ガバ穴ダディーの「ぷももえんぐえげぎぎおんもえちょっちょちゃっさっ」について真剣に考える

2023年3月現在、ガバ穴ダディー本編(緩次郎セリフ集)は95万再生という、一切映像の無い作品とは思えない驚異的な人気を誇っている。
これは主にダディー氏の言葉選びと、本能のまま快楽に溺れる呻きの滑稽さによるものだが、これを読んでいる諸君も一度冷静になって考えて欲しい。
いくらセックスが気持ちよすぎるからとは言え、

「ジャッキーチェン!ジャッキーチェン!」
「あゝセンチメンタル!」
「一気に、切っちゃったぁ!」

などと何の意味もない言葉を発するだろうか。意味不明だから面白いで済まされる事ではないのではなかろうか。私自身、上記の動画はもう何度見返したか分からない程であり、これほど興味深い音声作品はそうそう無いと思っている。
そんな私だからこそ敢えて、今後の緩次郎研究の発展の為にも、ダディーの発言について考察していこうと思う。今回まず第一に取り上げるのが上記のセリフだ。

これは多くの緩次郎愛好家が暗唱できるほど有名であり人気であり、尚且つ最も謎に満ちたダディーのセリフである。
「ぐえげ」の後の「ぎ」の数は書き手によって一つの場合もあるが、今回は二つと仮定して考えたい。
かつて野獣先輩の「菅野美穂」発言を音声解析し、真相を解明しようとした研究者がいたが、音声の分野からは未だ耕司未解決である。よって、私は「ぷもも〜」という文面から、ダディーが伝えたかった内容を予測してみた。

まず、喘ぎ声としてはかなり長文のこれをいくつかに区切ってみる。

ぷももえんぐえげぎ/ぎおんもえ/ちょっちょちゃっさ

便宜上この3つのセクションをA.B.Cとする。
まず、Aの一見意味不明な文字列(Cまで全部意味不明ではあるが)から、日本語として存在する言葉に文章が成立するように入れ替える。

何故ダディーが支離滅裂な言葉を話しているか、そして何故変換する作業が必要か。それは熱心な緩次郎愛好家の諸君ならご存知の通り、
ダディーはフェラチオの真っ最中だからだ。
フェラチオ経験者の方はこれもご存知であろうが、フェラチオをしながら喋るのは困難であり、そもそもフェラチオをする側が喋る必要がない。つまり、ぷももえんぐえげぎぎおんもえちょっちょちゃっさっはフェラチオ中にも関わらずダディーがどうしても島田のアホとコブラ、そして我々視聴者に伝えなければならなかった重要なメッセージであると私は考えている。

フェラチオの説明が長くなってしまったが、Aのセクションの解読に戻ろう。
ぷももえんぐえげぎ。まず後半を変換して
ぷもも演芸劇
とする。演芸劇は演劇と同じ意味として良いだろう。次に、残ったぷももを保留としてBの解読に移る。
ぎおんもえ

これは祇園萌であるというのは、iPhoneという最先端テクノロジーを駆使した予測変換からも信憑性が高いと言えるだろう。最後にCの

ちょっちょちゃっさっ

この、ちゃ行ばかりの前代未聞の文字列、快楽にどっぷり浸かったダディーの脳みそが一時的にオヒリヒンであった事からこの怪文が生まれたのだろう。ここからフェラチオのノイズを取り除くと

しょちょしゃさっ

さらに既存の日本語に変換すると

視聴者さん

となる。最後にA〜Cを繋ぎ、ぷももを文脈に合うよう変換すれば

無音の演芸劇祇園萌視聴者さん

ここにはダディーからの心温まるメッセージが込められていたのだ。順を追って解説していこう。

無音は「ぶいん」が本来の読み方であるが、フェラチオ中のダディーは「い」が発音出来なかった為(歯が当たるから)、「ぷおん」と発していたと考えられる。無音には
①挨拶がないこと。
②久しく音沙汰が無いこと。
という意味がある。

つまり、ダディーは無音の演芸劇祇園で
「この祇園の演劇(→京都で撮影されたガバ穴ダディーというビデオ)は無音である(→挨拶、つまりインタビューパートが存在しない。そして音沙汰が無い、つまりこれが最初で最後の緩次郎出演作品である」
という事を我々に伝えていたのだ。
(島田部長が関西弁なのも京都で撮影したからなのであろう)
萌視聴者さん、これはビデオを購入してくれた見ている方を愛している、という事だろう。


「ぷももえんげぎぎおんもえちょっちょちゃっさっ」
これは
「最初で最後の緩次郎出演作品を観てくれてありがとう。愛しています」

という、普段は真面目で優しい教師であるダディーからの感謝の言葉だったのだ。
この衝撃の事実に、ダディー愛好家の諸君は泣いても泣いてもオッパラディンになるに違いない。

最後に、私からの天国の緩次郎氏、コブラ氏、島田、野獣先輩への感謝の言葉をもって、この考察記事を締めたいと思う。

ドルチェ&ガッバーナありがとう。炭治郎ありがとう。

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