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沖縄へ

 2020年5月24日、福岡の乗馬クラブでの見学を終えて飛行機で沖縄へ向かった。那覇空港に着陸する時に見えた海の綺麗さを未だにはっきり覚えている。透き通った碧い色が目に映ると、全身が清くなり、まるで心がこのような清さを求めていたようだった。
 当時は梅雨の時季だった沖縄だが着いた日は晴れていて、暫くの間私の移動手段になる原付バイクで空港から南城市へ向かった。これが日本で初めてのバイク乗りになる。沖縄への第一印象は、新鮮な感じもなければ、懐かしい感じもなくどちらともいえない感覚だった。南城市に着き少し落ち着いてくると、土地のエネルギーから一種の優しさを感じた。後に生活期間が長くなるにつれてこの優しさが確実な感覚になっていくと同時に、沖縄の土地からもっと深いものを感じるようになる。大学時代に日本の地方に行くようになってから、自分が土地のエネルギーやその地域の自然のエネルギーを感じ取れることを発見した。正確にいうと、その土地や自然環境の特徴を読み取ることだ。そのため、大学院に入った後風土学の研究に注目し、風土学的発展論というテーマで論文を進めた。沖縄は南部と北部に分かれているが、南部の優しい土地エネルギーに対して、北部は強めの土地エネルギーが特徴的だった。当時私はこのエネルギーを北部は武士を育てる土地、南部は文人を育てる土地だと表現した。
 今は沖縄に馴染んでいてふるさとの一つだと思っている。実は来た当初は少し寂しい気持ちもあった。それはすぐに始められる仕事がなかったのと、第一次緊急事態宣言で沖縄は史上に稀な静かさに覆われ、町に一人も歩いている人がなかったからだ。しかし、二週間後ぐらいで仕事がスタートし、社長の紹介で地元の仲里夫婦と知り合ったことで、沖縄の生活は順調に進んでいった。仲里夫婦への印象は優しさと親切さだった。後に多くの沖縄の方の根底にもこのような優しさと親切さを感じられた。日本の地方に行くと似たような感覚も多くあるが、沖縄はそれにもっと素朴さが加わる感じだ。これは最初に南城市の土地から感じていたエネルギーと同じものだった。仲里夫婦の家でよくご飯をご馳走になり、二人を通じて沖縄のことを知り、生活面でも大変お世話になった。沖縄のチャンプルーとそばが実家の料理とも似ていて、人の素朴さも似ていたので親近感がどんどん増えて行ったが、仲里夫婦と知り合ったことと最初に南城市の土地から感じられたものが沖縄の生活に最も大事な基礎を作ってくれたと思う。
 仲里さんと地域を回り地元の方と会うようになってから、年寄りの話す言葉が日本語と全く違うことを知る。いくら努力して聞いても一つも理解できなかった。彼らが話していたのは琉球語であったからだ。このことが私に大きな衝撃となり、ここから私は沖縄を再認識するようになった。再認識しているうちに、大げさになるかもしれないが那覇のような大きい都市以外、日本と沖縄は一つも似ているところがないことに気づく。人の性格はもちろん、文化、話す言葉、生活様式から植物、動物まで違った。後に出会う沖縄の在来種である宮古馬と与那国馬の他の地域の馬との違いからも、沖縄の特性を確認できた。沖縄の歴史と自然環境を考えれば違う理由も容易に分かると思うが、これをどのくらいの日本人が認識できているか。
 1つの国の中に全く違う特性を持った地域が存在し、この違いを私は日本の多様性または豊かさだと思っている。しかし、沖縄を見渡す限り、沖縄らしい政治経済政策はとても薄く感じられる。コミュニティにはまだ沖縄の特性が残っているが、現状のままでは数十年経たないうちに沖縄らしさが完全に消えて行くと思う。ここからは沖縄という地域の課題だけではなく、日本国の最も中心的な課題も見えてくる。南城市に住んで二年、三年目から、最初に土地から感じていた優しさを超えて、もっと大きなスケールで今から一万年以上前のエネルギーを感じるようになった。このエネルギーは沖縄と日本だけではなく、世界にとっても貴重なものであり、我々が忘れ去ったものがそこにあるように強く感じるのだ。

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