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好きなことを毎日12時間やったらブラック?
プログラミングが好きだから、1日12時間ディスプレーとにらめっこ。
これはブラックと呼べるのでしょうか。呼べませんよね。それにもかかわらずブラック呼ばわりするひとの何と多いことか。
みんなブラックの意味を勘違いしています。
ブラック企業が流行っている今、何をもってブラックとするかをはっきりさせるべきでしょう。
まわりがブラックブラック言うからブラックと考えていては、やりたいことも見失ってしまいます。そこは自分のなかではっきりと線を引くべき。ブラックの判断を他人に任せてはいけません。
最終判断は自分で!
やっていることがブラックかどうかなどは、最終的には自分で判断するようにしましょう。
単に労働時間か長いのか、やりたくないことをやらされるのがブラックなのか。
最終判断を他人に任せるようではダメでしょう。それでは操り人形と何ら変わりありません。
やりたくないことを延々とやらされればブラック、やりたいことならばブラックではない。
わたしはこう考えますが、これはあくまでも一例です。遊びが第一だというひとにとってはこれは必ずしも当てはまりません。ブラックという言葉ひとつとっても、考える余地が多分にあります。
何回も言いますが、判断をするのはあなたです。まわりのひとではありません。判断を常に他人任せにしていると主体性が失われ、いつしかネガティブ思考になっていることでしょう。
主体性をともなわなければ、どんどん負の方向にすすんでいく。この点留意すべきです。
寝食忘れてやってもいいじゃないか
みんながブラックだブラックだと言っていても、あなたがブラックだと感じなければブラックではないのです。
寝食忘れて取り組むことの何が悪いのか。好きなことをそれぐらいやったって何も悪くないでしょう。
好きなことに夢中でブラックだとか言われても、本人からすれば関係なし。他人には止める権限はありません。
そもそもの話、ブラックが連呼される背景には楽したいからというものがあります。楽して稼ぎたいだの暮らしたいだの、虫がよすぎるでしょう。
仕事を悪として、ひたすら遊ぶ方向へと走ってしまう。そんなことしてたら好きなことで生きるなんて到底ムリです。
みんながブラックだブラックだと連呼する環境において、忍耐力があるというのはそれだけでアドバンテージです。
大半のひとはちょっと苦しくなっただけですぐにやめてしまいますが、忍耐力があれば耐えられる。苦痛に耐えて乗り切った結果得られるものもあるでしょう。
そういうわけで、ひとつのことにトコトン取り組めるひとにとってブラックが連呼される環境は都合がいいんです。
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