最大酸素摂取量(VO2MAX)の向上を目的としたトレーニング?

最大酸素摂取量と長距離走パフォーマンス

最大酸素摂取量(VO2MAX)とは、体重あたり、時間あたりに摂取できる最大酸素摂取量(ml/kg/min)で、長距離アスリートのパフォーマンス指標としてよく登場します。

男性30歳の平均値は、体重あたりで40ml/kg/min程度ですが、エリート長距離選手のVO2MAXは90ml/kg/minにも達するとのことです(参考)。様々な走力の人のVO2MAXを調べていくと次のような関係があることが知られています。

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Sjödin, B., & Svedenhag, J. (1985). Applied physiology of marathon running. Sports Medicine , 2(2), 83–99. より引用

このグラフで、縦軸はマラソンの走速度、横軸がVO2MAXで、VO2MAXが高いほどマラソンペースが速い関係(赤の実線)がおぼろげながら見えてくる気がします。すると、「なるほど!長距離を速く走るためにはVO2MAXを高めればいいんだ!完全に理解したっ!」と、(私は)なりがちなんですが、競技レベルのランナーの方はもう少しじっくり考えてみても良いかもしれません。今度は下図でマラソンタイムが2時間30分よりも速いランナーだけを見てみてください(赤点線内)。

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この範囲のランナーを見る限り、VO2MAXがあまり高くなくてもマラソンが速い人も、その逆の人もいます(矢印)。このように、比較的レベルが高いランナーの間ではVO2MAXと競技力にほとんど、あるいは全く関係が認められないというデータは一貫して報告されています。

例えば、キプチョゲ選手を擁するBreaking 2に参加した16名の超エリートランナー(マラソン平均ベストタイム 2:06:53)の平均VO2MAXは71mL/kg/minであったと報告されています(Jones, 2021)。これは、競技レベルのランナーの平均的な値と変わらないどころかやや低い値です。例えば、日本のトップランナーのVO2MAXを調べた研究では、日本人ランナーの平均値は75.5mL/kg/minだったという報告もあります。 

個人内のVO2MAXの変化については一般に、競技レベルのトレーニングを積むと数年で頭打ちになり、それ以降は殆ど増加しないことが知られています。例えば、前女子マラソン世界記録保持者のポーラ・ラドクリフ選手は、1992年から世界記録を出した2003年の間にVO2MAXの有意な増加はなかったことが知られています。

とはいえ「速いランナーは少なくても70以上あることが多いのは事実だし、そのレベルに至っていないのならまずはVO2MAXを鍛えるべきだ」という考えがあるかと思います。しかし、それはまだ開発の余地が残されている未成熟なランナーの話であって、数年競技レベルで行っているランナーが仮に70mL/kg/minに満たないVO2MAXだった場合の戦略といえるかについては私は懐疑的です。VO2MAXのレーニングに対する反応性は遺伝的要因が大きく、同じようなトレーニングをしても大きくVO2MAXが向上する人と、あまり向上しない人がいることも知られているようです。

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パワーズ運動生理学p512より

このことからも、十分にトレーニングされた競技レベルのランナーのVO2MAXが低いことは、必ずしもVO2maxを高めるトレーニングによる開発の余地が大きいことを意味しません。

ここまでをまとめると

・ある程度経験を積んだ競技レベルのランナーにとってVO2MAXの向上はほとんど期待できない
・けれども、そもそも一定レベル以上のランナーのVO2MAXと競技力にはほとんど関係が認められないので、VO2MAXの向上にこだわる理由も見当たらない

と考えています。それでも経験豊富な競技的ランナーはVO2MAXの向上に効果的なトレーニングを行う理由は何でしょう?

結局は競技的ランナーもVO2MAXを向上させそうなトレーニングを行なっている

ところで、そもそもどのようなトレーニングがVO2MAXを高めるトレーニングでしたっけ?シンプルに考えると、VO2MAXに達するような負荷をできるだけ長い時間かけることがVO2MAXを向上させるトレーニングだと考えられますね。実際に、VO2MAXが頭打ちになっていないレベルの人であれば、1回あたり4分〜8分ぐらいの高強度を2〜4分程度の休息を入れながら4〜5回繰り返すようなインターバルトレーニングがVO2MAX近くの刺激時間を最大化させ、VO2MAXが比較的よく向上させることが報告されています。

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エンデュランストレーニングの科学p33

こういったトレーニングはトップレベルの選手でも1600×nとか、2000×nとかのトレーニングで類似する負荷をかけているように思われるわけですが、前述の通り、競技レベルのランナーでは、このようなトレーニングがVO2MAXの向上に寄与する事実は(ほぼ)ないわけです。にもかかわらず、一部のトップランナーは長期に渡って競技記録を更新していきますね。なぜでしょう。

ここで基本に戻ってみましょう。そもそも、競技的ランナーのトレーニングの目的は、”決められた距離を速く走ること”です。決して”VO2MAXを高める”ことではありません。競技的ランナーにとっての”決められた距離を速く走る”ためのトレーニングが、たまたま未成熟なランナーの”VO2MAXを向上させるようなトレーニング”と一致していたと解釈してはどうでしょう。たまたま、と言っても理由はあって、VO2MAXは12分程度でオールアウト(疲労困憊)するようなペースで走るときにVO2MAXは生じるわけですから、これは競技レベルのランナーが3000〜5000m走るときと同じような負荷だと思いませんか?そうです、要するにレースのような負荷を身体にかけようとすると、VO2MAXへの刺激を高めるようなトレーニングに必然的になってしまうのです。しかし、実際にはそのトレーニングで競技的ランナーのVO2MAXが高まることはほぼ期待できません。しかし、繰り返しレースのような刺激を受けることで速く走れるようになる人はいます。でもこれは”VO2MAXトレーニング”のおかげでしょうか?

当然ですが、速く走るための要素はVO2MAXだけではありません。というより、VO2MAXは前提条件似すぎず、競技レベルではほとんどがVO2MAX以外の要素といっても良いかもしれません。あえてVO2MAXを使った指標とするならば、VO2MAXに達するときの走速度が長距離パフォーマンスに直結します。なので、おすすめはVO2MAXに達するときの走速度(velocity of VO2MAX, vVO2MAX)を高めることを目的としたトレーニングに励むことです。この指標は誰でも簡単に測定できて便利です。12分全力で走ってその時の距離を12分で割ればよいのですから。ただ、お気づきかもしれませんが、この指標に求められるものはレースを走る能力”そのもの”ですね。

ということで、VO2MAXが高まりそうで実際ほとんど高まらず、でも速く走る事に効果はありそうなトレーニングのことを、VO2MAXトレーニングと呼ばれているのかな?と推測していますがどうでしょうね。個人的にはVO2MAXトレーニングと呼んでいると、VO2MAXを高めることを目的としたトレーニングと理解されそうなので、事実に対しての誠実さが足りない気がしています。で、いわゆるVO2MAXトレーニング(例、1600m×n)で設定されるべき目的は、VO2MAXの向上ではなく、(トレーニングのフェーズにもよるけど)より速く、より楽に(といっても最後はキツイけど)走り切ることに置かれるべきでしょう。VO2MAXの向上を目的にしてしまうと何が良くないかというと、どんなタイムであろうと、どんなフォームだろうと、酸素摂取量さえ限界近くで長い時間確保できればVO2MAXに対する刺激は与えられますよね。これはキツければOKみたいなトレーニングになってしまうかなと。

基本的に私は長距離競技のトレーニングの目的は、1)鍛錬期、様々な走速度の維持時間を伸ばすこと、2)調整期、競技距離に応じてそれぞれの走速度に対する維持時間のバランスを取ること、になると考えています。そのトレーニングの中で、競技者が配慮すべきもの(あるいは配慮可能なもの)は走速度とその維持時間であって、その変化の中でVO2MAXを含む色々な科学的指標がどのようになっているかについては、研究者の興味であっても、競技者にとって役立つ指標では(今の所)ないのではないでしょうか。


参考文献

Jones, A. M., Kirby, B. S., Clark, I. E., Rice, H. M., Fulkerson, E., Wylie, L. J., Wilkerson, D. P., Vanhatalo, A., & Wilkins, B. W. (2021). Physiological demands of running at 2-hour marathon race pace. Journal of Applied Physiology, 130(2), 369–379. https://doi.org/10.1152/japplphysiol.00647.2020