My note宣言っ。

今から35年前..高校生だった自分は、どう間違っても今の自分は想像していなかった。
論語で例えれば"三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る"だ。
高校時代の自分から見た50過ぎの自分のイメージは天命すらも飛び越して、唯一無二の巨人的存在になってるイメージだ。
なのに今の自分は立ってさえもいず、惑いっぱなしで、天命なんて遥か彼方に霞んで見えるまですらも達してない。
同じ「きょじん」でもむしろ「虚人」の方がどっちかって言うと近い気がする。
読み方だけあってるっていうのも何かクヤシイ。
むしろ、一周回って、"見えない事が見えている事"なんていう禅問答感覚になっていさえする。
それも考えようによってはもの凄く深くとれないことも無きにしも非ずだが、自分が発するそのコトバの浅さがどれ程浅いかは、視力検査で30cm先の1.0のワッカが右か左かを問われている位に明らかだ。クヤシイけど..。

そんな自分がnoteたるものを始め自分の"コトバ"を残していってみようかって思い立ったのが、我ながらビックリだけど"今日"、しかもたった10時間前。
「人生ってわかんないね」って言う、さもわかったかの様なコトバすら軽くなる程の歴史の浅さだ。
その歴史の浅さでこうやって書き始めている事に、先の論語での一周回ってる感がシャンパンタワーの様に溢れかえっている気もするがそれはさておき、今こうやって書いている。

今、現時点の野望として、週刊誌掲載の漫画家さんの様に1週間に1投稿のペースで進めていけらたらと思っている。
ただし、ちょっと売れっ子的要素も加えるとしたら、気が乗らなかったらたまに原稿飛ばすなんて所業もしてみたいなんて思っている。
ムロイさん1ヶ月音沙汰無しだけどどうしたんだろうなんて一人の人にでも思って貰えたら、きっと通りがかりの人に通報される位に笑顔の絶えない自分になれる様な気がする。
50過ぎのおっさんが満面の笑顔を崩さずに歩いていたらさぞ不気味だとも思うが、それはさておき、だ。
50年以上も生きてるんだからたまには良いだろう、そんな夢を語ってみても。
なので音沙汰ないな〜と思ったら「ムロイは今"白いワニ"と会ってるんだな」なんておおらかな目で見て頂ければこっちとしても売れっ子気分が乗ってくるってもんだ。

なんて事はさておき誓いを立てよう。
そう全てにはフィロソフィーが必要だ。
1.自分のコトバだけ使う。
2.感じたコト、思ったコト、言いたいコトだけ書く。
3.自分が楽しいと感じるコトだけを書く。
どうも50も過ぎると他人の権威をかりて、さも自分の達した境地の様に振る舞いたくなってくる。
ただし一周回ってる自分には一周回っていると言うプライドがある。
今更虚像の自分も必要無いし、何よりもはや恥も外聞もないのだ!
ひたすら自分のコトバで、飾るコト無く自分が楽しくなるコトだけを書いていこうと思う。
読んでくれる人が、ホンワカ暖かい気分になってくれたら一周回ったおじさんはそれだけでシアワセだ。

最後に
読み返してみたら「それはさておき」たるコトバを3回も使ってるぞ、オレ..。
さすが一周回った五十路オッさん。
出そうとしなくても教養が溢れ出てる..なんてコトは誰も感じないってコトに気づいている自分に自画自賛。
流石だ。

さあ、つないでいこ〜!

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