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2024年日本選手権マスターズ1500m参戦!

2024年6月30日、新潟県ビックスワンで開催された日本選手権のサブイベントとして行われたマスターズ1500mに出場した。出場が決まってから数ヶ月間、自分にとってはこれ以上ない舞台と思い、この日をターゲットにトレーニングしてきた。トレーニングは極めて順調にこなすことができで、ここ最近にないほど完璧な仕上がりでレースが楽しみで仕方なかった。

ただ、その対戦相手は・・・

2組目、M40 800m日本記録保持者楠本選手、M40 5000, 10000m日本記録保持者中村選手、M40 1500m日本記録保持者堀選手 など激戦の40代と同じ組!! ※尾田選手(前M40 1500m記録)は欠場

ということで、持ちタイムも上、ラストのスピードも上、(おまけに年齢も上)、、という相手。そこで考えたレースプランは序盤に一気に集団を突き放し、後ろの集団が牽制し合う隙に大きく差をつけて逃げ切るというもの。失速のリスクは高いが自分が勝てるとしたらこのパターンと考えた。あるいは序盤は集団に身を任せ、確実に行ける距離でロングスパートするという作戦もあったのだか、せっかくの舞台で牽制しあってラスト勝負するのも気乗りしなかった。失敗のリスクは低いけれど面白みに欠けるし、仕上がりも良かったので負けたとしてもせめて好タイムを、、と考えたからだ。ただ、この作戦の難しいところは序盤のスピードアップが中途半端だと着いてこられてペースメーカーになって終わってしまうし、後ろに着かれないほどのスピードを出すのはかなり脚を使ってしまうという事である。なんとか最後まで逃げ切るだけの脚を残しつつ、相手が反応できない程度のスピードを出すことが至上命題であった。

 そしてレース・・・予想通り最初の300mが全体的にやや落ち着いた入りとなり牽制ムードが感じられた。その瞬間に自分は一気にスピードを上げ5mほど差をつけた。そこで緩めると集団にじわじわ詰めてこられるのでさらにスピードを上げて後方集団にとって追いかけるがためらわれるような状況をつくった。
 800mの通過を2分6秒(64秒台、62秒台)で行き、ラスト1周(1100m)て2'56"ぐらい。後方とはそこそこ差をつけているのをモニターで確認(5秒ほど差をつけていた)。

モニターでチラリと後方を確認

まさに思い描いたレース展開になった。あとは本番の奇跡を信じて400mを突っ走るのみ!ここから先はトレーニングでも全くやっていない領域であったが、大舞台ならやれるだろうという根拠のない自信があった。

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 が、、現実は厳しく、残り300mで一気に打ち上がり脚が止まった。残り200mで後方の気配を感じ残り150mで3人に抜かれ、100mでさらにもう1人に抜かれ5位、4'07"22。ラスト400mは71秒かかったようだ。 

↓息子撮影のノーカット動画

 悔しい、、、が、あと自分には何ができただろうか。と考えるとここまでの準備も含め思いつく限りの手は尽くしたように思えた。過去に戻れたとしても同じような事しかしないだろう。結果論ではあるが後わずかに前半のペースを落としてラスト1周の脚を残せたら結果は違ったかもしれない。しかしレース中に後方との距離は正確に把握できないし、誰かがペースの指示を途中で与えてくれない限りは難しい要求にも思える。

 若い頃から全国レベルの大会に出てきたような選手にとってはこの日本選手権オープン種目はちょっとしたイベント感覚なのかもしれないけれど、若い頃に強く願っても叶わなかった日本選手権に例えオープン種目であっても出れる事は自分の中ですごく大きな事で、この歳(37歳)にして自分を一段階成長させようという大きなモチベーションとなった。特に精神面では、レース前もレース中も地元のちょっとしたレースと同じぐらいの緊張感のまま集中力だけ高める事ができた。これは自分にとって新しい感覚だった(昔はレース数日前からガチガチに緊張してた)。そのきっかけは、おそらくレースに向けて守りをイメージするのではなく、攻めをイメージすることで精神的に安定する事に気がついた事だ。今回で言えば、「誰も引っ張らずスローになったらどうしよう」「誰かがハイペースで抜け出したらどうしよう」など、自分ではコントロールできないことに対する守りについてあれこれ考えるのではなく、「自分が序盤でスピードアップしてハイペースで行けるとこまで行く」という自分でコントロールできることだけシミュレーションする事ができた。今更感はあるが、自分でレースを作る強さの重要性をようやく理解できた気がする。そう、自分がレースの主導権を握る覚悟を持つことはレースそのものよりもレースまでのトレーニングプランや精神衛生の上で有利に働くのだ。

何はともあれ「俺の日本選手権」はM40クラスの諸先輩方にボコボコにされ終わってしまった。しかし自分の強みとする中間のハイペースはそこそこ通用する事がわかった。もう少し自分でレースを作る練習とラストスパートを磨いて40歳になる頃には完全体になりたいと思った。

ここまで熱くさせてくれる機会をくれた方々、一緒に走ってくれた方、サポートしてくれた方々、応援してくれた方々に厚く御礼を申し上げます。