MuseIndia

坂田マルハン美穂。福岡出身。東京で海外旅行誌の編集者/ライターを経て1996年渡米。ニューヨークで出版社起業。2002年『街の灯』出版。ワシントンD.C.、CA生活を経て2005年、デリー出身の夫と南インドに移住。4猫。https://lit.link/en/museindia

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坂田マルハン美穂。福岡出身。東京で海外旅行誌の編集者/ライターを経て1996年渡米。ニューヨークで出版社起業。2002年『街の灯』出版。ワシントンD.C.、CA生活を経て2005年、デリー出身の夫と南インドに移住。4猫。https://lit.link/en/museindia

最近の記事

👘家族の記憶を紡ぎながら、色褪せない伝統衣装。着物ショーで躍動する半世紀前の和装

バンガロールにおけるファッション界の第一人者であるPrasad Bidapa。テキスタイルのプロモーターとして、またキュレーターとしても、各方面で活躍されている人物だ。彼と初めてお会いしたのは、パンデミック時代の3年前。マハラーシュトラ州に息づく古来インドのChandrakalaサリーに関する催しだった。 以来、何度かお会いしたが、中でも今年2月のA HUNDRED HANDS のバザールにて、彼が主催するファッションショーに、「モデルで」参加させてもらったのは、とても楽し

    • 🙏進化する無償のホスピスに見る光。緩和ケアのエキスパートとして、世界規模の研究機関に。

      季節外れの大雨が降り続いていたバンガロール。火曜日、まるで雨間を縫うように晴れたひととき、バンガロール市街東部、ホワイトフィールドにあるホスピスを訪問した。 わたしは、2010年に初めて訪れて以来、今回6度目の訪問だった。どの団体でもそうだが、訪問するたびに、新たな発見や学びがある。特に今回は、それが顕著だった。一昨年、同じ敷地内に建築されたカルナシュラヤ緩和ケア教育研究所(KIPCER)の存在が、その印象を強めていた。 これまで通り、ホスピスとしての機能を果たす一方で、

      • 🙏喜怒哀楽が炸裂した土曜の午後。27年で最も辛い日に訪れた縁(えにし)

        今日の記録もまた長いが、どうか最後まで目を通してほしい。 どんなに言葉を尽くしても。どれほど文字を重ねても。 百聞は一見にしかず。それでも、綴り伝えたい。 ◎8月下旬、ニューアーク・ミッション (New Ark Mission, Home of Hope)を訪れた際、同団体が未曾有の危機的な状況に陥っていることは記した。理不尽な事情で、今年に入り、海外の篤志家からの送金を受け取れない状況が続いている。結果、毎月必要な額の3割程度しか得られておらず、すでに数カ月前、土地を「

        • 2001年9月11日午前11時からの記録。米国同時多発テロ23周年に際して。

          たとえ歳月が流れても。我が人生の分岐点となった2001年9月11日を忘れない。以下、3年前の2021年9月11日、即ち20周年にシェアした記録を転載する。 🖋たとえ歳月が流れても。人生の分岐点となった2001年9月11日を忘れない。(2021年9月11日の記録) 20代のころのわたしは、東京で、海外旅行誌の編集者兼ライターをやっていた。海外取材が多かったにも関わらず、英語はうまく話せなかった。30歳のとき、一念発起して、ニューヨークで1年間の語学留学を決めた。初めてマンハ

        • 👘家族の記憶を紡ぎながら、色褪せない伝統衣装。着物ショーで躍動する半世紀前の和装

        • 🙏進化する無償のホスピスに見る光。緩和ケアのエキスパートとして、世界規模の研究機関に。

        • 🙏喜怒哀楽が炸裂した土曜の午後。27年で最も辛い日に訪れた縁(えにし)

        • 2001年9月11日午前11時からの記録。米国同時多発テロ23周年に際して。

          8月15日。インドの独立記念日と日本の終戦記念日が同じ日なのは偶然ではない。インド・パキスタン分離独立を巡って。我がインド家族の物語なども。

          2007年、とあるパーティの席で『INDIA AFTER GANDHI(インド現代史)』著者のラマチャンドラ・グハ氏と出会った。それが縁で、今からちょうど10年前の2014年に日本語訳の『インド現代史』を手にした。インドが英国統治時代を経て、パキスタンと分離する形で独立して以降の歴史が記されている。冒頭の数十ページを読んだだけで、衝撃的な記述の連続に打ちのめされた。中でも、日本と深く関わり合う点においては、インドに関わる人たちに知ってもらいたいと思う。 宿命の日を巡る日印の

          8月15日。インドの独立記念日と日本の終戦記念日が同じ日なのは偶然ではない。インド・パキスタン分離独立を巡って。我がインド家族の物語なども。

          🌏Love All, Serve All. ハードロックカフェ創業者のアイザック・ティグレットが語るサイ・ババとインド。そして、藤井風のこと。

          ハードロックカフェ (Hard Rock Cafe) は、スピリチュアルが炸裂していた。 一昨日の出来事を書こうと思うが、かなり難しい。誰もが受け入れやすい話題ではないし、スピリチュアルに対する偏向や偏見が発生しやすい日本に向けて発信するには、言葉選びにも配慮が必要だ。ともあれ、思慮深く読んでくれる人は必ずいると信じて綴る。 一昨日の夜、バンガロール中心部にあるハードロックカフェにて、創業者のアイザック・ティグレットのトークに赴いた。わたしは、高校時代にヘヴィメタのバンド

          🌏Love All, Serve All. ハードロックカフェ創業者のアイザック・ティグレットが語るサイ・ババとインド。そして、藤井風のこと。

          広島に原爆を落とした戦闘機「エノラ・ゲイ」を、20年前に、この目で見たときのこと。

          🇯🇵今年も8月がきた。日本を離れて28年間。わたしは一度も8月の日本に帰国していない。故国の盛夏の記憶は彼方になれど、毎年毎年、同じようなことを、綴り続ける。大切だと思うことは、何度でも、同じことを訴え続ける。 異国に暮らし、異国を旅するにつけ、なるたけ偏りの少ない視点から、歴史を学ぶことの大切さを実感する。学生時代、日本史にも世界史にも大して関心を持たなかったわたしが、しかし社会人になり、海外旅行のガイドブックを制作する編集者になってからというもの、紹介する国の背景につい

          広島に原爆を落とした戦闘機「エノラ・ゲイ」を、20年前に、この目で見たときのこと。