(小林賢太郎の件について)鬼滅の刃の作者、吾峠呼世晴は「鬼」である!

などと主張する人が居たら、きっと「お前、馬鹿だからなぁ」と言われる事でしょう。

鬼滅の刃と言う作品の中のキャラとして鬼と言うものが存在するわけです。

それを描いたからと言って、当然吾峠さんは鬼では在りません。


作中、鬼のボスとして鬼舞辻󠄀無惨というキャラクターが出てきます。

もともと体の弱い普通の人間だったんですが、自分勝手な感情で自分を治療してくれた医者を殺害し、その医者が延命の為に行っていた治療がもとで鬼になってしまいました。しかし当の医者を治療の途中で殺してしまったため元には戻れず、しかし「人を食えば良いんだからそれはいいや」で人を殺し続けた男です。

日の光に弱いため昼間外に出れないのですが、それが腹立たしかったため、太陽の下でも活動できるように、そのための方法を探るために自身の手足と成って動かせる鬼を作り、増やし続け、彼が生み出した鬼が沢山の人を殺しました。彼は自身を滅しようとした主人公、竈門炭治郎に

「私に身内が殺されたのは天災だと思って諦めて、自分は日銭稼いで普通に暮らせば良い」

と言います。吾峠呼世晴は、なんと非道なのでしょう。大量殺人犯に身内を殺された人は、災害だと思って諦めろ、と言う考えの持ち主なのです。

などと考える人は居ないでしょうね。これはあくまで、作中の大悪人、鬼のボスが言う酷い台詞なんですから。作者の意思では在りません。

他にもたとえば・・・

ドラゴンボールの作者、鳥山明氏がかめはめ波が撃てるわけではないでしょう。

ワンピースの作者、尾田栄一郎の腕はゴムのように伸びません。

ジョジョの奇妙な冒険の作者、荒木飛呂彦がスタンドが出せるわけないじゃないですか。

宮崎駿は「人がゴミのようだ!」と思ってる人非人じゃないんです。



小林賢太郎の、ユダヤ人大量虐殺ごっこ、の件に話を移します。


コント、なんですよ。

創作、物語なのです。

そこに登場する人物たちは、「架空の人物」なんです。

ユダヤ人~は、創作物語の登場人物の言った台詞なんです。鬼舞辻󠄀無惨の言った天災~発言と同じタイプのもの。

鬼滅の作者との違いは、本人が直接演じてる、と言うものだけなのです。

「吾峠呼世晴は鬼ではない、近しい人が殺されたらそれは天災と諦めるべきと考えてるわけではない」のと全く一緒で、「小林賢太郎は、ホロコーストを揶揄しては居ない」んです。

まぁ僕は件のコントを観ては居ないんですが・・・(ビデオ持ってないし、ネットで見れるのは違法アップロードですしね)。

今回の報にあたって様々な記事等を見ている限り、あれは「非常識な登場人物が言った非常識な言葉」であって、小林賢太郎の意思では全く無いんはずなんです。

爆笑問題の太田さんが言ってましたが、「そう言う非常識な事を言う人間を揶揄する内容」で、非常識さを際立たせるための最も重い「言ってはいけない事」として「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」と言う言葉が出た、と言うことだそうです。つまり、ユダヤ人~は小林賢太郎の中では最も「良くないと思った」事の象徴だったと言うことです。

鬼滅のボス、無惨の悪行が「万引き」や「スリ」だったとしたら、物語が成立しません。そんな彼を倒そうとする主人公たち鬼殺隊はただの異常な正義を振りかざすやり過ぎな自警団になってしまいます。あの物語が成立するためには、絶対的に非道な悪役である、人の死など歯牙にもかけない徹頭徹尾自分勝手な鬼である鬼舞辻󠄀無惨というキャラが必要だったのです。

同様に、ラーメンズのコントには徹頭徹尾非常識でどんな不謹慎な事でもネタにしようとする非常識な道化役として、賢太郎が演じるノッポさんが必要だったのだと解釈しています。勿論、現実のノッポさんとは別人の「コントキャラ」である事に関して間違える人は居ないでしょう。



勿論、言葉のチョイスは完全に間違ってます。

この一連の騒動の中で、小林賢太郎を良しとしない人たちの中の言説で、「これが“広島原爆投下ごっこ”だったらお前ら怒るだろ」と言うものがありました。

ぐうの音も出ません。全くそのとおりです。

ただ、コントの内容をちゃんと理解した上でその言葉を使ったのだとしたら、腹は立つし嫌だなぁとは思うけど、その作者が「原爆投下を良しとしている」とは読まない、とだけは言わせて置いてください。
もし反日思想が根強い韓国の、どこかのコメディアンが同様のコントを、ユダヤ人〜のくだりを広島原爆〜としてやっていたとしたら、そしてその後の「そんなのできるかっ!って滅茶苦茶怒られたけどな」の部分まで見たら。
僕はその韓国人コメディアンを嫌うどころか、コイツはちゃんとしてるな、と認めると思いますね。
僕は韓国が嫌いなのですが(奇誠庸の日本人に対する人種差別パフォーマンスが原因、詳しく話すと長くなるのでやめとく)、反日思想の人間がそのコントをやったとしたら、「怒られた」は言わないと思うんですよ。原爆ごっこと言い捨てて笑って終わりになると思うんです。
政治的な活動が禁止されてるオリンピックでも日本に対する政治的パフォーマンスや、福島産の食べ物を忌避して見せる差別的パフォーマンスに終始するお国柄の人たちですから、「局側に原爆云々を怒られる」はむしろ「韓国の正義」的に無いことだと思うんです。
それを「あり得ないことと怒られる」と言う文言を入れてコントを進めてくれたなら、この人たちは「むしろ原爆がいけない事と分かってる」と解釈すると思います。
この件で全く罪のない韓国の方を例に出してしまって申し訳ございません、自分的に分かり易い例だったもので...。

でも、「あんな悲惨な出来事をネタにすんなよ」と腹は立つかもしれませんね。

だから、小林賢太郎が批判される事は正しいことでしょう。

23年前の小林賢太郎が、です。



そう、23年前のコントです。

23年前に炎上したのなら仕方がありません。

でも、今の小林賢太郎が、職を追われ、ニュースで吊るし上げられるほど酷いことをしているでしょうか?

昔のことでも言っちゃっダメ!言ったからには批判されるべき!

と言う考えもあるんでしょう。僕は全くそう思いませんが。それは僕が全く清廉潔白な人間ではないからそう思うのかもしれません。昔悪かった人でも、問題を起こした人でも、犯罪を犯した人だって、今を頑張っていればその成果は認めていいしその活動は受け入れるべきだと思います。僕が生まれてこの方一度も間違ったことが無い人間じゃない、むしろ沢山の「良くないこと」をしてきた人間だから、そうあって欲しいと思います。そんな下心から、昔どんな間違いを犯してきた人だって、スポットライトを浴びることが合ったって良いはずだと信じてます。


その上、小林賢太郎はその後そう言うやり方を改め、距離を置いてることは現在の活動を見れば一目瞭然なはずなのです。

過去に間違った人はその後の善行は全て無視してよい、ってことでしょうか?そんなことあっていいはずがない。


同じ時期に小山田圭吾氏が昔のいじめのインタビューにより辞任されましたが、それに関しても「昔のことだから」と許していいの?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。個人的にはどうかな・・・前の記事でも書いたけど、僕は昔いじめられっ子だったので、あんまり許したくない気持ちはありますね。僕のされたいじめなぞ、体育の授業中走ってると足を蹴られるとか、いじめっ子に「最近お前をいじめてねーな!」と絡まれたりする程度で、ネット記事で読んだ小山田氏の障がい者の方に対するいじめと比べると、全然たいしたことの無いものです。

それでも、朝一人で線路脇を登校している際、「ここで電車に飛び込むと楽になるかな」と、一瞬ですよ?ふと頭に浮かぶ想念程度ですが、思ったりはしました。

ですから、小山田氏がインタビューで話していることが事実だったとしたら、やっぱり許すべきではないのかもしれませんね。

ただ、僕は小山田氏のことは今回の件まで全く知らなかったし、その後の活動がどういったものかも存じ上げません。小林賢太郎擁護に忙しくて特に追ってもいませんw

いませんが、ひょっとして彼が今までの活動の中で、「いじめを反省して、それをなくすために努力している」方だとしたら、今は考えを変えて頑張ってるなら応援すべき、だと思いますね。許す許さないに関しては、いじめられていた方がするべき判断だし。

追ってこそ居ないけど、漠然と読んだりした記事の中では、小山田氏のこれまでの活動にそういった反省の行動や発言が見られなかったから、色々炎上している・・・のかな?

それに、「昔にやった犯罪自慢」と「コントの中の非常識な台詞」を同列に語るのもなんか違う気がしてきたので、小山田さんの件はこの辺で。


フィクションだからって言っていいことと悪いことがある、と言うのも当然あるのでしょう。上記、鬼滅の刃の話しをしましたが、鬼滅と同じく週間少年ジャンプに連載されている漫画で、『僕のヒーローアカデミア』と言う作品があります。

この作品に、「志賀丸太」と言うキャラクターが出てきた時に、韓国から批判が来た、と言うものがありました。

僕ら日本人にとって特に問題のある名前とは思えませんが、韓国からすると、旧日本軍の人体実験をする731部隊の隠語が「マルタ」だったことから、これは良くない!と言うことだそうです。未だに良く分かりません。きっとよく分かってないこと自体が問題なのでしょう。ともあれ批判に晒され、そのキャラクターの名前は単行本において修正されたそうです。

この件は去年だったか今年だったか・・・確かリアルタイムで見てましたが、即座に出版元の集英社が謝罪のコメントをSNSで発表してた記憶があります。作者が謝るのは分かるがなんで出版社も?関係無くね?と思いました。大好きな漫画である『アクタージュ』と言う作品が、原作者の性的犯罪により打ち切りになった際も版元が謝っていて、作者は謝らなきゃいけないのは当たり前としても、その漫画を載せているってだけで、犯罪を犯したわけでもない出版社が謝るのはなんか変だなぁと、その時は思いましたっけ。

この姿勢、今思うと物凄く正しいことなんですね。ヒロアカに戻って。

実際「~丸太」と名づけたのは作者でしょうけど、それを管理監督する責任を、出版社が負っているわけですからね。

僕が丸太って言葉に何も感じないのと同様に、ヒロアカの作者もその辺のことに鈍感だったのかもしれませんね。それに、どんな人も何かに集中いていると、視野狭窄に陥っていくものだと思います。ヒロアカは大好きな漫画なんですけど、登場人物も多く、善と悪と入り乱れながら色んな超能力を使って戦闘してたりして、物凄く構成に手間暇かかるんだろうな~って思うので。色々作品に集中している中で、周りに対する配慮みたいなことがおざなりになっていったのかもしれない。

そういった、モノ作りに集中して近視眼的になっているアーティストに対して、大局的俯瞰的な目線で指示指導ダメだしをするのが、その作品を世に出す版元の役割なのでしょう。

とすれば、そしてその不明を謝罪するのは、責を負っているものとして当然であり、作者を守ることにも繋がるんだなって思います。ヒロアカの件はそうだったんでしょう。

小林賢太郎の件はどうかな。彼一人がその責任を負うべきものなのでしょうか。



話があちこち飛んで申し訳ない、ちょっと違う話になっちゃうかもしれませんが・・・。

毎週購読してるのでジャンプの話にばかりなって申し訳ない、少し前にジャンプで『タイムパラドクスゴーストライター』と言う作品がありました。電子レンジに10年後のジャンプが送られてくるようになった主人公が、最初は夢かと思ってその中で面白かった「ホワイトナイト」と言う作品をそのまま描いたところ人気漫画になってしまい、その後も送られ続けてきたジャンプに掲載されてる「ホワイトナイト」を模倣しながら描き続ける、と言う内容。

編集者からボロクソ言われて連載を勝ち取れない主人公が模倣作品を描いた結果売れっ子になるんですが、要するに「パクっている」状態に対して、主人公が「あれこれ理由をつけて正当化して描き続ける」事がネットで良くない話題になって(僕がネット上の良くないところで評判を見てたからかもしれないけどw)、「タイパク」などとあだ名をつけられたり、結構批判されてた記憶してます。パクリをよしとする売り上げ至上のリアリスト、性格の悪いやつ、見たいに描写されてればダークヒーロー的な人気は出たかもしれませんが、作者が主人公を「あくまで良いヤツ」として描きたがったために、パクる事を後悔しつつも「作品をなくさないため」とか言い訳して描き続けるチグハグさや、パクリ漫画で得られた収入を自分のために使わず質素な生活を続けているみたいな言い訳描写結構馬鹿にされてて、結局打ち切りという形で短命に終了しました。

まぁ何が言いたいかといえば、フィクションだからって書き方を間違えれば批判されて仕方が無いってことなんですがw

笑えない台詞選びだったとしたら、それは小林賢太郎の落ち度でしょう。

ただそれは、当時の彼の未熟さを示すものでは合っても、人格を否定する類のモノではない筈です。


当然、前の記事にも書いた通り、僕は「小林賢太郎ファン」だからそう思ってるだけです。これが違う人だったら一切擁護してません。してませんが、ファンだから擁護できること、伝えられることはあるはずで、そこから大いなる誤解が解けるのであればそれは是非しなければいけない、と思ってこの文章を書いてます。

と言うわけで、言い続けたいと思います。

2017年から被災地支援に寄付をし、その後さらに障がい者スポーツ協会に寄付している小林賢太郎は、23年前不適切な表現をしてしまったあの頃の彼ではないのだ、と。

過去に飲酒運転して事故を起こした俳優は、今は司会者として上から目線で色々物申しております。

昔暴走族をやって周りに迷惑をかけていた俳優や芸人さんがいます。

万引きしてた事を自慢げに語っていた女性タレントもいました。

彼らは明確な「法を犯した」人たちですが、一時ダメージを受けた事はあっても現在の活動を制限されてはいません。
それで良いと思います。昔ヤンチャしてた人は働いてはいけないなんてそんな法もなければそんな道理もありませんから。
昔のことに反省してようがしてまいが、今周りに迷惑をかけてなければいいじゃないですか。

反省していれば尚更です。
今回のオリンピックは多様性を掲げていたそうですが、その多様性ってのは「清廉潔白、一点のシミもない人間に限る」んでしょうか。
昔過ちを犯した、過去を間違ってしまった、そんな人たちが、考えを改めて今は美しい創作を行なっているとしたら、それを受け入れて共に歩もうとするのも多様性なんじゃ無いですか??

今いじめをしてるなら勿論それは良くないでしょう。今ホロコーストを揶揄してるならそれは犯罪者で差別思考なのでアウトです。
でも、昔のことにそこまで粘着する必要があるのかなぁ???


某テレビ局の局員が、ニュース等で「コロナ禍でも出歩く若者」を散々批判しておきながら、自社の若手の社員がわざわざ「要請に従わずに営業している」店を見つけて、大人数で、夜遅くまで宴会をして、あれほど路上飲みはよくないとかアルコールを提供する店を悪者にしておきながら、酔っ払った上に大怪我をする、と言う話がありました。

その局において、再び小林賢太郎を名指しして、ホロコーストに関しての特集を組んだとの話を聞きました。仕事中だったので見ませでしたが、彼の今やっている前向きな活動には一切触れなかった、と言うことでした。

ほんの数日前、自分のところで起こした不祥事は、彼の局ではあっという間に無かったことに成ったようです。

彼らより、23年前の小林賢太郎が悪質ですか?


今回ではなく、前回の東京オリンピックは1964年だそうです。日本において第二次世界大戦が終結したのは1945年。図らずも上で少し触れましたが、戦中に日本は人体実験等酷いことを沢山してきたと学びました。戦争犯罪と言うことで裁かれた人も多くいると聞きます。特攻隊とか「欲しがりません勝つまでは」など、現代日本に生きる僕らからは信じられないような「戦中の日本」があり、僕はそれはそれは未開で酷い指導者の下に人々が酷使され、多くの諸外国の皆様に迷惑をかけた「悪しき日本」とも言える世界があったと思います。しかし、終戦後19年で、日本はオリンピックのホスト国を勤めています。

19年前の戦争の様々な罪がありつつ、オリンピックの開催が出来た日本に比べ、23年前のことでその任を解かれた小林賢太郎は、戦争より重い罪を犯したのでしょうか。


日本は広島と長崎に原子爆弾を落とされました。20万人近くの人が殺害され、その後の後遺症等で亡くなった人を合わせると犠牲者は50万人以上、ともされているそうです。落としたのは勿論アメリカ。戦後アメリカでオリンピックが開催されたのは、終戦から39年後の1984年とのこと。彼の国の正義、そうせざるを得なかった理由もあるのでしょうが、人を何十万人と殺す事が、是とされるべきでは無いと思います。

大量殺戮を行った国でも、39年も経てば平和の祭典を堂々と行うことが出来ます。39年で何十万人分の贖罪が出来ると言うなら、23年で小林賢太郎が行ってきた様々な行為が、「平和の祭典」に対して「否」とされる理由が分かりません。


23年前のたった一言の不見識を責め続けられている小林賢太郎は、ではいつになったら許してもらえるのでしょうね。

彼は自分の不明を棚に上げて人を批判したりしてないし、誰も殺してないし、何の犯罪も犯していないのに。


いけない、話がとっ散らかり過ぎてしまった。纏めます。



「フィクションとノンフィクションを混同すべきではない」

小林賢太郎の「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」は、「コントの中」の「不心得なキャラクター」の言った「やったら怒られるレベルの言ってはいけない事」として書かれた“台詞”である。

言ったのはコメディアン小林賢太郎が演じる、コントの中の「ノッポさん」であり、バニー部の大吟醸や、ホコサキさん、ネイノーさん、アトム、プリマなどと同様、明らかに小林賢太郎とは異なる人格として演じるコントキャラのうちの一人で、小林賢太郎ではない。


「責められるべきは”当時”の彼の見識の浅さのみである」

誰だって若かりし日はあり、幼いミスはするものだし、失敗を繰り返して成長していくもので、23年前の謝った言葉選びは明らかに間違っているが、今の彼を否定し破壊してしまうものではない。彼はそういった失敗を経て、今は誰も傷つけない「面白い」を志向し、実践している。そこに一切触れずに、過去の過ちのみを喧伝するのは全くフェアではなく、偏向報道と言って間違いない。


「小林賢太郎は、今起きている災害を笑ったり、不倫したり、飲酒運転したり、ホームレスの命はどうでもいいと言ったり、女性蔑視発言をしたり、メダルを噛んだり、緊急事態宣言を無視して酒を飲みに行ったりしていない」

23年も前の粗いコントで、「良くないもの」としてあげたモノの言葉選びを一つ間違えただけである。その言葉選びも、ちゃんと読めば「あってはならないこと」と言うものであったし、彼は誰にもヘイトを向けていない。


もはやこのまとめだけ書けばよかったような気もするw

でも書いちゃったのでそのままUPします。


いいですか?

鬼滅の刃の作者、吾峠呼世晴は「水の呼吸拾ノ型 生生流転」は使えません。

ドラゴンボールの作者、鳥山明はサイヤ人ではありません。

ワンピースの作者、尾田栄一郎は海賊王を目指してはいませんし、

ジョジョの奇妙な冒険の作者、荒木飛呂彦は石仮面をかぶって不老の吸血鬼にはなってません。

宮崎駿はトトロに会ったことがあるわけじゃないんです。


・・・・・・

なんか「ありえる」のが混じってるので、僕の論は正しくないかもしれませんねw

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