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カスタネット(上):母からの電話!

■「もしもし、どなたですか。」
「ヒロシかい、私よ。」
「はい?、誰?」
「母さんよ。」

 ハッとした。エッ、母はすでに15年前に他界していた。

 私にとって、母は美人で小柄でかわいく、笑みの耐えない女性だった。もちろん、怒る時は凄まじいくらい、しつけられてきたが、その御蔭で普通の生活がおくれている。

 同級生にも鼻が高かった。担任も驚いていた。学級懇談会の翌日、「ヒロシの母さん、若いな!」とね。

 何しろ、田舎から父の元へと嫁ぎ、成人式の時は私を抱っこしての参加だったと聞いている。

 好奇心旺盛な母は、ちょっと気がかりなことがあると、さっと行って、さっと処理をするタイプだった。お金が落ちていると思えば、振り返ってしゃがみ込み、「何だ、単なる金属片だった!」と肩を落とす人だった。

 行ったことがないところにも行くのが好きで、父が車を停める前にドアを開けて飛び出す勢いだった。

 私は、この人は絶対に「死なない」と思っていた。

 大学の時に『風とともに去りぬ』を読んでいて、その主役、スカーレット・オハラ氏のじゃじゃ馬っ子ぶりは母とそっくりだと思ったことだった。

 何しろ、祖母(実母)が母に対して、もう少し落ち着いて、父親に仕えるんだよ!と、実家から帰る時にいつも言われていたことを思い出す。

 そんな母だった。

■そんな他界した母からの電話に、びっくりすると同時に、これは新種の詐欺だと、すぐに感じた。

 お金をせびりに来たのかな、ははーん、残念でした。母はすでに死んでおりますよーだ。

 私はすぐに、正気に戻って、話を進めた。

「もしもし、すみません、母は15年前に亡くなっているのですよ。
 そんな小細工を使わずに、まっとうな仕事について、厳かに暮らしてみてはどうですか。
 悪いことをやったら、その時はよくても、あなたにそのうち、悪いことが帰ってきますよ。因果応報というではありませんか。
 自業自得というのもありますよね。
 いずれにせよ、残念でしたね。こんなことから早く、足を洗いなさいよ。」

 と、一気にまくし立てた。

 そして、受話器を置こうとした時、細かい声が聞こえてきた。

「私よ、私。正真正銘の母さんよ。切らないで!」

 しつこい電話にあきれて、私は、ガチンと受話器を置いた。

 ま、しつこいやつだな、これだけしつこいので、うまく詐欺がいくのだろうなーと。

 日本も落ちぶれてしまったな。昔は、皆で助け合う社会だったのに。今じゃ、お金が最大の幸せの基準であり、そのためには手段を選ばないという国になってしまった。

 助け合いの精神どころか、どうやればお金をうまくもうけられるのか、こればかりを考える世間に成り下がってしまった。

 あれだけ世界から素晴らしいと、賛嘆された国だったのにな、ノーベル文学賞を受賞した川端康成氏の『美しい日本の私』は一体どうなってしまったのだろう。

 Japan as No.1.というセリフ、本の題名はどこに行ってしまったというのか!!

■それから半年程、経った時だった。電話がなった。

「もしもし、下村です。どなたですか。」

「ヒロシかい、私、母さんよ。」

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 またか!と思った。しつこいやつだな、こうやってずっと周期をもうけて電話をかけているわけか! やるなーと、頭をぐるぐるとスピーディに考えが巡った。

「あのね、この前も言ったけどさ、」

と言ったところで、それを遮る声。

「ヒロシ、私が亡くなった日に電話をかけるかい、今日は、そちらの世界で『命日』というのだろう。7月13日、私が死んだことになっている日だろう、今日は。」

 確かに、今日は7月13日だ。しかも、誕生日は知り得ても、亡くなった命日までは知らないよな、何が何でも、そこまで調べて電話をかける輩もいまい。

「ちょっと待って。うちの母さんはとっくの昔、10年以上前に死んだんだよ。あなたは一体誰。何かの脅し、それともいたずら? はっきり言ってよ。気持ち悪いじゃん! 一体、どなたなのですか。名乗ってください、要件はなんですか。」

 電話の向こうから、落ち着いた声が聞こえてきた。確かに、この声は、母の声のような気もしてきていた。

 しかし、似た声の主はたくさんいるだろうし、私の空耳ということもあり得る。

「ごめんね、びっくりさせて。正真正銘、あんたの母さんだよ、典子。誕生日は6月27日で、死んだことになっている日は7月13日、確か、あの日は虹が出ていただろう。亡くなる数時間前まで。

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 私は、あんたたちが考えていたように、あの虹を渡って、そちらの世から離れたんだよ。まだ、肉体は生きていたけどね。私はその2時間前に、登ったのさ! そして、心電図が一直線になった時、登りきったのさ!」

 うん、これは詐欺でもないぞ、いたずらでもないぞ。あたっている。確かに、あの日の夕方、虹が出ていた。こんなシーンを思い出したことだった。

(「中」へと続く)

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