小林賢太郎は何故オリンピックの演出をやろうと思ったんだろう??

小林賢太郎さんがオリンピックの開会式の前日に演出の職を解任された件について、僕がtwitterでしつこく擁護の投稿をしているのは、別に彼が清廉潔白な人格者であるからではなく、ただ好きだからです。実際問題、今回のユダヤ人虐殺ごっこ、の不適切部分があるコント以外にも、「おいこれ見つかったらやばいんじゃないか?」と思うコントにも幾つか心当たりありますしねw

今回の問題は、職を解かれるとするのは厳しすぎじゃないかと個人的には思ってますが、ではコバケン問題が「昔いじめをやっていた」ってモノだったとしても、僕は擁護に走ったことでしょう。

ん~流石にそれは無いかw 僕は昔いじめられっ子だったからちょっとそうなったら事情変わりそう。勿論、賢太郎はいじめとかするタイプの人間じゃないし、そう言う人間性から作られる作品を見せてくれるからこそ好きになったわけですが。ともあれ、彼が「本当に悪いこと」をしてたとしても、僕はやっぱり彼を擁護したいと思ったと思うのです。

まぁ、要するに僕の賢太郎擁護は別に高潔な意識からくるものではなく、単なる身びいきみたいなものなわけですね。

だから、「小林賢太郎嫌い!」となった人がいても仕方ないかと思います。もともと彼の笑いが好きじゃない人はいて当然だし、今回の件で彼が「ホロコーストを笑いものにする」と誤解した人がいてもおかしくない流れには間違いなくなってます。そんな中小林賢太郎に「否」を突きつける人が出てくるのも致し方ない。

所詮人が人を評価するのは好きか嫌いかで大分左右されるもんですからね。

仕方ないんですが、やっぱり大好きなコメディアンが、世間一般で「悪しき者」と言われるのは心底嫌なんです。誤解されてる!と思うから尚更。

そんわけで、「擁護する点があるから擁護する」わけではなく「擁護したいから無理やり擁護ポイントを探す」事を始めた僕ですが、僕は小林賢太郎について全然知らなかった事に愕然としました。

ラーメンズのDVDは全て持ってますし、ソロパフォーマンス『ポツネン』シリーズ、NHKで不定期に放送されていた『小林賢太郎TV』、ユニットコント『ゴールデンボールズ』、小林賢太郎演劇公演『KKP』、その他にも色々、流石に全てではないんだけど、持ってない作品の方が少ないと断言できる程度には作品を集めている僕です。戯曲集も持ってるし、対談集みたいのもあしましたっけ。

なので、僕は自分がコアな小林賢太郎ファンだと思ってたんですが。

youtubeのラーメンズ公式で公開されているコントの広告収入が、災害復興のために全額寄付されていることを知りませんでした。

正確には、2017年に公開されたときに記事は読んだ記憶があるので、寄付されてること自体は一旦目にしているはずです。しかしそれをきちんと記憶してませんでした。

さらに、小林賢太郎のソロ活動「小林賢太郎のしごと」で公開されている動画の広告収入が障がい者スポーツ協会に寄付されている、と言うではないですか。こちらは完全に初めて知りました。

いったい僕は小林賢太郎の何を見ていたんだろうか・・・。

正直ここ数年はラーメンズからは随分離れておりました。youtubeの動画は一回も見たことがありませんでしたし、DVDも年単位で眠ったままです。テレビで放送された小林賢太郎テレビも、レコーダーに録画されたまま未だ「未見」マークが付いてます。

舞台はそこそこ見に行ってたと思いますが、毎回、ではなくなってたと思います。最後に見たのは「うるう」の再演だったか、「TAKE OFF」を演者三人と見ながら解説を聞く、と言う公演だったか。

カジャラは一応全部見てたかな。

でも、深く追うことはしなくなってたんですね。どこかの雑誌に少しだけコメントが載るとかでも、昔はその数行のために雑誌買ったりとかもしたかと思うんですが、最近はその情報すら知ろうと思わなかったんですね。

別にこれで「自分はファン失格だ!」なんて思いませんしいいじゃん別に、と今この瞬間も思ってますがw、ともあれいろいろ知らないことばかりであることに気づきました。

賢太郎が解任された、と知ったときの僕のつぶやきは最初は全然深刻なものではなく「まさか解任されるとはw」「息苦しい世の中にならないといいなぁ」みたいな暢気なものでした。

でもそれどころでは無くなりました。

だって、調べた小林賢太郎はとんでもなく素晴らしい人だったんですよ。

ただ面白いコントを書く、センスのあるコメディアン、僕の好きな小林賢太郎、なだけじゃなかったんです。

面白いコントを書き、その上で自身の作品から得られる収益を災害支援に、障がい者スポーツ支援に充てる、物凄い人格者だったんです。

その上、SNS上に溢れる小林賢太郎擁護の発言を見ている中で気づかされるわけです。

今の小林賢太郎は、人を傷つけるお笑いはやってないじゃないか。

上に書いたように「やばいんじゃない?」とも取れる作品にも心当たりはありますがそれはかなり昔の作品だったと思います。

では、最近見た作品はどうだったろう?

思い返すと、人を笑いものにするようなものはあまり無かったと思います。ごめん、一切無いとは断言できませんちょっと自信ないw

でも、テレビで見るような、他の芸人さんを馬鹿にするような、弄るような、そんな笑いは絶対にしてないと断言できます。

・・・なんでこんな小林賢太郎が批判に晒されなければならないんだ??

ユダヤ人大量虐殺ごっこ、は間違いなくフォローのしようが無いくらいの良くない台詞で、そのことを批判されることに関して、どんなファンであろうとそれ自体を否定する事は出来ないと思います。台詞自体はね。

しかし23年前の作品、その後そういう笑いからは離れていて、今は困った人に寄付をしている人間を、「こいつ昔悪い事言ってたから」でこき下ろして言い訳が無いじゃないですか。職を奪って良いわけないじゃないですか。

異論は全然認める!

まぁ僕は「今の小林賢太郎たたきは良くない!」と心底思っています。

なので、今後も誤解を解く、もしくは彼の良さを知ってもらう、ための何か行動が出来ればいいなと思うし、現在は毎日彼のコント動画をツイッターで発信し、再生して貰う切っ掛けを作れれば良いなと思って、フォロワーあんまり居ないけどしつこく呟いています。


さてここからが本題ですw

なんで小林賢太郎、オリンピックの演出とか引き受けたんだろう?

僕はね。最初その話が発表されたとき、「似合わない」と思いました。

あと、「つまらなかったらどうしよう」と心配しましたw

それに関しては、僕は好きだけど、万人受けする芸風かっていうと少し疑問だし、それに僕自身も大好きで色んな公演を見に行きましたが、その中で正直「これ何処が面白いの?」「今の全然意味分からん」なんて思うことが多々ありましたしねw 笑うこと、面白いと思うことの方が圧倒的に多いのでそこまで気にはしませんが、それだけに「??」の部分もそれなりに印象的であり、そう言う部分が出てしまったらどうしよう、と思いました。


んで、似合わない、って件ですが。

コロナ等で五輪自体の開催が怪しくなる前、彼は「パラリンピックの閉会式」の演出をするとなっておりました。そちらは、なんか「似合ってる」と思いました。

オリンピックが始まり、盛り上がり、終わって、パラリンピックが続いて、そしてそういったお祭りが終わる、その間際に、それらの熱かった日々を、ちょっと独特な目線で総括して、ユーモラスに終わらせていくのなら、似合ってるなぁって思ったんです。

結局パラリンピックって、正直オリンピックと比べると盛り上がりは薄くて、さほど注目もされないイメージなんですよね。

僕もオリンピックの方は色んな競技を観ますが、パラリンピックって殆ど見ないです。ニュースでもそんなに報道してる記憶が無いかなぁ。

そう言う、ちょっと一般の人の注目から逸れているところで、実際は面白いそれらの事象を上手く作品にするのが得意な人な感じがするんですよね。

それで僕はパラリンピックに興味を持ったくらいですから。


だから、五輪の開会式閉会式の演出を一手にやる、と知ったときは、なんで?と思いました

柄じゃない・・・って事は、ファン以上に本人が分かってるんじゃ?と。

疑問に思ったもんですから、色々考えました。

一つはやっぱり、パフォーマーを引退して裏方に徹することにしたから、ってのがあるのかなぁ、と。
本人は出演しない、総括って言う役職だとすれば、五輪ほど大きいものはなかなか無いし、ここは腕のみせどころ、自身の売りどころではないか、と考えるのは別段不自然ではありませんよね。本人が出る舞台としては似合ってないかもしれないけど、演出して盛り上げていくという意味では「今後裏方一本でやっていくとしたらこれほど大きな名刺はない」と。

そう言う考え自体ちょっと僕の知ってる賢太郎とは離れてる気もするけど、自分の作る世界には勿論自信はあるだろうし、見せたいって気持ちは間違いなくあるんじゃないかと。

ただ、この一連の問題に関して、日々色々思ったり、過去の作品を見直してみたり、オリンピックの開会式(クレジットこそ消されているものの彼の作品と信じてます)を見てたりすると、強烈に感じることがありました。


小林賢太郎、日本が好きなんだろうな~ってことです


「お笑い」を生業にしている人は、チャップリンみたいな無声のものを除けば大体の日本のコメディアンは日本語を操ってそれを笑いに変える、ある意味日本語のエキスパートなんだろうなって思うんですが、小林賢太郎は特にその傾向が強いんじゃないかなって思うんですね。

ちば!しが!さが!なんてのが昔ネットで流行った記憶があってそれがラーメンズのネタなんですけども、語感や言葉の並び、音から来るイメージなんかを上手く使って笑わせてくれるのがラーメンズ、小林賢太郎なんだなーって思います。小林賢太郎作品を見てると、強くそう思います。同音異義語を上手く使ったコントや日本語の並び替え、50音で遊ぶネタなど、言葉そのものを武器とした作品が多いんじゃないかなと。

また、小林賢太郎ソロのyoutubeちゃんねるで公開してる『NAMIKIBASHI』(映像作家・小島淳二とのユニット)名義の作品Japanese Traditionシリーズは日本の独特の物や風習を面白おかしくパロディーにしている作品で、まぁ茶化してる、と見ることもできますがw、個人的には日本に対する愛情を感じたりします。

勿論それだけではないですから、言葉を使わない笑いやパントマイム、絵を使ったもの、音や映像を使ったものも多く在りますが、特に開会式の「各国の選手入場が50音順」っていうのを観るにつけ、賢太郎らしいと思うと同時に、「日本を大事にしてるんだな、日本を見せようとしてるんだな」と思ったんです。

それらを意識したときに、小林賢太郎が何でオリンピックの開会式の演出なんか受けたんだろう、と言う疑問が氷解したような気がしたんですよねー。

単純だったのかな、ただ「日本が好きだから日本のオリンピックの演出やった」ってことだったんじゃないかな、と。


だとしたら、日本のオリンピックの関係者が彼に下した裁定は最低のものだったと思ってしまうわけです。

こんなに日本を愛し、日本の災害のために尽くし、障がい者のかたがたのために尽くした人が、なんで言語道断であるものかと。


彼ほど日本のオリンピックの精神にふさわしい人材は居ないじゃないかと。

ユダヤ人~の発言は良くなかったけど、23年前の駆け出しの頃の話、今は違うことをやっていて、人々を助ける活動をしている人間です。今素晴らしい人を、たった一言で粉砕してしまうほどホロコーストの問題は大きかったのかもしれませんが、それでも、運営の方々や日本の首相には擁護して欲しかった。

解任は仕方ない、だから解任する、はまだいい。

でも、今の彼を見てほしい、今の彼は素晴らしい人間になっている、と言うことは出来るしそこで日本の信頼が損なわれることは絶対に無いと思う。

何も知らないで言葉の表面だけ見て彼を非難し職を追い、「言語道断」などという言葉で切ってしまっていい人間じゃないはずだと思うのです。


あれま、5000文字を超えてしまった。

文章を上手く纏めることが出来ないのでこれで終わりにします。

日本語を操るのってむずかしいな。伝えたいことが全然形にならなかった。

ペンは剣よりも強し、と言う言葉がありますが、僕はこの言葉が好きです。

でも、今回はそのペンによって大好きな人が傷つけられてしまいました。

でもでも。小林賢太郎がペンによって作り出した様々な世界、様々な言葉に笑わせられ、楽しませられ、救われてきたファンである僕は、せめて誰かを良い方向に導くためにペンを使っていけたらいいなと思います。

毎日twitterに小林賢太郎の動画を張る程度のことしかしてない僕ですが、せめて一人でも、一瞬でも、一ミリでも、小林賢太郎へ向けられたヘイトを晴らす一助になってくれればいいなと思いつつ、一旦ペンを置くとしましょう。

キーボード打ちだけど。

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