あなた方はSOUL'd OUTを知っているか

「聴くもの」としてはじめての記事は、天才三人組、SOUL'd OUTへ捧げたいと思う。ちなみに私がこの人生ではじめて熱をあげたアーティストは他にいるが、そちらの話はまたの機会に。

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時は200X年――私は高校生であった。といっても、これがまた都内屈指の妙な高校であったがため、私は在籍中のほとんどを授業を受けず、そのおとがめもなしに充実(no 休日)した日々を過ごしていた(結果除籍となった)。
しかし学舎たる背骨を抜かれた高校生は果たしてなにをしていたか?アルバイトと趣味への尽力だ。適度な労働と十分すぎるオタ活。今となっては羨ましい限りだが、当時の私にとってはそれが当たり前だった。そう、私は高校生活の半分を彼らに捧げたのである。

高校二年目あたりに、ささいなきっかけでSOUL'd OUT(以下、S.Oと呼ぶ)にドハマりし、私はcruとなった。cruとはS.Oファンの総称である。我々にとって「クルー」と言えば麦わら海賊団でも、マックの従業員でもない。ついでに言えば「crew」でもない。「cru」だ。「The」を「Tha」と表記するような、このスラングらしい訛りのような感覚が大事なのだ。飾らず、強張らない感覚。一度聴いたら離れないフック、高速ラップ、うなるヒューマンビートボックス、色とりどりかつ洗練された幅広く上質なトラック……。そんな全部盛りの音楽にも関わらず、S.Oはいつ聴いてもどこか親しみやすい。それはなぜか。

すべてが絶妙にダサいからだ。

この記事をご覧になっている方の、およそ半数以上はcruではないだろう。もしかしたら曲も聴いたことがないかもしれない。コラ画像や、クソダサCDジャケや、空耳ネタなどで存在のみを知っている方々かもしれない。
むしろそのような人にこそ届きやすいと思っているが、S.Oは基本的にダサい。「焼きたて!ジャぱん」のアニメEDにも起用された「To All Tha Dremars」のMVなどを見れば嫌でもわかるだろう。当時の時代を鑑みたとしてもかなりのセンスである。本気でDiggy-MO'に惚れていた高校生の私にしてみれば、終盤の腹チラ以外は大した問題ではなかったのだが。

(リンクを貼るついでにMVを見てしまい、あまりに尊いため左手を掲げたままになっている)

お分かりいただけただろうか。
ある意味最高のセンスともとれるレベルでダサいのである。計算でも天然でもどうでもよく、そこにあるのはよくわからない横文字が筆記体で書かれたテロンテロンの七分袖シャツのような、はっきりとした、それでいて身近なダサさである。これはディスでもなんでもない。れっきとした感想で、実に前向きなコメントだ。

たとえば、ファッションの世界には「外し」の概念がある。スラックスの下に派手な靴下を履くような、フェミニンな淡い服にがっちりしたダッドシューズを合わせるような、「極度乾燥(しなさい)」なんか書かれたリュックを甲羅のように背負うような、アレだ。S.Oの「ダサさ」には、それに通じるものがある。つまり彼らはテロンテロンのダサいシャツすら自分たちの味で着こなしてしまっているのだ。それが、意図したものかは置いといて。

続けて、こちらのMVを見ていただきたい。cruにとっても一大アンセムだろう「ALIVE」だ。

(リンクを貼るついでにMVを見てしまい、あくる日のライブを思い出して泣いている)

のっけから「アライヴ……ペアレンツ……フレンズ……クルー……」である。学生が帰りの電車でペラペラめくっている英単語帳の中身のような歌詞だ(ちなみにcruはこの冒頭を空で唱えることができる)。そしてフック(ラップにおける「サビ」のこと)は「ピョッピョッピョッピョッピョーリティー」だ。わかるか?わからん。

リリックをよく追いかけてみると、中毒性のある音とは裏腹に曲全体に張りつめるストイックな姿勢に気づくこととなるが、そこまで理解してしまった頃にはcruである。わからずとも、この曲およびMVから感じ取れるのは「かっこよさと並ぶダサさ」だろう。ともすれば後者の方が頭一つ抜きん出ているかもしれない。
ついでに言うならここで紹介したMVでたびたび目にするスリーピースはcruの間で「LPSサイン」と呼ばれており、これは「Love,Peace&Soul」の略である。オーケー、クール。

かようにして、S.Oはダサい。愛や平和や魂を飾らずに問い、格好のつかないポーズをアウトロの間じゅう掲げる。王道のキメとされるメロディを平然と乗りこなし、聴いていて恥ずかしくなるような言葉を投げ掛けてくる。造作のこもった押韻や、ラグジュアリーなシンセのメロディ、隅に置いておけない小気味良い高速ラップの上で、恥ずかしさもなくそれを披露する。
しかし、そのありのままのダサさがなければ、私はcruにはならなかっただろう。三人の作る音楽には耳を傾けなかっただろう。私が彼らを好きでいるのは、彼らの音楽が笑えるほどに真っ直ぐだったからだ。

前述の通り、私は妙な高校に通っていた。そんな高校に通うほどの理由が存在したわけで、一本道ではいかないひねくれものの半生がそこにはあった。人とはろくに話せず、独り言と創造力が活発で、そんな自分のことが嫌いな若者のひとりだった。
そんな私が、S.Oを好きになったのだ。愛や、運命や、導き、信念。生き続け、純粋でいることは泥まみれだと教えてくれたのは、かっこいいだけじゃない彼らだった。吹き出すほどに格好つかなくて、それでもどこまでも真剣な彼らだったのだ。思えば、真剣に食らいつく人の姿はいつだってみっともないものかもしれない。私は知らず知らずのうちに、S.Oに人生の「ありのまま」を見ていたのだろう。臭い言葉を信じられない私が、彼らの愚直さには心を捕まれていた。大切なことは全部彼らが教えてくれていたのだ。教科書などろくに開かなかった数年の間に……。

ということで、SOUL'd OUTの話であった。いままで彼らをよく知らなかった方々にも多少伝わっていれば嬉しい。いや、この記事を読んだことであなた方はもうcruの一員だ。明日からはことあるごとにLPSサインを掲げて暮らすことになるだろう。

あらためて問いたい。「あなた方はSOUL'd OUTを知っているか」と。ここまで目を通した皆様にはもう呼吸のような質問であろう。野暮な質問は終わりにして、一言で締め括りたい。

「わかってんだろ?ペイス」