舞台『殊類と成る』に対する極個人的諸々

画像1

画像2


劇団肋骨蜜柑同好会 舞台「殊類と成る」
12月5日に幕を開けるわけですが、それについて、今更ですが、諸々思っていることを記していこうと思います。
うまいこと、要点であるとか、見所をかければよいのですが。
んんとにかく気力と漫画喫茶の時間が尽きるまで書いていこうと思います。

今回の作品は、中島敦という作家の「山月記」など等の作品を下敷きにしつつ、
劇団主宰フジタタイセイが作り上げた肋骨流人生賛歌となっております。
人生賛歌。大仰な言葉だ。なんてったって人生を、賛歌されるわけですから。どんな大層な感動スペクタクルが待っているのかと、思う方がいらっしゃるかもしれません。

画像3



僕は、酒をよく呑みます。タバコも、最近きちんと吸い始めました。
今回の作品のキャッチフレーズは「酔わねばならぬ」
酔わねばならぬ、と思うときは、日々生きていると往々にしてあり、その度僕は口をつけるわけですが、
僕が酒が好きな理由は、体に悪いからなんです。酒もタバコも、本来はまったく持って体に害のあるもので、
ではそれをなぜ呑むのかといったら、結局のところ気持ちがよくなりたいからで、それはつまり、笑ったり、泣いたりという、心の機微・感動と同じものだと思っているんです。笑って、ないて、できてりゃ、もしかしたら酒なんか呑まなくてもよいのかもしれません。
では酒に手を出すとなったときに、体に悪いという、その濁りある代償があるいとう、その事実が僕はたまらなく、コンビ二的感動を得るわけですから、そういうことであろうと思うわけです。
体に悪いって、なんて素敵なんでしょう。悪いけど、良いから、呑む。なんて人間的なんでしょう。知らんけど。

画像4

画像5


感動の元というのはどうやら案外そこらに転がっているものらしく、例えば僕は意味もなく早朝の立ち食い蕎麦屋に向かうことがありまして、
店内に屯し麺を無言ですするサラリーマンの方々の佇まいに、それを感じるためなんですけれども。
朝帰り、路上に勢いよく飛び散るゲロを見て「元気だなあ」と感動したことすらもございます。
それは花束であり、珈琲であり、富士の山なのです。
故郷であり、未来であり、人間であり、如何様でもあるのです。

皆さんは、誰を、何を、見て・感じたときに、人生を賛歌されますか。
人生を、賛歌されるって並大抵のことではないのですが、如何様でもよいのならば、俺は結構今まで、そうされてきたのだなと、ふと実感したりします。
だから酒も、呑みます。酔わねばならぬわけです。知らんけど。

画像6

画像7


では逆に、皆さんはどういったときに、人生に、なにか重苦しさを感じますか。なにやら偉そうな口ぶりで恥ずかしいですが。
これも、些細なことならばおそらく五万とあるはずです。
僕の最近の出来事のひとつは「こういうときどういう顔をすればいいかわからないの」所謂ひとつの綾波レイ現象に見舞われることが多くてですね。
周囲の人間が笑っているときに僕はどうしても笑うことができず、「なぜそんなにこの人たちは笑っているのか。なにが面白いことがあるのだろうか。いやむしろ笑うことのできない自身の知識・感性が下劣なのであろうか」といった具合に自意識の泥沼にはまっていき、つまりそれは感動からもっとも遠ざかる行いなわけだからきつい。
笑えばいいとは思うんですが、なかなかそうもいきません。理屈も感情も刺激されないのに笑ってみて、そののち嘘をついたと自己嫌悪に陥ることもしばしば。
みみっちい男ですあたしゃ。
それも結局は、故郷であり、未来であり、人間であり、如何様でもあるのです。知らんけど。

画像8

画像9


落ち込んでは浮上してまた落ち込んでは浮上して、果たして人生には、日常にはいろいろな物がありすぎて、なさ過ぎます。
それらをどのように感じるかは結局のところ、自分という人間ありきなわけですから、自分のことをどうしようもないと思ってしまった日にゃ、それはもうすべてが閉ざされてしまう、ときもあるやもしれません。

画像10

画像11


今回の作品「殊類と成る」は、台本を書いている段階で、出演者の皆様に、ある時期の日記を書いて提出してもらいました。
それが今回の作品には大きな影響をもたらしています。
僕は、自分が書いた日記の内容しか知らないので、実際どこまで皆様のリアルで、どこまで架空の物語であるのかは知るよしもありません。
もしかしたら、観劇してくださる方々も、同じような感覚に陥るかもしれません。
肋骨蜜柑同好会の演劇は、いままでも、虚構と現実を行き来するような作品が多かったのですが、今回はまた違った趣向の感覚に襲われるかもしれません。
どこまでが本当でどこまでが嘘など、ここまで記しましたが、本当にどうでもよいことで、
僕が言いたいのは、作品の中に、
皆様の、日常を、感動を、物語を、見つけてくれたら、うれしいなということです。
皆様の日記が、作品の中にあればよいな。
皆様の感動が、作品の中にあればよいな。
僕が立ち食い蕎麦屋のサラリーマンに人生を押し上げてもらうように。
安酒飲んで軽く酔っ払って一日を気持ちよく終えるように。
道端のゲロにすら血迷って話しかけてしまうように。
これらは僕の出来事ですが、
これらは僕の日記ですが、
皆様の日記も、きっと本作のなかにあって、あったら嬉しくて、
本当だとか嘘だとかでなはく、その瞬間の感動としては本物であってほしくて、
つまりは人生賛歌になったら嬉しいなということなのです。
時にはどうしょうもないことはありますが、物事の大小関係なくどうしょうもなくなることはありますが、
その人生によっておちた気持ちがまた人生によって軽くなることはあって、
やはりそれは人生賛歌に、皆様の人生の歌になったら、こんなに嬉しいことはないし、そうできたらよいなと思うのです。

画像12

画像13


みんなで一杯呑んで、気持ちよくなって、明日もなんとかやっていこうってなって、かえりませんか。
『殊類と成る』皆様の人生に寄り添える作品に、皆様の日々を肯定する作品にしてえし、するので、もしもよかったら、観に来てくださいね。

画像14



最後に、完全に僕個人の話をします。

私室田渓人は、今年の5月中旬から9月頭までの約三ヶ月半、
体調不良のため、俳優業など、諸々の活動を休止しておりました。
本作が舞台復帰作となります。
自身の実力不足・ブランクなどは当然感じつつも、
しかしながら、素敵な皆様に囲まれ、『殊類と成る』という、本作で舞台に復帰できることを、非常に有難く思っております。
終演後に記すべきことかもしれませんが、多くの方々に本作を観てほしいと思っております。
ご興味が向きましたらば、是非お越しくださいませ。

劇団肋骨蜜柑同好会『殊類と成る』詳細・ご予約はこちらから↓ https://note.mu/murocodile/n/n47d942061a2e














この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?