《第4回》『死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。』
※当コラムは僕自身の友人や家族の死に関連する体験と、友達から聞いた木村花さんの訃報に関するご冥福、花さんが飼っていた保護猫さん、そして、これからの社会について、色々と思いながら手探りで書いた文章です。※
15歳くらいの頃、村上春樹の『ノルウェイの森』を読んだ。
主人公のワタナベが愛する女性である直子は、主人公の親友である恋人のキズキの自死をきっかけに、少しずつ精神を病み、自ら命を絶ってしまう。
多感な時期だった僕にとって、この小説の筋書きはあまりにも理不尽で、とても耐えられるものではなかった。上下巻を読み終え、救済を求めて、続きのないページを繰る動作を何度もしたことを覚えている。
僕がそれまで触れてきた、どの物語よりも、『ノルウェイの森』の描く死が持つ暴力性は、残酷なものに思えた。
そこには慰めの余地がないのだ。死があまりにも突然訪れる。
そして、作品に込められた死に対する集約されたメッセージが、以下の一文である。
『死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。』
僕がこの一文が持つ本質的な意味(死というものが人生に与える影響)を知ることになったのは、『ノルウェイの森』を初めて読んだ日から、ずっと後になってからのことだった。
思えば、僕の人生は、誰かとの死別によって、鍛えられてきた。
25歳の頃に初めて勤めた会社で、上司に日々いじめのような指導を受けながら過ごし、思い悩んでいたときに、地元の女友達が亡くなったという連絡を受けた。
怨恨による他殺だという。
僕は言葉を失い、会社をしばらく休んだ。そして震えた。25歳の僕にとって、死はいつかやってくるものだけど、突然背中を乱暴に掴むようにやってくるようなものではないと思い込んでいたからだ。
しかし、友人は向こうからやってきた死にある日突然捕らえられ、永遠に会うことは叶わなくなってしまった。痛かっただろうな、辛かっただろうな。
僕には彼女の死を悼み、ただただ祈ることしかできず、一生は一度しかないことを悟った。心に傷を抱えた僕が、会社を辞めようと思ったのは、それから一年ほど経った後のことだった。
『死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。』
その次に勤めた会社でも、僕は幸せな生活を送ることができなかった。寝る間も惜しんで働いても、残業代は出ず、安い給料でひたすら働く生活。労働に使い古された僕は、28歳になろうとしていた。
ある日、いつものように遅くまで残業をしていると、地元の友達から電話がかかってきた。
共通の親友が、自死したという。
すでに親友の葬儀は終わっていて、事後報告だった。僕があまりにも仕事で忙しいことを、地元の友達は気遣い、葬儀の参列に誘う連絡は、あえて控えたのだそうだ。
僕はデスクに向かって仕事をしながら泣いた。
ただただ情けなかった。
働き詰めで、友達の葬儀にも行けない。
周りの人間に気を使わせて、いったい僕は何をやっているのだろう。
自死した親友は、亡くなる前に自分が写っていた写真を全て処分していたと聞いた。楽しく皆で話していても、ふとした瞬間に、何かに怯えたような表情をする、親友の仕草は前々から気になっていた。ずっと、心の中に抱えているものがあったのか。その遺志を簡単に想像することは、とても出来ることではなかった。
最後に親友から連絡があったとき、彼はなぜか、東北にいる、と言っていた。そして、東京に寄るから、二、三日泊めてくれないか、と話した。僕は仕事に追われていて、本当に余裕がなかった。だから、申し訳ないけれど泊めることはできない、と伝えた。彼は寂しそうに、それは仕方ない、と話した。それが最後の会話になるなんて、僕は考えてもいなかった。
僕は、最後の連絡でもらった彼の頼みを断り、あげく、葬儀にも参列することができなかった。
だから、せめて僕は、彼のことを定期的に思い出すことによって、彼が生きた証を、記憶の中に残しておきたいと思った。あるいは、これは終わることのない懺悔なのかもしれない。
『死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。』
そして、僕は今、搾取され続けた会社員生活から離れ、フリーランスライターとして生計を立てている。
フリーランスライターになったきっかけも、またしても、大切な人の死から得た気づきからだった。
母親が再婚した義父が、交通事故で、ある日突然、命を奪われてしまったのだ。僕はその頃、31歳になろうとしていた。
会社員として新規事業を考案・牽引する幹部職につき、代表取締役の名前も、名義だけとはいえもらっていた。やりがいのあるポジションにはいたはずだ。でも、もう全てが限界だった。
『人生は一度きりしかない。自分のやりたい仕事をやれ』
そんなメッセージを、義父の死からもらった気がした。
だから、これ以上、他人の人生を生きて、一生を無駄にしてはいけないと誓ったのだ。
詳しい内容は、以下のコラムにすべてまとめてある。当時、Storys.jpの編集長様からご連絡をいただき、Yahoo!ニュースにも掲載してもらった。大きな反響があった。
ただ、この話には続きがある。
今まで誰にも話していなかったし、どこにも記していなかったけれど、この際、書いておこうと思う。
僕が書いた上記のコラムが、Yahoo!ニュースに掲載されたときに、心無い誹謗中傷のコメントがいくつもついたのだ。
『亡くなった父親を、わざわざ「義父」と記すこの書き手は、きっと父親のことを本気で大切だとは思っていない』
『交通事故の損害賠償についての記載があるけれど、現実にはそんな都合よく話が進むわけがない。嘘を書くのはやめろ』
『ポエムのような文章がうざったい。Yahoo!ニュースに載せるような文体ではない。書き手の自己満足だ』
『なぜ、書き手は育ての親である父親とではなく、別れた母親と暮らしていて、実の父親とは離れているのか。実の父親が可哀想だ』
など。
中には、残された母親にたいしての辛辣なコメントもあったと思う。もう、思い出したくもないので、詳しくは書かない。
僕の家族は複雑で、父と母は離婚し、僕は父方で育てられ、父親のことはもちろん尊敬している。ただ、交通事故で義父を亡くした母親がいたたまれず、父親に断りを入れた上で、母親と共に暮らすことにした時期があったのだ。上記のコラムは、その当時に書いたものである。
しかし、Yahoo!ニュースにコメントを書く人々は、そのような僕ら家族が持つ複雑な事情は一切知らない。だから、本当に好き勝手に書かれていた。
何よりも悲しかったのは、それらのコメントを読んだ母親が、ひどく傷ついていたことだった。
「あなたが交通事故のことを文章にしてくれて、大きなニュース記事にしてもらって、Kくん(母親の再婚した義父)が亡くなったことが、別の交通事故がなくなるきっかけになれば良いと思っていたけれど。なんで、大切な人を亡くしただけでもつらいのに、こんなひどいことをインターネットで知らない人たちに言われなければいけないの」
当時の僕が、どうやって母親を慰める言葉を言ったのか、うまく思い出せない。とにかく、家族に起こった繊細な出来事を、不特定多数の目に触れる話としてまとめあげたことに責任を感じたし、つらかった。
丹精を込めて、書いたつもりだったのだ。
ひとりでも多く、交通事故でひどい目にあう人たちを減らしたかった。でも、全ての人に受け入れられるわけではなかったし、結果的には、理不尽なYahoo!ニュースの誹謗中傷のコメントによって、母親を悲しませてしまうことにもなった。
人の死を背負い、使命感を持って想いを記し、矢面に立つことは、それだけのリスクがあるし、苦しい作業なのである。
なぜこのような文章を、長々と書いているのか。
それは、昨日、木村花さんの訃報について、保護猫を授けてくれた友達が、勇気ある文章を書いていたからだ。
木村花さんは、ひなさんから保護猫を授かり、大切に育てていた。そして、僕が今飼っている保護猫も、ひなさんのところから来てくれた猫さんなのである。
誰かの人生が残したメッセージを、代弁するように文章を書くことは、本当に大変なことだし、誰にでもできることではない。
だから今回、ひなさんが記した文章を決起に、少しでも悼みをわかつ気持ちが世の中に伝わってほしいと思うし、誹謗中傷の連鎖を止めるきっかけとして、これら一連の出来事を、文章を読んだ人たちには、しっかりと心に留めていただきたいと思った。
そして、この出来事でもっとも重要なことは、木村花さんの訃報を皆で悼む、「祈りの気持ち」なのだとも思っている。
今のインターネットは、すぐに争いの世界になりがちだ。すでに、「誹謗中傷をする見えない敵」を槍玉にあげて、何を書いても良いような風潮が起こっている。
でも、本質はそこなのだろうか。拳が当たらない敵に対して、争いを勇んで行っても、皆が怒りに支配されるばかりで、何も生まれないのではないか。
今この瞬間も、木村花さんの死を悲しみ続けている、ご家族やご友人、たくさんの人たちがいることを、決して忘れてはいけないと思う。まずは皆で、そこにある確かな哀しみを悼み、祈ることが、いちばん大事なことなんじゃないのか。
最近、どれだけ祈っても、死を避けることはできないということを思い知らされる出来事が何度かあり、強い無力感を覚えていた。
しかし、それでも祈ることが大事なのだと思っている。
この世界から、少しでも哀しみが減り、幸せな人がひとりでも増えるように、祈りを重ね、言葉を紡ぎ、絆をひとつにしていかなければ、この世界はどんどん荒廃していってしまう。
皆、この2ヶ月間のコロナ禍を経験し、ひとりひとりが助け合わなければ生き残っていけないことに気づいているはずなのだ。
敵を探している場合ではない。
そんな時代はもう終わりのはずだ。
皆、同じ人間だし、心穏やかにつながれば、きっと仲間になれるはずなのだ。
誹謗中傷をしないのはもちろんのこと、それを元に、何を言っても良いと考えて言葉を荒げることも、もうやめた方が良いのではないだろうか。荒んだ言葉は、発した対象には関係なく、必ず自分の元に帰ってくる。
死を悼み、祈りを捧げること。そして、二度と同じことが起こらないように、ひとりひとりが考え、怒りに支配されることなく冷静に対策を立て、皆で心をひとつにすることが、大事なのだと思っている。
とりとめのない文章になってしまったけれど、読んでいただいた方に、何かが伝われば嬉しい。
死は僕達に等しく訪れるものだ。
だからこそ、先立たれた方を悼み、自分自身の人生を省みて、清らかに、心穏やかに生きていきませんか。
『死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。』
なお、木村花さんが飼っていた保護猫は、無事に過ごしていることがわかったとのこと。猫さんが、たくさんの人に愛されて、幸せになることを願っている。
サポートいただけたら、小躍りして喜びます。元気に頑張って書いていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。いつでも待っています。