小林賢太郎は人を傷つけない笑いが作れるのか??

五輪解任にあたっての、彼のコメントにこんな部分があります。

『ご指摘を受け、当時のことを思い返しました。思うように人を笑わせられなくて、浅はかに人の気を引こうとしていた頃だと思います。その後、自分でもよくないと思い、考えを改め、人を傷つけない笑いを目指すようになっていきました』

さてさて、小林賢太郎は人を傷つけない笑いを作り得ているでしょうか??


僕が思い出せる限り、誰かを極端に馬鹿にして攻撃しているような作品は少ないと思います。

誰かを笑いものにしたり、弄ったり、その人の短所や身体的特徴をネタにしたり、と言うものは思い出せないし、激しい突っ込みや暴力的な動きとかも記憶にありません。転がしたり叩いたり、みたいのはあったかもしれませんが、そんなに強いものではないと思います。

twitterで、お笑いをやってらっしゃる方が10年前の出来事として、「小林賢太郎(他1名)と飲んでるときに、小林賢太郎さんの舞台に死体役でいいから出してと頼んだところ、”自分の舞台では、人に悲しい思いをさせたくないから誰も死なないんだ”と言われた」と言われたというお話を書き込んでおられました。

五輪の件の言い訳として「人を傷つけないお笑いを志向している」と書いたわけでもなんでもなく、実際にそう言うお笑いを目指してたんだな~と思います。


では、「その後」の小林賢太郎の作品を見て不快になる人は一切いないでしょうか?

勿論そんなことは無いと思います。

僕は一日一作品、twitterでyoutubeに公式にあげている彼の作品をアップしているんですが(2021日本オリンピックからその年が終わるころまでやってました、今はやって無いです2023年2月現在)、その中で「これは誰かを傷つけてるかもしれないw」としてあげたコントがありました。あくまで、ホロコーストを揶揄した悪人見たく言われている彼が本当は人を傷つけない笑いをしていると言う事を伝えてる上で、それでも無理に解釈すれば傷ついてる人が居るかもとも取れる、って言う皮肉っぽい意味で言っただけでは有りますが、一応紹介します。

「不思議の国のニポン」と言う作品です。

登場キャラクターは外国人と思しき、教師役のコバケン、生徒役のギリジン。日本の都道府県を「名前→特色」みたいな感じで教師が紹介、生徒が復唱していく内容ですね。

日本人が正確に教える、と言うものではないため、誇張してたり、日本人だと特に疑問に思わなそうな事象に疑問を持って突っ込んだり、(確信的に)間違ってたりして、僕としてはとても面白いと思ってるコントですが、一部の県に住んでらっしゃる方は「なんだそりゃ!」と腹を立ててしまうこともあるのかな、なんて思ったりしました。飛ばされる県があったりね。あんまり特色が無いと言う事をネタにしている部分で、その県に住んでない僕は笑いますし、その県に住んでる人でも『翔んで埼玉』的に「マイナス点をネタにして逆に笑う」と言った感覚で居てくれたら笑えるでしょうが、ひょっとしたらそれに腹を立てる人はいるかもな、と思いました。

一部、県そのものより有名な地域がある場所なんかはそっちの名前で紹介されたりね。その県のほかの地域の人も「確かにそっちが有名だけどww」と笑ってくれるのが殆どでいてくれるとは思いますが、気に入らん!って人も居ないとは限らない。

そもそも「ニポン」と言う言葉がけしからん!って人も居そうですよねw


この件に関しては、考えたら際限が無いかな、と思うくらいには捕らえ方に幅がありますし、人の置かれている位置は人それぞれみんな違いますから、「絶対に誰も傷つかない」は不可能なのかな、とは思いますね。

親と子のコントを見て、親が居ない人、子に死なれた人は不快に思うかもしれない。

日本語を主題として使うコントを見て、字を読めない人が見て置き去りになった気がして寂しい思いをするかもしれない。

あまり頭の良くないキャラクターが出てくるコントを見て、嫌な気分になる人が居るかもしれない。

外国人っぽいキャラを演じること自体が不謹慎!と思う人だって居るかもしれない。

そもそも、痩身高身長のラーメンズの二人の立ち姿を見て、背の低い人が気に入らないと思うかもしれない、痩せるのが苦手な人が腹を立てるかもしれない。

それどころか、イケメン(諸説ありますw)のコバケンを見て、コントの内容以前に嫉妬してしまう人だって居るかもしれない!


twitterだと思いますが誰かの書き込みで、「真っ白な紙を見せて”これが人を傷つけない漫画です!”と言っても、”バカにされた!”と腹を立てる人が居るから、人を傷つけない表現というのは出来ない」というのがありました。

読んで「なるほど」と思いましたけども。


さてさて、では小林賢太郎がやろうとしていること、やっていることは「無駄な努力で意味の無いこと」「出来もしないこと」でしょうかね。

そんなことはありませんよね。


僕は、工事現場で働いている人間です。現場作業員、ってヤツですね。職人さんです。

工事現場に行くと、看板に「災害ゼロ運動」と書いてあるのを見かけます。大体普通の建築業者の下で仕事をするときはこう言った文言がかかれています。現場では災害ゼロを目指す旨かなりしつこく教育されます。

ここで言う災害は、事故による負傷や死、の事を指します。

現場での死亡災害を無くそう、怪我をゼロにしよう!という訳です。


現場で、災害をゼロにすることは可能でしょうか?

無理でしょうね。


挟まったら確実に死んだり骨を折ったり体が潰れたりするレベルの重量のある資材等を取り付けたりする。建物を作るのに必要な鋼材は角が尖っていたり鋭利な刃物のようになって居たりしますし、細長く刺さりそうな鉄材も良く使います。

それらを日常的に扱っていて、怪我をしないわけがありません。

死ぬ、というところまでいくのは珍しいですが、根絶は出来ません。一件でもそんなことが起きたら、それは当然色んな人が責任を取ったり様々な書類を書いたり、何より亡くなった人の周りの人が大いに悲しみますし、そもそも本人が死にたくないと思っているでしょう。それでも、建築業界で年間の死者がゼロになったことはありません。

業界全体で見なくても、一つの現場の中でだって、死ぬ、は希少なものですが、怪我は殆ど日常的に存在すると見ていいでしょう。それを報告しないと労災隠しになってしまいますから本当はどんな軽微なものでも言わなければいけませんが、ちょっとした切り傷、擦り傷ぐらいで申告する人はあまりいません。でも絶対に存在します。僕もよく怪我してます。

では、災害ゼロ運動は無駄なお題目なのでしょうか。

そんなわけはありません。

災害1くらいに留めておきましょう運動、なんて題目、唱えられるわけがありませんw

というか、「ちょっとならあってもいいや」なんて気持ちで現場を管理したら、災害はどんどん増えていくんじゃないかと思います。怪我や事故は、基本的には気の緩みからくるものが多いですからね。

0を達成することは、ほぼ不可能といっていい。

でも、0を目標にしないと、少なくとも0に近づいていくことは出来ないのでしょう。


民主党政権下、蓮舫議員が事業仕分けにて次世代スーパーコンピューター開発の資金を減らそうとした時に、「世界一を取ることで夢を与えるのは、プロジェクトの目的の一つ」と説明した当該担当者に対して「2位じゃだめなんでしょうか」と言ったのは有名な話です。

2位でいいや、なんて思って開発をして、実際に2位にはなれないでしょう。きっと、トップ10にも入れないんじゃないかと思います。

1位じゃなくていいや、と言う気持ちで世界最高のものを作るのはおそらく難しいんじゃないかと想像します。資金の問題なら尚更。「別にトップじゃなくても良い程度の資金」に減らされた研究室で、最高の結果は出せようはずがありません。「世界一のコンピューター」には無限の意義が存在しますが、「世界46位のコンピューター」を作ったところで、どれほど費用対効果があるのかはわかりません。そこにかけたお金の意義は相当に低いものになるでしょう。

だから、目指すべきは「1位」であるべきだと考えます。別に2位や3位になってしまっても仕方が無いことかもしれませんが、それですら1位を目指すことでしか届き得ないモンだと思うんですよね。トップに近い、素晴らしいものを作り出すには、最高を目標にする必要が有るんじゃないかと思います。


現場も然り。怪我や事故は0にはなりません。

でも、100を10にするには、10を1にするには、0を目指さないとなりえないと思います。

1になったら、0.1を目指し、0.1になったら0.01を目指すべきなんですね。


そうやって限りなく0に近づけるためには、やはり目標は「0」で有るべきなのです。


小林賢太郎の目指す笑いも、きっとそうなんです。

毎日小林賢太郎のコント動画をtwitteにUPしている中で、今回「男女の気持ち」と言う作品を上げました。

女性にふられた男性というキャラクターが出てきて、慰める男性と「振られたほうが傷つく」「振った方も傷つく」などと言い合いながら色んなパターンをシュミレーションしていくコントですが、「振られたことがある人」が見たら若干古傷をえぐられて気分が落ち込むこともあるのかな、と思いました。まぁ僕も振られたことはあるけど、初めて見たときも今見たときも一切気分は落ち込みませんでしたがw でもそう言う人もいるかも、とは今、少し思いました。

で、これは20年前の作品です。

例の「できるかな」のコントの3年後です。僕としてはこの作品も既に人を過度に傷つける道からは逸れているとは思いますが、それでも少し、今の小林賢太郎からすると「当たりの強い」コントかなとは感じました。いや、全然面白いし殆どの人を不快にしないと思いますが。

それが、ラーメンズの公演は回を重ねるごとに変に攻撃的なものは減っていき、観ている方は勿論、登場人物の誰も不快になる事の無い、観ている方には可笑しく、舞台上の彼らはごくごくニュートラルに動いていて、それこそ「誰も傷つけない」事に近づいているコントが展開されるように成って行きました。

個人的に、まぁ冗談交じりですがこれって傷つく県民も居るんじゃね??w とした「不思議の国のニポン」も16年前。もっと最近かと思ってましたが、大分昔の作品です。ラーメンズで最新の公演『TOWER』でも12年前になりますのでそりゃそうか。そのラーメンズ最後の作品TOWERも(名前挙げた他のコントもですが)youtubeで全て観れますが、これを観て「傷つけられた!」と感じる人は殆ど居ないと確信できるほどに綺麗な作品だと思いますよ。

そんな色んな活動を経て、最近の小林賢太郎演劇公演「KKP」、小林賢太郎コント公演「カジャラ」、これに関してはもう観て貰うしかないんですが(一部作品は氏の公式youtubeで無料で観れます)、人を不快にする、傷つける事の無い作品となっていると思います。

それこそ、絶対ではありませんけど。基本的には優しい世界が広がってると、僕は受け取っております。人を傷つけている可能性が0とはいえない。けど、限りなく0には近づいていると思ってます。



僕は下手なれど工事現場で働く「職人」であります。

さて最高の職人、ってどんな人だと思います?

何も失敗しない、一度も失敗しない、全ての仕事を完璧にこなす人間、でしょうか。

僕は違うと思ってます。

職人ってのは、一人では出来ません。複数人数で力を合わせて仕事を進めます。

「天才」が居たとして、彼は間違わないかもしれません。

でも、人間には色んな人が居ますから、中には「出来ない」人も居ます。

きっと「天才」は「出来ない人」を理解できません。天才と出来ない人が組んで仕事をすると・・・仕事は全体的に見て多分上手くいきません。お互いにお互いのことが理解できないので、チームワークが取れないのです。天才は間違わなくとも、一緒に仕事をする「出来ない人」は間違えてしまうことが往々に有り、それを理解できない天才は事態を上手く収集することが出来ないんじゃないかと思います。なんでそうなったんだ?と不思議に思うだけで、それを未然には防げないし起きてしまった事に対する対処も分からない。結果仕事はちゃんと進まないのです。なので、一人の「天才」は最良の職人ではないと考えます。


では、どう言う人が最高の職人だと僕が思っているか。


沢山失敗してきた人です。

勿論失敗を失敗のまま終わらせて知らんぷりしてる人はダメですけど、沢山失敗して、どうすれば上手くいくか考えて、試行錯誤して、何度も上手くいかなくて、それでも事に当たって、ようやく最良の結果を出した人間は、きっと「出来ない人」と一緒になったときも、相手の気持ちを理解し、どうすれば相手と上手くやれるかを感じ取り、それを実行できると思います。

自分が、そして周りの誰かが、大きなミスをしてしまった時。

失敗したことが無い人は、それに対する対処法が分かりません。即効性のある行動が取れずに、失敗を立て直すのに時間がかかるでしょう。

失敗を沢山してきた人は、その方法を知っています。何故そうなったのか、どうすればリカバリ出来るのか、最適で最短の方法を導き出せます。そしてそれを指示に出せて、周りを効率的に動かせます。

それ以前に、「失敗しないための道筋作り」が出来ます。失敗と言う「非効率」に何度も直面した人は、もっと「効率的」なやり方が導き出せるのです。瞬間的に「バッドルート」を回避できる人は、何度も「バッドルート」を通ってきてその道筋や雰囲気がつかめるものなんです。そう言う人が「出来ない人」と組んだとき、組まざるを得なかった時、より効率的な指示が出せて、適材適所の人員配置が出来て、よりより作業環境を作り出せます。結果、仕事は上手く回るんですね。

「最高の」なんて限定してしまうと最終的には手先が器用でちゃんと勉強して知識が豊富で、みたいなポイントも無いといけませんがw、それを持ち合わせた上で最良の「失敗体験」を沢山積んできてる人こそが、最高の職人、足りえるんだろうな、と思います。

なので、まぁ現場で失敗なんか全くしたくありませんがw、してしまったらしてしまったで、「少し”最良”には近づけた、”最高”に向かってる最中だな」と思えるし、思うことにしてます。自分の後輩が失敗しても、「出来ないやつ!」と蔑む気にはならず、「まぁこれで明日から少しレベルアップしてるから」と思えるようになりました。


小林賢太郎は、お笑いに関して天賦の才能を持った人だと思います。

ラーメンズ、小林賢太郎の世界観を「誰かに似てる」とは思ったことありませんし(本人たちは、シティーボーイズの影響を受けていると言ってる。僕は見たことないので似てるかどうかが分からないのだけど)、語り口や組み立てなんかは独特のものだと思います。オリンピック開会式を見て「小林賢太郎じゃん!」と確信できるくらいには。

でも、一人で何でも出来てしまう天才、とかではないと思います。小林賢太郎演劇作品、昔は小林賢太郎プロデュース公演で「KKP」と銘打っていましたが、その最初の公演『GOOD DAY HOUSE』をDVDでみたとき、犬飼さんという役者さんが出てくる冒頭のシーンが明らかに笑いを誘っているのに誰も笑っていなくて、DVDでみてるんだから当然そこに居るわけじゃないんだけど、それでもなんか居た堪れなくなって冷や汗をかいてしまうような「寒い」時間でした。

ラーメンズが一般に認識されるようになるのに一役買った「爆笑オンエアバトル」と言う番組があって僕もファンになる前からそこで見てたんですけど、彼らはとても印象深くはありましたが、12回あったチャンピオン大会においてラーメンズは一度も優勝してません。評価が高くないとオンエアに乗りませんが、彼らは「オフエア」になった事も幾度かあります。

ファンになりたての頃、「完売劇場」と言うバラエティ番組のDVDを借りてみたんですが、コントではなく出演しているお笑い芸人が役とかではなく本人として本気の激論を交わすコーナーがありました。その中での小林賢太郎はなんかあまり楽しくなさそうで、テレビではコントだけやっていたい素の自分を出したくない、と言ったような内容の事を言っていました。相手は色々居ましたが強く覚えてるのは、劇団ひとりさんでした。オリンピックで出演されたときは、小林賢太郎との縁を感じたものですが・・・。

小林賢太郎はテレビにほとんど出ずに舞台中心で活動していた方でしたが、初期のオンエアバトル、完売劇場の出演を見るに、テレビでの活躍を模索していたこともあったのかな?と想像します。テレビなんて、その気も無いのに偶然出たり出来るものでもありませんしね。コント中心の出演を希望し、演者の素を出すことを余り良しとしなかった彼ですから、結果舞台の方をメインとする活動方向になっていったんだと思いますが、そんな風にちょっと自分の期待していたのとは違うルートに迷い込んだり、遠回りもしたことがあったのかもしれません。確か完売劇場の、上記演者本人の激論のコーナーだったと思うけど、コント以外の企画等で番組側に組み込まれて本人の意図とは違うところで笑いを取ってお金を貰ったとしても、「身内が乱暴されてもらった賠償金みたいで、いるかこんなもの!と言う気分になる」と言っていた・・・気がします。昔のことだし記憶間違いかもしれませんが(それに対してギリジンは「お金はね、物が買えるんだよ!」って言ってた)。

ともあれ、テレビで自分のやりたいこととは違うことをやらされたことに対する負の感情を出していたのは確かで、彼にもこういった「失敗」があったんだなと思うんですね。

そんな幾度かの失敗を経て、彼はより「人を傷つけない」方法を洗練させていったんじゃないかと。

お笑いに限らずですけども、舞台とか映画とかの作品は「人の心を揺り動かす」のを目的に行われるものだと解釈しています。泣ける、感動する、恐怖する、楽しくなる、そして笑う、などなど。

そんな中で、より容易に人の感情を動かそうとすると、「叩く」「痛い思いをする」「死ぬ」みたいな事が多く使われがちなのかな。友達に舞台役者が居る関係で、良く小劇団のお芝居を見る機会があるんですが、まぁ悉く人が死にますもんね。

お笑いでも、人の短所を弄ってみたり怒鳴りつけてみたり悪口を言ってみたり思いっきり叩いてみたり裸になってみたり。

それが悪いとは思いません。ヒロインの死によって展開される友人出演の舞台は面白かった。テレビで出ているお笑い芸人の皆様、俺は基本的にみんな好きだし。毒舌芸の有吉さんとか好きだし。なんなら、小林賢太郎さんの作品を見ている時間より、テレビでやってる低俗なバラエティの方がよっぽど見ている時間は長いし、笑っている総数も多いと思いますw

でも、そっちの方面に行くことを止め、人の心を揺り動かしやすいインパクトの強い事象をあまり使わず、小林賢太郎曰くの「日常の中の非日常ではなく、非日常の中の日常」をコミカルに演じることによって起きるお笑いを追求した彼の世界観は、幾度もの失敗を経て、「出来ない人」の気持ちを理解し、だからこそ観客の心を掴むことができ、より良い人の心の動かし方の方法論、道筋や雰囲気の掴み方、最適で高効率な「面白い」を彼なりに構築して行った結果出来上がった、少なくとも小林賢太郎が求めた人を傷つけないお笑いにより近づいている最良に近いものなんだと思います。それが僕は大好きです。


さて。

僕ら小林賢太郎ファン、ラーメンズファンは、当初こそ「彼の職が奪われてしまうのでは!?」「創作が出来なくなってしまうのでは!?」「活動の場が無くなるのでは!?」と心配したものの、その後冷静になると、ファンが彼を見放すことは無く、彼がまた作品を作れば今までどおり喜んで見に行きますから、「結局今までと変わりなく彼は創作活動を続けるし、そこに居続けてくれる」事に気づきました。ファンが言いたいのは、彼は(少なくとも今は)昔の悲惨な事をネタにして笑っているような人間ではない、と言う事を知らしめたいだけ。

僕らファンは今後も彼の作品を観て行きます。喜んで。

そのついでと言っちゃあナンですが。彼を悪い人と思ってる皆様には、彼が「人を傷つけない笑い」を実演している、そのことを証拠として観て欲しいのですよ。

観れば分かると思います。多分分かると思う。分かるんじゃないかな。まちと(以下略

ただ、見てほしいな。


でね。小林賢太郎。今回は僕らファンがどんなに擁護しても、彼の歴史上でも類を見ないほどの「大きな失敗」になったと思います。ここまで責められるほどのものじゃない!と僕は思っても、その発端が彼のコントの中の台詞であることは間違いないんだから。

そんな大きな事柄です。彼の創作人生に何の影響も無いわけがない。

さぁて、彼はまた一つ失敗してしまいました。それも特別大きなヤツ。反省しましょう。後悔しているかもしれません。悩んでいる可能性もある。でも、そうして、大きな失敗を経てから作られる彼の作品は、どれだけ素晴らしいものになっていくのでしょう。どれだけ優しい世界になるのでしょう。どれだけ流麗な物語が作られるのでしょう。

まぁみていてください。きっと今までよりももっと「人を傷つけない」笑いを、見せてくれるでしょう。我々はただ、彼の活動の報告を待てば良いのです。それがより多くの人の目に触れてくれれば尚良いのですが、まぁとりあえずは僕らファンが率先して楽しませてもらいますw

なんて楽しみなことでしょう!これからも小林賢太郎はどんどんアップデートしていきますし、誰も僕らファンから小林賢太郎作品を楽しむ権利を奪えませんよ~ww

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