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西野亮廣作品の考察⑦/えんとつ町と軍艦島


えんとつ町のモデルの一つに、「軍艦島」がある。

その軍艦島の具体的にどのような部分をえんとつ町の設定に落とし込んでいるのか、今回はそんなところを書いていきます。

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- 炭鉱の島・軍艦島

軍艦島(ぐんかんじま)は長崎県にある半人工の海上炭鉱遺構で、正式名称を端島(はしま)と言う。幅160m、長さ480mの小さな島で、現在は無人島になっている。その外観が戦艦に酷似していることから、「軍艦島」と呼ばれるようになった。2015年には「明治日本の産業革命遺産」の一部として世界文化遺産に登録されている。

-えんとつ町と共通する部分

①岸壁に囲まれており、さらに鉱業所から黒煙が上がっていた島であること

軍艦島は周囲を東シナ海に囲まれており、毎年台風が来ると島を丸ごと飲み込むほどの高波に襲われ、甚大な被害をもたらしていた。

そのため、島の周囲を囲むように「天川工法」と呼ばれる方法で護岸が造られた。

また、鉱業所からはいつも黒い煙が上がっていた。

②狭い土地に多くの人が住んでいた

軍艦島は周囲に海底炭田が広がっていることから開発された人工の島で、元々は島というより岩礁だった。

その岩礁の周囲を6回にわたって埋め立てし、元の瀬より約3倍の大きさに拡張したが、それでもその面積は0.063km²と非常に小さい。

最盛期の昭和35年にはこの狭い土地に約5300人もの人が住んでおり、その人口密度は世界一だった。
(※これは当時の東京都区部の約9倍の人口密度)

えんとつ町も、狭い土地に多くの人が住んでいる。

③高層化、複雑な街の構造

軍艦島はその人口密度と土地の狭さから、建物は必然的に上へ上へと伸びて行き、どんどん高層化していった。また、同じ理由で地下にも様々な施設が造られた。

これらもえんとつ町と共通する。

日本初の鉄筋コンクリート造の高層アパートが造られたのも、軍艦島である。

(▷右が大正5年に建築された日本最古の鉄筋コンクリート造高層アパート・30号棟)

島には9階建て、10階建てといった高層のアパートが並んでいたが、エレベーターが設置されたアパートは1つもなかった。

代わりに、移動を便利にするために、離れた建物を繋ぐ連絡通路が縦横無尽に張り巡らされていた。

各階に設置された渡り廊下を使えば、いちいち地上に下りなくても横移動で目的の場所に簡単に行くことができた。

他にもいたるところで階段が島中を連結しており、ショートカットで移動できるようになっていた。

そのため、ほとんど雨に濡れずに島内の端から端まで行けたらしい。

こういった様子なので、軍艦島が語られる時にはよく「空中の迷宮」、「空中都市」などという言葉が使われている。

④炭鉱

軍艦島は、三菱が運営する石炭を掘るための島で、日本の近代化を支えてきた炭鉱の一つだった。

国内で最も質の高い石炭を産出しており、主に八幡製鉄所へ原料炭として出荷されていた。

そしてそれは鉄砲や戦車など、軍備の増強に貢献した。
軍艦島は戦争とともに発展した炭鉱だった。

『映画 えんとつ町のプペル』の作中でも炭鉱に関わる様々な描写があるが、前半のトロッコに乗って鉱山の中に入り、「スコップ」に出会うシーンなんかが分かりやすいのではないかと思う。

また「スコップ」や、5月31日発売予定の新作絵本『みにくいマルコ~えんとつ町に咲いた花~』の主人公「マルコ」は炭鉱夫である。

⑤植物がない

軍艦島は半人工の島であり、周囲を囲む人工地盤は、人が植樹しない限り植物が自生することはない。

さらに土地が狭く、岩礁部分にも多くの建物が建てられたために、操業当時の島内には緑がほとんどなかった。

第二次世界大戦後、島内の人口が増えるにつれて生活環境の向上も考えられるようになり、当時国内で徐々に浸透し始めた緑化運動の影響も相まって島内の緑化も盛んになったが、それでも緑は少なかった。

緑少ない島に少しでも緑をという発想から、島内にある病院の壁面が青緑色に塗装されていたり、高級職員のアパートや岩礁の擁壁(ようへき)が薄緑色に塗装されていた。

また、店では生花もよく売れたらしい。
島内に植物がほとんどなかったために、貴重だったのだと思う。

えんとつ町にも植物がない。
厳密に言えば、『映画 えんとつ町のプペル』の頃にはまだ植物がない。

えんとつ町の煙が晴れて3年後を描いた『みにくいマルコ~えんとつ町に咲いた花~』では少しずつ植物が育ち始めてはいるが、まだまだ少なく、“花の価値が高い”ということが描かれている。 

こちらはまだ内容詳しく書けないので、ぜひ発売したら読んでみてください。

(※映画のラストシーンに出てくる崖に咲くタンポポ、要注目。)

⑥青空農園

緑なき島で育った子供たちは畑や田んぼを見たことがなく、野菜がどのように出来るか知らなかった。

緑化運動の影響もあり、後年にはそういった島の子供たちへの教育を一番の目的として、屋上庭園が造られた。

他にも島内には温室がいくつか造られた。

えんとつ町の人たちも、野菜がどうやって出来ているか知らないという設定がある。

⑦海底水道

軍艦島には海底水道があった。

元々は海水から塩を精製する過程でできる蒸留水を飲料水として配給したり、給水船での給水が行われたりしていた。

しかし絶対量が足りず、湧き水なども無いために、島民は深刻な水不足に悩まされていた。

昭和32年になって、軍艦島とすぐ近隣にある高島へ給水するための日本初の海底水道である「高島・端島海底水道」が完成し、ようやく長年の水不足が解消された。

この海底水道は長崎県の本土にある水源から浄水場を経由し、海底に6500mの長さの水道管を敷いて、島まで給水していた。

えんとつ町は、海底に一部の人間しかしらない輸送路があり、そこから様々な物を輸入したり、町で作られた電気を輸出したりしているのだが、これは軍艦島の海底水道をモデルにしている。

西野さんがライブ配信やラジオなどでたまに話していたり、あとは副音声でも話していたはずなので、詳しく知りたい方はぜひ公開終了してしまう前に副音声をお聴き下さい。

⑧スナック

軍艦島にも、1軒だけスナックがあった。

昭和39年、坑内で自然発生した火災の消火のためにやむを得ず最深部を水没させ、採掘現場を失ってしまったということがあった。

新しい炭層を求めて掘り進んだが、石炭以外の残土ばかりを掘り出し、1年もの間炭鉱としての売上が全くなかった。

そのことで将来を心配した多くの労働者が島を出て行ってしまった。

会社は少しでも労働力を失わないために、娯楽施設としてスナックを作った。

(▷島唯一のスナック「白水苑」)

⑨ダストシュートとゴミ捨て場

島の高層アパートには、各階の踊り場にダストシュートの口があり、そこにゴミを投げ入れると1階のゴミ溜めに落ちていく仕組みになっていた。

この時代では、最先端の設備である。

映画の作中、プペルがダストシュートから落ちていくシーンがあるが、高層化した都市では、ダストシュートは必須だったのだと思う。

軍艦島の外海側にある船着場は「めがね」と呼ばれていて、後年にはゴミ捨て場となっていた。

ダストシュートから1階に集められたゴミはこの場所に運ばれ、ゴミは海へ捨てられていた。

鉱山を掘る時に出る余分な残土である「ボタ」は海中に投棄されていたが、大量のボタが出た時は波に流されずにボタ山やボタ浜ができ、通常は波に流されていたゴミも、そこに溜まるようになった。

その後は島南部にあったプール手前の排水路にゴミを捨て、水の力で島外へ放出していた。

閉山の約1年前である昭和48年2月にはゴミ処理場が完成し、衛生面から海へのゴミ捨てが禁止され、焼却炉によって焼却する方法に変わった。

えんとつ町も、渋谷川を通って海岸の方にあるゴミ山にゴミが溜まるようになっており、プペルはここで生まれた。

また、映画の冒頭には焼却炉が出てくる。

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【補足】
※直接的にえんとつ町と関係あるかはわからないけれど、一応、豆知識程度に。

・豊かな生活と最先端の未来都市

島民は皆、炭鉱のおかげで裕福だった。

日本の近代化を支える炭鉱であったため、労働力の確保のために、急速に福利厚生が整えられた。

狭い島ながら教育、医療、商業、娯楽等の施設は相当なレベルで整備されていた。

島は三菱の持ち物だったので、炭鉱従事者は社宅扱いで家賃月10円。水道光熱費はタダ。

給料も高かったが、プラスして労働組合から出勤1日につき32円の「端島手当」も貰っていた。

家電三種の神器の普及は国内最速で、1958年には既にほぼ100%の電化生活だったらしい。

高層アパートに住み、最新の電化製品を使い、商店街はいつも人で賑わい、映画館やパチンコ屋、ビリヤード場といった娯楽施設も充実。

早すぎるほどの未来都市だった。

(▷立ち見が出るほど人気だった映画館「昭和館」)

・島民同士のコミュニティ
軍艦島を語る上でよく出てくるのが、コミュニケーションが濃密であったということだ。

島は高層アパートだらけのコンクリートジャングルだったが、その内部は洗濯場も風呂もトイレもほとんどが共同で、それは「江戸長屋」を彷彿とさせるものだったという。

近所のおかずのおすそ分けがしばしばテーブルに乗り、味噌や醤油が足りなかったら隣同士で貸し借りする。

出かけるときも鍵をかけず、知らない間に家の中に回覧板が置いてあり、喧嘩が始まれば誰かが仲裁に入り長引かせず、トイレはみんなで掃除した。

集団生活はある種の連帯感を生み、もはやプライバシーなどなく、島全体がひとつの家族のようだったと。

そして島では、盆踊りや花火大会、山神祭、運動会、演芸大会など、多くのイベントが行われていた。

こういったイベントを島民みんなが協力して作り上げることが、より一層コミュニティの結束を強くしたのではないかと思う。

(▷山神祭の仮装行列)

(▷夏祭りのヨーヨーすくい)


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- 終わりに

いつも基本をすっ飛ばして応用の応用みたいな、「もしやこうなんじゃね、、?」っていう推論だらけのマニアックすぎる記事を書いてしまうので、今日は公開されてる情報から分かるような基本的なことを書いてみました。

ファンの中でも、そもそも軍艦島がえんとつ町のモデルになっていることを知らないという人が結構いたので、今後はもうちょっと基本的なことも書くように気を付けます、、。笑



《主に参考にしたサイト・文献》
軍艦島|三菱マテリアル株式会社
軍艦島デジタルミュージアム
軍艦島コンシェルジュ
「記憶」の無人島・軍艦島 -廃墟の島・長崎県端島-/柴田弘捷
・書籍『軍艦島入門』/黒沢永紀
・書籍『軍艦島 廃墟からのメッセージ』/坂本道徳
・書籍『地域の発展につくした日本の近代化遺産図鑑 5 九州・沖縄・アジア』/西戸山学

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