愛子おばさん
今年5月に伯母の納骨がありました。
伯母は父の姉で、名前は愛子さん。
父と十何歳以上離れており、それなりの大往生と呼べるお歳だった為、お亡くなりになった時は皆んな悲しみと共に、お疲れさま!の雰囲気でした。
私はというと、その2つの想いの他に、もう1つ秘めているものがありました。
愛子さんは実は文章がとても上手で、それを知ったここ約15年、私は愛読者としての立ち位置にいて、文筆家愛子先生が亡くなられた事で、もう新作が読めないのかという喪失感もありました。
昔、実家に帰った時に、
父から「愛子さんの文章すごくて評判なんだけど読む〜?」と言われ、「読む!」と即答。
その後渡されたのはB4用紙を横にした町内会報。活動報告や行事予定が書かれてる中、上半分に愛子さんのエッセイが書かれていたのでした。
その頃、ラジオ番組で400文字の作文を書いて読むコーナーがあり、その紙一枚の中で文字をこねくり回していた身としては、愛子さんの文学的な上品な表現はとても身に染み入りました。子供の頃よりも大人になってからの方が、紅葉の良さがよりわかってくるようなある意味新鮮な衝撃。
ここで切り抜きをご紹介。
父や愛子おばさんの兄弟は6人で多く、その内女性は半分の3人。愛子おばさん以外の2人はすでに他界され、それを寂しく思う一節です。
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まだ二人が健在の頃、私は彼岸花の満開に咲いた美しさに魅せられ、咲かせてみたいと思い、町内の船木さんに言ったところ、
「もう今年は終わってしまったけれど、『花は葉を見ず、葉は花を見ず』と言って、お互いに相手の姿を見ることのない花なの。来年咲いた時、見に来てね」とのことでした。
花の大好きな妹は、翌年六月の始め、わずか五日間の入院生活で他界しました。涙も出ない程の究極の悲しみを味わいました。秋田(愛子おばさんの家)に行くのが一番の楽しみ、秋になれば必ずねと言っていたのに…。
彼岸の前日、墓参りから帰ると、船木さんが満開の彼岸花を届けてくれました。
ラジオの深夜便で、彼岸花の花言葉は再会だそうよ。ああ胸が熱くなりました。そうか、これも世の無情か。花を通しての再会か。船木さんの親切に感謝の思いです。
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納骨には父、母、兄、私の久しぶりの核家族スタイルで車で現地に向かいました。
途中のサービスエリアで、愛子ファンである私は持参してきた(町内)会報をいそいそとテーブルに出し、兄に見せました。
兄は読みながら「愛子さんの文章は、本をよく読む人の文章だね〜」と言いながら、顔が綻んだのを私は見逃しませんでした。
「なになに、どこで笑ったの?」と聞くと、兄が会報を指差した先に『真自』と書いてあった。
本気と書いてマジではなく、真自と書いてしまうあたり愛子おばさんの真面目さがよく表れていました。
愛子おばさん、お疲れさまでした!
またいつか新作読ませてください。