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中国映画「封神」出演俳優の李雪健と上咽頭がん

中国映画でのオスカー的名誉ある金鶏賞

金鶏賞で、映画「無名」の最優秀助演俳優賞にノミネートされた王一博に注目してずっと観ていた授賞式。
助演賞を受賞したのは、中国映画協会の会長でもあり、今年69歳になったベテラン俳優の李雪健(リ・シュエジャン)。

受賞作品の「封神」とはどんな映画なのか。
以下〈China Film Factory Studio〉のコラムからの引用です。

この映画は、5 年間の準備、19 回の脚本草稿、1 年半の撮影、3 年以上のポストプロダクション、30 億の投資、そして 8,000 人のチームの献身的な努力を経ました。
118年の映画史の中で最大規模の作品と言えるだろう。
メイクの特殊効果、馬術のアクション、写真撮影の照明から衣装の小道具に至るまで、アートシーンの細部は曖昧ではありません。
多くのビッグシーンが実写で撮影され、血なまぐさいシーンは避けられず、見事に洗練されたシーンは、ハリウッドの傑作にも劣らない壮大で見応えのあるもので、中国のスクリーン神話を書こうとしていることがわかります。
ストーリーに関しては、どの俳優も役柄を解釈するために最善を尽くし、新人俳優たちは全員24週間の集中トレーニングを経て、鳳神の四大公も国家一流の俳優でした。
中でも印象深いのは西伯侯 姫昌(ji chang)を演じる李雪健だ。
濮存昕(Pu Cunxin)ですら、映画側からこの役を打診されたが断ったと語っている。彼は、この複雑な役をやり遂げることはできないと感じ、〈西伯侯 姫昌〉を演じることができるのは李雪健だけだと言いました。

たとえば、この映画の最も古典的なシーンでは、周王が西保侯 姫昌に長男〈伯邑考(bo yi kao)〉の肉を強制的に食べさせたとき、溥存心はこの精神の崩壊を演じることができませんでした。
しかし、李雪健はさらに深刻な崩壊を演じて見せた。周王が牢獄で西伯侯 姫昌に「息子の味はどうだ?」と尋ねたとき、姫昌は感情を取り乱さず、周王に「食べてみるか?」と返し数秒の沈黙を作った。
この数秒の静止には恐ろしいほどの気迫が込められていた。
それから彼は嘔吐し、急いで「息子」の(亡骸?)ところによじ登り、肉体から藁を払い取った。彼の震える手は即座に観客のことも震えさせた。
彼の爆発力は非常に強力で、必死の雄叫びがスタジアム中に響き渡った。
息子の肉片を慎重に守る演技は誰もが泣かずにはいられない。

しかし、そのような教科書レベルのパフォーマンスであっても、実際には李雪健氏の声に疑問を持ち、嫌悪感を示す人もいたのでは?
30億かかった大作『封神』が李雪健に別途吹き替えを手配しなかったのは大失敗だという人もいる。李雪健は引退する時期が来たとさえ言う人もいます...
このようなコメントを見て、監督は本当に心を痛めましたが、李雪健氏がこの映画にすべての感情を込めたということを一番よく知っています。
李雪健氏は新人たちに演技を理解して理解してもらうため、肉体的な疲労をものともせず、休憩時間を犠牲にして封神で新人たちに講義や経験も与えた。
彼はすべてのシーンに真剣に取り組み、撮影が始まる前にすでにキャラクターに入り込み、事前にキャラクターの動きを練習し、キャラクターの心理を理解しようとしています。

正直に言うと、彼の声は確かにかすれ、壊れていました。それはそれほど完璧ではない声で、息もそれほど豊かではなく、発音の一部はそれほど明瞭ではありませんでした。しかし、この原声こそが、姫昌の勤勉さと人生の浮き沈みとより一致しており、一つ一つの言葉がゆっくりと発せられ、非常に知恵と終わりのない余韻をもたらします。
彼の咆哮はさらに衝撃的だった。
波瀾万丈ながらも力強い声が、全体的にひ弱で痩せた体形とよくマッチし、キャラクター全体を立ち上がらせている。

私たちはこのような声と俳優を持っていることを光栄に思います。

実際、彼をよく知る視聴者は、彼の声がかすれ、話しにくく、聞き取りにくい理由は病気のせいであることを知っています。

2000年に上咽頭がんと診断された。それ以来、彼は長い闘病生活を続けていますが、数え切れないほどの化学療法と放射線療法により、唾液腺細胞のほとんどがすでに破壊されています。

その結果、彼は十分な唾液を分泌できなくなり、一年中水の入ったグラスを持ち歩き、時々一口飲む必要がありました。そうしないと、口全体が火照り、極度に乾燥してしまいます。

彼の聴力も重度の損傷を伴い補聴器が必要です。

しかし、そんな状況でも彼は俳優としてのキャリアを諦めなかった。
彼はこの職業が大好きで、演技を続けたいと考えています。計算してみると、彼のキャリアにおける作品のほぼ半分は、病気による生死を経験した身体で完成されたことになる。

最大の幸福は何ですかと尋ねると、彼は幸せそうに微笑んでこう言いました。「毎日お弁当が食べられるのが一番の幸せ。お弁当が食べられるということは、撮影があるということですから」。
なんとシンプルで気取らない答えなのだろう。

〈李雪健〉この名前は観客にとって演技の神様であり、心の底から尊敬される俳優であり、老芸術家です。
CCTVのドラマ推薦コラム「スター推薦」では、創刊以来300人近くの映画・テレビスターにインタビューしてきたが、「最も共演したい俳優」について、有名人の間で最も頻繁に名前が挙がるのは李雪健だ。
デビュー以来45年間で梅花賞、金鶏賞、飛天賞、百花賞、華表賞など主要な賞を含め、33回の主演男優賞を受賞している。

「やる、楽しむ、参加する」、これが映画『封神』の精神です。
これは李雪健氏のモットーでもあり、彼は自分の仕事をすべて楽しんで中国映画の将来に貢献するために全力を尽くしています。

誰もが封神新人研修キャンプのコースを学ぶ機会があるわけではありませんが、李雪健氏の教えもまた継承の形ではないでしょうか?
今後も彼の影響を受けた俳優が増えると思います。

これが彼が俳優にこだわり引退しない本当の理由なのかもしれない。

ー引用おわり。

李雪健について

李雪健は 1954 年に山東省菏沢市巨野県に生まれ、父親の転勤のため貴州省で育ちました。
貧しい家庭環境で育った礼儀正しく聡明な少年李雪建は、自分が家族の負担にならないようにと、燃え殻拾いで少しのお金を得ることができていましたが、彼が 16 歳のとき、ついに学費が払えなくなり学校生活を諦めて工場で働く以外に選択肢はありませんでした。

俳優への道

幼い頃から文学や芸術が好きだった李雪健は、工場で働いているとき工場の宣伝チームが俳優を募集しているのを見て宣伝チームに登録し、宣伝チームの俳優になりました。工場で何年も働いていた間、彼は仕事をしながら大好きな舞台芸術を練習し、いつか尊敬される俳優になることを夢見ていました。

3年間工場で働いていた李雪健は19歳のとき、工場を辞めて軍隊に入り、兵士になりました。
入隊後、李雪健は再び陸軍の文学芸術宣伝チームに加わり、俳優として大好きなキャリアを築き続けました。
李雪健は演技力と文学的資質が非常に優れていたため、3年間軍隊に勤務した後、第二砲兵芸術団の演劇チームに異動し、主に演劇チームの演技業務を担当しました。演劇チームに1年間在籍した後、さらに演技の道を歩むため、李雪健は公正芸術一座に入学しましたが、公正芸術団には長く留まらず、後にここを去り、北京にある文化省直属の国立芸術団、中央実験劇場に行ってさらにキャリアを積みました。

結婚とキャリア

1980年、ドラマの舞台で優れた成長を遂げた李雪健氏は、映画「天山旅行」で正式に芸能界デビューをしました。この年にはその卓越した演技力でドラマ部門最高賞である中国第一回梅花演技賞を受賞しました。
しかし、演技力が優れているからといって俳優としてのキャリアが順調だったわけでもなく、芸能界入りした年に注目を集めた2本の傑作を除けば、その後は伸び悩んでいました。
特にエンターテインメント業界では、李雪健氏の容姿は凡庸であったため、追っかけのようなファンはあまりいませんでした。
しかし、キャリアが低迷していたとき、彼は代わりに愛を見つけ結婚しました。彼女の名前は余海丹(ユウ・ハイダン)。彼女も女優でしたが女優業を引退して専業主婦となりました。妻の献身的なサポートのおかげで李雪健氏のキャリアは本当に良くなりました。

突然のがん宣告

李氏は順調にキャリアを重ね、2001年はテレビシリーズ「中国軌道」の撮影をしていました。

ある日、鼻に小さなニキビがあることに気が付き、抗炎症剤の服用をして最初は全然気にしていませんでしたが、だんだんニキビが大きくなってきていることに一か月過ぎたあたりに妻が心配になり、病院で検査を受けたところ、上咽頭がんであることが判明し、それから20年以上にわたる闘病生活を送りながら俳優生活を続けることとなりました。

化学療法による放射線治療は身体への深刻なダメージを及ぼし、症状の悪化により首に腫瘍ができ、その影響で本来の声が失われてしまいました。撮影中には何度も気を失いました。2003年にはなんとか病状のコントロールができるほどになりましたが、治療費として多額の借金ができてしまい、借金返済のために撮影に復帰しました。

李雪健氏のギャラは高いか安いか

それにより、あるトーク番組で新人俳優から疑問の声が挙げられたこともあります。「李氏はたった数分四日間出演しただけで60万元(1000万円以上)のギャラをもらいましたが、自分は4000元(10万円にも満たない)しかもらえなかった。有名俳優にお金がかかりすぎるから自分たちのギャラがほとんど出ない」、と。
それについて李氏は多くは言わなかったが、「(まだ駆け出しで)困難に耐えたことがないのに、どうやって有名になるのですか?」とその新人俳優に尋ねた。
その新人はどう理解したか誰にも分からなかったが、それを聞いて彼は黙っていた。ほかの出演者は「君のレベルなら4000元あげても多すぎる!」と彼に言った。

李雪健氏が長年俳優で苦労してきたのは高いギャラをもらいたいためではなく、彼自身の俳優という夢を追求するためです。
一般に、若い俳優は先輩俳優の努力と経験を尊重し、自分の演技と努力で自分の価値を証明する必要があります。
俳優は単にギャラを稼ぐだけでなく作品の魅力や奥深さを観客に感じてもらえるよう、十分な愛情と粘り強さが求められます。
声帯の問題を背負っていてもそのプロフェッショナリズムと職業倫理感は視聴者や関係者からは深く尊敬されています。

映画やテレビシリーズの制作で数千万、さらには数億を稼ぐ今日の若い俳優や女優とは異なり、李雪健のギャラは決して高くありません。

例えば、『欲望』を撮影していた当時のギャラは、最終の追加報酬を合わせてもわずか8000元で、業界のスター俳優にとってこの水準は全く高額ありません。たとえギャラが高くなくても、李雪健堅氏は安いギャラを嫌がることはなく、名声や財産が重要だったわけではなく、良い脚本と役に出会えれば出演するというスタンスをとってきていました。
それが運命のいたずらによって初めてお金がいかに大切であるかを身に染みて感じたのでした。

現在はこうしてまた作品に出演ができているように、がんは克服できました。すべて妻の献身的な支えのおかげで妻は命の恩人だと言います。
ガンが発覚した当時撮影をしていたドラマも、妻が午前中は病院の検査へ付き添い、午後は撮影場まで送ってくれるという日々で降板することなく最後まで務め上げました。


李氏の金鶏賞受賞スピーチを聴いて驚きました。声帯に影響のある手術を受けてたというようなことを聞いていて、声がほとんど出ないのかなと思っていましたが、聴覚に不自由がある人の話し方の様子だったのです。
これは化学療法の後遺症により、李氏の聴覚は重度に損傷してしまい補聴器が必要なほどで、声も声帯の損傷によってひどくかすれてしまい、それではっきりとしゃべれなくなってしまったのですね。

まず、今回の金鶏賞のノミネートされる条件として配音ではなく原音であること、自分の声で録っていなければならない。封神はすべて吹き替えを使わず俳優オリジナルの声で演じられています。
李雪健氏の話し方ありきでの受賞ですが、どうやって受賞に至ったのか、先述の引用したコラムを読んでなるほどと思いました。

観客の中には、李氏のしゃがれた声に不快感を覚え、吹き替えにすべきだった、字幕が必要だと考えている人も多くいたそうです。
しかし、封神の監督はインタビューの中で、「私の中での西伯侯は声が不自由で補聴器をしている」と語っていました。優れた俳優には独自の粘り強さがありオリジナルの声をしようすることはキャラクターの解釈にも責任があり、李雪健氏の声の欠陥も問題ではありませんでした。

李雪健氏は長年の病気のため健康状態がよくありませんでした。

李雪健氏演じる姬昌(ji chang)と殷寿(Yīn shòu)との対決の撮影で、西伯侯は殷寿に怒りで駆け寄るシーンがあり、その際に殷寿に地面に押し倒されるというシーンがありました。このシーンの完璧なショットを追求するために、このシーンは前後に何度も撮影されました。李雪健氏は毎度全力でとびかかり、地面に倒され、あちこちに打撲を負いました。その後、裸足で手かせをつけて街を歩き回ったり、地面に横になって野犬を追いかけたりするシーンが続きましたが、李雪健氏は代役の可能性を考えず、一切のシーンを一人で完成させました。

有能なベテラン俳優として、多くの人は有名になってから李雪健の魅力と尊敬だけを見て、彼の努力とその過程での努力、そして俳優としてのキャリアで成し遂げた功績を無視しています。
李雪健氏は人生において本当に多くの困難を経験しましたが、あらゆる困難を経て美徳と芸術を兼ね備えた尊敬される芸術家になりました。

息子の李玄も父親の影響を受けて芸能界に入りましたが、彼は監督の道を選びました。昨年、李玄監督の映画『いつか君を離れるなら』のプレミア上映が行われた際、父親として李雪健さんは特別出演し、彼を応援した。彼は息子がこの道を選択することを心から応援し誇りに思っています。

李雪健氏はここまで本当に多くの挫折と困難を経験しましたが、彼が今日の成果を達成できたのは、すべて彼の努力の賜物です。
なぜ彼の栄光と美しさだけが見え、その裏でどれほどの苦労と苦労を耐えてきたのかを知らない多くの人がいます。

李雪健氏がギャラに不満をこぼした若手俳優に言ったように、
「あなたは私の過去を知らない。」
〈過去〉というのは、すべてが言葉ではなく、努力によって語られることを若い彼らは知りません。

この李雪健氏の数奇な人生は、彼が健在である限りでなく、後世にまで中国の映画史を作った俳優として語り継がれていく一人なのだろうなと思いました。
日本でいうとちょっと高倉健さんみたいな人かな?と思ったりもしました。

上咽頭がんとは

さて。ところで上咽頭がんの原因はなんでしょうか。
あまり聞きなれない部位のがんだと思います。
まず上咽頭とはどこのことかというと、よく風邪を引いたときにのどが赤く腫れて痛くなる場所、あのあたりです。
上咽頭がんの患部は頭蓋底に近く、多数の神経や血管に囲まれているため、初期段階では見過ごされたり、他の病気と間違われたりすることが多くあります。
専門家によると、持続的な頭痛、耳鳴りと耳の詰まり、難聴、血の混じった鼻水、鼻づまり、頸部リンパ節の腫れ、これらが典型的な上咽頭がんの症状で、こういった状態が10日以上続く場合は検査が必要です。
症状は耳や首に感じることが多いので、鼻咽頭の症状につなげにくく見過ごされやすいのだそうです。

上咽頭がんは一般的ながんのひとつです。
原因としてまず挙げられるのが、ヘルペスウイルスの一種として知られるエスプタインバール(EB)ウィルスによる感染。
このウィルスは日本人の成人も90-100%と、ほぼ持っています。
これはキスなど唾液等を介して感染するからです。
このウィルスは終生にわたって体内に巧妙に潜伏し、感染持続は排除されません。
上咽頭がんの原因だけでなく、種々の悪性リンパ腫、胃がん、平滑筋肉腫、唾液腺がん、乳がんといった、様々ながんの腫瘍形成に関わる腫瘍ウィルスです。
また全身性エリテマトーデス、関節リウマチ、シェーグレン症候群、多発性硬化症、バセドウ病等、自己免疫疾患の引き金ともなっていて、パーキンソン病など神経変性疾患との関連性の研究も進んでいます。

李氏の患った上咽頭がん、これは腫瘍細胞からはほぼEBウィルスが検出されるそうですが、EBウィルスが活性化する引き金となる要因。
中国では南部におけるがん発症のうち上咽頭がんが多いそうですが、地域での一般食とされている魚の塩漬けに含有されるニトロソアミンなどの変異原性物質との強い関連が推測されています。
魚の塩漬けには防腐剤や発色剤として亜硝酸ナトリウムが使われてるほかに、自然発生的に硝酸塩が生成されることも多く、この亜硝酸ナトリウムが魚の中のジメチルアミンと反応してジメチルニトロソアミン(NDMA)生成します。
硝酸塩や亜硝酸塩は、魚のボツリヌス症を予防し、微生物の安全性を確保するために何百年も仕様されてきました。硝酸塩はバクテリアを殺し、独特の風味を生み出し、魚に色合いを与えるのに役立ちます。

2015年、WHOは加工肉に発がん性物質があると発表しました。
ですが、ニトロソアミンに代表される発がん性の窒素化合物が生成されるのは肉魚だけではありません。
亜硝酸塩の存在は、一つは添加によるもの、もう一つは自然発生です。
野菜(特に葉物野菜)に含まれる窒素化合物も収穫後、時間の経過ごとに亜硝酸塩の生成が高まります。冷蔵保管により多少は生成のスピードを遅らせることができますが。
野菜は栽培中の成長過程で土壌中の窒素や人為的に散布した窒素肥料を吸収し、野菜の中で亜硝酸塩となる。
亜硝酸は硝酸が最近が繁殖する状況下で容易に亜硝酸塩に変化する。
そのため、浅漬かりの漬物にも多いし、一晩おいた料理にも菌とともに増えている。
こうして、亜硝酸塩は肉に含まれるアミンと簡単に結合してニトロソアミンを作る。そのため、加工肉や燻製食品ではなく普通の食事をしていても常に発がん性物質の危険性に晒されるというわけです。
もう何を食べても発がん性がある??何を食べて生きていけばいい?と不安になってしまいますね。
発がん性物質は、日々生じるがん細胞(細胞の不良品)を処分したり修理したりする修復遺伝子を傷つけることでがん細胞の増殖を加速させていきます。発がん性物質を排泄(デトックス)する作用のある食べ物を意識的に摂っていれば過剰な心配は不要でしょう。
でも喫煙やその他ストレス因子が多ければ発がん性物質の作用の方が優位になり発がんのリスクは高まります。
結論、なんでもストレスや不摂生は病の元というわかりきったことに戻ってしまいますが、、、、
結局いろいろと学んでいかないとですね。



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