真っ当に後進育成をするために創作のノウハウを後輩に教えてあげているんだ!」
ああそうかい。別にいいよ。おれはおれの後輩にあたる創作者なんて1人たりとも誕生してほしくないがね。でも、お前がいつの間にか自分のためだけに創作論を垂れ流すようになったとして、お前はその時それに気づいて、踏みとどまることができるか?

過去は変えられない。おれはかつて「評価を得るためにはこうしたらいいよ」なんてイキった発言を幾度も行った。本当に馬鹿げた話だが、だからこそおれは今、「創作者」を全ゴロシしてやろうという情熱で燃えている。

おれは自我を出さない創作者が好きだ。淡々と作品を投稿していくその姿がクールに見えた。おれにはできない。どうしても、日々の愚痴や美味いラーメンや見つけたイモムシなんかを投稿してしまう。アカウントを分ければいいとか、そういう話ではない。とにかく、おれは作品だけで存在を主張できるほど立派なものを持ち合わせていないのだ。

だからせめて、創作論だけは言わないようにしようと心に決めた。過ぎたものは過ぎたものだ。幸い、おれは創作者として死んでしまう前に踏みとどまれた。これから、これ以上落ちていかないように、どう生きるかが大切なのだと思う。おれはおれの中の「創作者」を排除して、新しい気持ちで頑張りたい。

このnoteはおれの「創作者」の残瀝であり、「創作者」への宣戦布告だ。これからも、どうしても耐えられなくなった時はきっとここに帰ってくる。だって、残念なことにおれは文章を書きながら人間で、数字と真っ向から戦うことは恐ろしいからだ。淡白になれたなら、どんなに楽だろうか。でも、無理だから。いつかこのnoteを、こんなこともあったなって、埃のごとく掃き捨てることができるように、今はそう思うことしかできない。

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