疑問を持ってしまう辛さ

 私の群れはいわゆるディスペンセーション主義的な考え方の強いところで(というより恐らくほぼ元祖),また教派主義を否定する(ということはつまり自分たちは特定の教派・宗派ではなく,唯一正しい集まりだという信仰に立っていることになる).

 最近(と言ってもかれこれ数年は経っているが)私は自分の群れのこのような特徴に対して少し疑問に思ってきているのだが,純粋に自分の群れの教えを疑問なく受け入れていたのがそうではなくなってしまうというのはやや精神的に苦しいものがある.

 かと言って,自分が今の群れから出ていくということも当面考えられない.疑問があるといっても確信的に違うと思っているわけではないし,神から与えられた場所というものがあるだろうとも思うからだ.

 10年位前までは,自分がこんなに宙ぶらりんな進行状態になるとは思ってもみなかった.正しい信仰によって邁進していくはずだったのに...とほほ.

 仕方がないのでとにかく地道に聖書を調べていくしかない.仕事もあるしそんなに頭もよくないので,そのうち解決しないまま一生が終わってしまうかもしれないが,そのときはまあ教理をとことん考えるよりも過程を治めることとかのほうが神に与えられた仕事として自分には重要だったのだと思うことにしようと思う.証しを立てるということだが.

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