猫を笑わせろ

ユーモア携帯小説「猫を笑わせろ」

 私は今こんな夢の中にいる。私は試験を受けている。「ミカンで笑わせる方法を考えよ」「最近笑えたことは何か?」「次の語句に続く語句を考えて、面白いギャグを作りなさい」
 私は笑いの共和国に迷いこんだのだ。ここでは、笑い検定試験に合格しないと、思うように生活ができない。食料配給切符ももらえない。笑わない者は病気になりやすいとデータを示されて脅されたりもする。だが、ここでは、笑わない人にはいろいろと声をかけてくれる。困っていることを減らすことにみんなが努力をしようと試みる。
 私はまず、お笑いの塾を紹介された。そこの先生はボランティアでユーモアのレッスンをしてくれる。ユーモアの師範を目指しているのだ。笑い検定試験には、英検のように5級から1級がある。私の先生はもちろん三段を目指している。この試験に通れば、月給五十円がもらえる。五十円と言えば、遊んでくらせる大金である。神社に行くと「金、参拾円」などと書かれているではないか。ただ、『坊ちゃん』の中に『出来ないものを出来ないと云うのに不思議があるもんか。そんなものが出来る位なら四十円でこんな田舎へくるもんかと控所へ帰って来た。』というのがあったぞ。すると、この物語は明治時代でもないのかもしれない。なんでも、ここは、独自の経済システムで動いている。一人一人の幸福を基準に設計されている。日々どれだけ笑えるのか、お日さまにどれだけ感謝しているかが、重要なのだ。我々は、資本主義か社会主義かで考えるが、ここでは、日本主義経済が営まれている。
 「こんな所でも笑う人は笑うんですね」
「違う、こんな所だから笑えるんだ」先生は答えた。
「まずこれを読みたまえ。ユーモアの構文集だ。ためになるぞ」
たくさんの、例文が出ている。面白いものも、そうでないものもある。とにかく、量に圧倒される。途中まで読んでみて嫌になってきた。一つ一つは面白くても、束にかかってやって来られると苦痛にすらなってくる。
「この構文集はユーモアに関するものだけど、全然面白くないじゃないですか?」
「ユーモアを習得するのは、楽しいことでもあるが、反面きついことでもあるんだ。ユーモアの技術を身につけることは苦しいことなのさ」
「ギャグがうけなくてもいいじゃないですか?」
「この世の中には二種類の人種がいる。ユーモアのセンスがある人とそうでない人さ。そうして、ユーモアのセンスのある人は日々を楽しく過ごすことができる。賢い人とはちょっと話しただけでも楽しい。友達も増える。君は人生の成功者になりたくないのか?」
「成功者はわずかだけでしょ? サッカーだって日本代表に選ばれるのは極一部でしょ? 成功することが幸福ならば、大部分は不幸になるんじゃないですか?」
「そんなに目標が高いのか君は? それだけ目標が高ければできないときの悲しみもそれだけ増すではないか。自分のささやかな目標をかなえようとしてみてはどうかね ? 身近なことを面白くできればいいではないか」
「そうですね。私は目標が低いのでうけなくて結構です」
「君は自分の目標を達成することにベストを尽くせ」
「それでは、悲しみが増すだけでしょ?」
「そうだ。悲しめばいいんだ。成功のための悲しみならば、ワニに食べられても喜びとなるではないか。どんどん悲しめばいいのだ」
「成功のためには、つらいことを受け入れろと言いたいんですか?」
「そうだ、できれば世界一を目指すんだ。登るのはエベレスト以上に高い山だ」
「さっきと違うことを言っているような気がするのですが」
「矛盾を受け入れられないようじゃ、ユーモアの達人にはなれぬ。変なこと、意外なこと、うそをつくことが、ユーモアにとって不可欠なことだ。うそとユーモアとは大の仲良しで互いに助け合うんだ」
 私は、何回か講義を受けた。そしてある日先生に質問した。
「この構文集は名文句が並んでいますが、もっとギャグを並べたほうが理解しやすいと思います」
「レトリックを駆使すれば、くだらない内容も面白いと錯覚させてしまうんだ。真に重要なことは、面白いことではなく、中身なんだ。大切なことを面白く言う習慣を作ってほしい」
 私は、構文集を読み続けた。そして、飽きてくるとこうぼやいた。
「ユーモアで何が出来るのですか? ユーモアで世界平和が達成されますか? 戦争を終わらせることができますか?」
「それは、できるとも言えるし、できないとも言える。だが、そこで『出来ます』と言い切るのがユーモアさ。そして君はできることなら、がんばってがんばって立派な猫になるんだ」
 私は、構文を読み続けたが、明らかに嫌々な態度だった。
「ユーモアを身につけるには三つのものが必要だ。つまり、例文、例文、例文の三つだ。ただ見て面白いと思うだけでもいいが、ものにしたければ、何度も繰り返していろいろなパターンを身につけていくことだ。私も何回も繰り返し読み返しているんだ。」
「受験勉強に似ていますね」
「外国語を習得するのに似ているんだ。基本文足す少しの応用だ。言葉を覚えるのがうまい人はユーモアのセンスを身につけるのもうまいはずだ」
「基本文は分かりますが、応用が難しいんじゃないですか?」
「応用にはコツがある」
「コツですか」
「基本文のパターンをずらして使うんだ。『猫に小判』というパターンがあれば、『犬にパソコン』というのもできる。もちろん、『馬の耳に念仏』『豚に真珠』などとも共通するパターンだが、ずらしていけば、その情況に応じて適切な表現ができるのだ。魚が話題になっていれば、『魚にロールスロイス』と言ったら、より臨場感が出てくるだろう」
「基本文をたくさん知っていて、ずらし方のコツを知っていればいいわけですね」
「しゃれた言い回しをいっぱい知っていれば、いつか応用できる時がくる。『日本には日本がない』という言い方を知ったとする。そして、京都に行ったら、ビルばかりなのを嘆いて『京都には京都がない』と言うと気がきいた感じになる。こういう表現は知っているかいないかで大違いになってしまうだろ。面白い文章を見つけたら、アンダーラインを引いて、下に鉛筆で『やった、これは絶対うける、これで笑わせてやるぞ』と書きこむんだ」
 私は、苦痛とともに構文集を眺めている。そして、演習として、コントのねたを書き込んでいく。
「君、何も分かっちゃいないじゃないか。これだったら、セミに歴史を教えたほうがいい」
「ところで、先生、ナポレオンが戦ったのは、関が原の戦いですか、それとも、太平洋戦争ですか?」
「違う。ナポレオンはドイツでベルリンの壁を崩したのだ」
「さすがですね、先生。この問題ができたのは、先生と猫だけですよ」
「素晴らしい答えだ。ユーモアは変なことが大切だ。ぜひ、これからも間違った答えを言おうじゃないか。過ちて笑わさざる。これを過ちという。だが、君は私が考えていたよりもだいぶ賢い。まず猫と同じくらい賢い」
 私は面白いはずの構文集を見つめながら憂鬱になってきた。
「人を笑わせる人はいつも幸せで楽天家なんでしょうか?」
「人を笑わせるためには、一度死にたいと思ったことがあるような経験が必要なんだ。生きることの意義を切実に思えるからこそ、人を笑わせることを考えるようになるのさ」
「死にたいですか?」
「私は病気になった。病気になると、今から起きるべきか考える。だが、結局寝ることを選んでしまう。健康なときは、起きられることに感謝の気持ちが生まれるのさ。そして、起きている時間を無駄にしないことを考えるようになるものさ。そんなとき、ユーモアに救いを求めたんだ。人生からユーモアを取り去るのは、この世界から地球を取り去るようなもの。私はユーモアのよさを他人にも知ってもらいたいと考えた。ユーモアに翼をつけて、世界中に届けたい。だが、この地上はユーモアにとってあまりにも狭い。」
「私のギャグはうけません」
「では、君の左手のネタはうけるのかな?」
「右手にはかないません」
微妙なギャグに私は自信を失った。
「ユーモアのセンスというのは才能の違いが表れるものでしょ?」
「ユーモアのある人はただ情報を処理しているにすぎないんだ。どんに速く頭が回転していても、情報を入力して、それを加工、処理しているにすぎない。そのスピードが他の人より桁違いに速く、意外なために周りの人を『スゴイ』と感心させるのだ」
「私にも身につくものでしょうか?」
「思考プロセスが分かれば、訓練により身につくはずだ。法則を知れば、誰がやっても再現可能なはずだ。技術は万人が身につけられるものだ」
「誰でも、猿でも身につけられるんですね」
「そうだ、そして、技術を身につけることで、楽しい人間関係を身につけることができる。閉塞感の突破口を切り開くことができる。幸せは人によって違うが、幸せが達成できる基準が欲しい。つまり、今を面白くできることだ。今を面白くできなければ、面白い時間は永久にやって来ない。目前の時間を魅力あふれるものにするのは、君、君の人生をつくるのは君なのだ」
「具体的にはどうすればいいのでしょう?」
「日々を充実させることだ。例えば、会話は楽しくさせる。自分の話す内容は『おはよう』と言うより価値のないものであってはならない。その時その時を工夫して過ごすのだ」
「すぐにそんなバラ色になりますか?」
「長い鍛錬が必要だ。長い鍛錬がこの一瞬を呼ぶと言っていい」
「でも、いいアイデアはなかなか出てくるものじゃないでしょ?」
「ひらめきと猫とは呼んでも来ないが、呼ばない時にやってくるんだ」
「アイデアは落ちているものではありませんね?」
「ユーモアのネタは地球上の魚の数よりも多いんだ。アイデアは落ちているものだが、なかなか捕まらないのだ。素手で魚を捕まえるようなものさ。魚はたくさんいるのだけれど捕まえることができない。だから、アイデアは釣り上げるにかぎる。しかも、一本の釣竿ではなく、百本の釣竿で釣り上げろ」
「私は魚をどうやって釣り上げればよろしいしんですか?」
「システマチックに対処するのだ。こういう時は、こうする、ああいう時は、ああすると対応を決めておくのさ。その数が多ければ多いほど、つまり、釣竿が多いほど、アイデアは捕まえられるのだ」
「いろいろなパターンを知っておくわけですね?」
「システマチックに対応すれば、牢屋の中でもアイデアは生まれるし、死刑囚だって笑わせることができるはずだ。人を笑わせるのは、手をたたくのと同じくらい簡単になる」
「スピードにも対応できるわけですね?」
「理論を整備してシステム化してあればね。そうすれば、知識は活用できるようになる」
「でも、何度も同じことを繰り返したらあきられるし、ネタ切れにもなるでしょ?」
「いろいろなパターンを試していれば、マンネリにはなりにくい。そして、アイデアが出尽くしてしまったときは、辞書を見ればいい。千も見出し語を眺めれば、その中から一つや二つ、引っかかる言葉が出てくるものだ。例えば、『ヘルメット』という単語に行き当たったとする。昔、『ヘルメットを脱げ』といきなり言うネタがあったが、これは情況によっては、今でも復活するネタだろう。また、猫にヘルメットをかぶせたらどうなるか? 実際に実験してみれば面白いだろう。」
「ネタが切れそうになったら、キーワードがたくさん載っているものを眺めるわけですね」
「ネタの仕入れ先は人により違いがあったほうがいいが、たくさんのキーワードを眺めることは重要なことさ。その他にも、ショッピングセンターで品物を見たり、動物園に行ったり、本を読んだり、常に新しいネタを仕入れる努力をしなければいけない。ネタは千集めて一つ出すようにすれば、飽きられない」
「千集めて一つですか?」
「魅力的な自分、面白がっている自分をアピールするのだ。一言に最善を尽くすんだ」
「たくさん、経験して、魅力的な人生を送るわけですね?」
「もちろん、知識は多いだけではいけないよ。五千語単語を暗記しても、外国語が話せるようにはならない。三百語を適切に使えることが大切だ。まず、得意の型を一つ作ることだ。法則を見抜き、知識を使えるようにすることがより大切だ」
「私はどんな目標を持てばよろしいのでしょうか?」
「君は石を笑わせることができるくらいにならなければならない。石が無理だったら、猫を笑わせろ。何、猫は言葉が分からない? 猫を笑わせるにはくすぐればいい」
「猫は笑いません」
「猫は笑う。猫は哺乳類じゃないか。猫が笑うことを知らないものに、ユーモアが理解できるわけがない」
「では、石をどうやれば、笑わせられるのか教えてください」
「まず、面白さの本質について知ることだ。面白いと感じたことがあれば、なぜ面白いのか考えるのだ。そうやって、考えていくと、思い込みを突き崩したときに、ユーモアが生まれることが分かる。人間にはとらわれがある、それを揺さぶるんだ。意外だとか、新鮮だと感じることに人は面白さを感じる」
「どうすれば、思惑を裏切ったり、新しいものを提案できたりするんですか?」
「例えば、ずらしてみればよい」
「ずらす?」
「魚が泳ぎ、猫がひっかくでは当たり前だ。それらを入れ替えて『猫が泳ぎ』、『魚がひっかく』とすると、意外になる。実際に魚がつめでひっかいている場面をイメージしてみよう、意外だろう? 『ライオンが甘えて胴をすり寄せて来る』のもあまりなさそうな情景だ。新しい組み合わせを見つけることが大切だが、その時、型を見つけ、部分を組み替えていくことが大事なんだ」
「型を見つけ、組み換えていくんですか」
「例えば、目的をずらしていくというのがある」
「目的をずらす?」
「自動車の目的は移動だ。そしてイスの目的は座ることだ。そこで、『イスで移動し、自動車に座る』とずらすことができる。『競馬場でお祈りすると願い事がかない』『神社で馬券を買う』とずらしてしまうんだ」
「なるほど」
「ちょっと道を空けてくれないか? タイガーウッズに会いたいんだ」
「道を空けてもタイガーウッズには会えないわけですね? ずらすと新しいものが生まれていくわけですね」
「全ての新しい組み合わせが意外なわけではないが、新しいものを生み出す発想法を知っていれば困りにくくなる。型は多く知っているほうが、より柔軟性が出てくる」
「型はどこで見つけるんですか?」
「無からは何も生まれない。ひらめきは掛け算のようにできている。ゼロに何を掛けてもゼロになる。だから、天才のひらめきを応用するのだ。天才たちの表現を借用して、うまい文句を作るのさ。名文句は覚えられるだけ覚えるにかぎる」
「パクルんですか?」
「全ての小説やコントはパクリで出来ている。部分的に見れば、全てに先例がある。ただ、そこに新しいシチュエーション、新しい世界観があるかどうかなんだ。情況に応じて変えれば、パターンは同じでも使うシチュエーションが変わりそこに新しさが生まれる。元のネタよりもつまらなくなるなら、素直に元のネタをそのまま使うべきだ。無理して改悪することはない。その情況を面白くすることに全力を傾けるのだ。自分が面白いと感じたものは、そのまま他人に試してみるといい。切り札をたくさん仕込んであると、使える時が来るのが楽しみになる」

 夜になった。
「君ちょっとお猫様に会いに行かないか?」 
「先生は猫を飼われているのですか?」
「いや、ここでは猫が人間を飼っているんだ」
「人間が飼われている?」
「ここではお猫様が権力を握っている」
「じゃ、猫は王様なんですか?」
「違う。お猫様は法律そのものだ。この土地には法律というものがない。お猫様の言うことがそのまま法律になる」
 歩いていくと、池の上に木製の太鼓橋があった。
「この橋を渡るとお猫様がいらっしゃる。君一人で、会ってくるといい」
「一人で?」
「お猫様は、新人に会うのが好きなんだ。私はここで去らばじゃ」
 橋を渡ると、竹林があった。その中の一本の竹の根元が光っていた。その竹には、願い事が書かれた短冊がたくさんつるされていた。「Jリーガーになりたい」「泳げるようになりたい」「ウルトラマンになりたい」などと書かれている。何も書かれていない短冊、と筆が机の上にあった。私はその一枚に『猫』と書いた。(何か工夫はないか?) 『に小判』と書き足した。笹の葉に結びつけると、光る竹の根元が割れた。
 その中から猫が小判を抱いて出てきた。
(ぼくは猫以外のものなら何でも我慢できるがあいつはその猫だ)
 すると、突然、猫がしゃべるではないか。
「松嶋奈々子と激突したというのは君かね?」
「残念ながら、夢の中でも激突したことはないんです」
「実は、松嶋奈々子はわしの妹なんだ」
「えっ、松嶋奈々子のお兄さんって、猫だったんですか?」
「お前が欲しいのは、金の小判か銀の小判か?」
「猫に小判です」
「この人間はちょっと気まぐれだが、かわいいね。この人間は猫だと何歳ぐらいかな? うむ、年齢不詳だ」
(何を言うか!!)
「君は、ひげがあるものに不信感を持っているね? だが、食べられる心配がないのなら、ひげのあるものを嫌ってはいけない」猫はジロジロと私を見つめた。
「君は、猫系の夏目漱石だね。つまり、君にちょびひげをつけると夏目漱石そっくりになって、横にひげを書くと猫になるわけさ」
 猫はもったいぶって言う。
「今から一つ重大な話をしたいんだが、やっぱり言わないでおこう」
「何です?」
「ALH84001についてだが」
「AL???」(謎めいたところが、注意を引くな。何のことか分からないことを言うのがユーモアの秘訣なのか)
「火星から南極に飛んできた隕石だ。なんでも、生命の痕跡が見つかったらしい」
「火星にも生命がいるかもしれないって言いたいんですか?」
「猫にも科学は必要さ。吾輩は二十一世紀の猫だから、コレくらいの教育はある。他にも、人間をくすぐれば笑うことも知っている」
「くすぐりる?!」
「人間を撫ぜてやると、ゴロゴロと声を立ててリラックスするからね」
 猫は満足げに茶碗の中に手をつっこんでゆっくりかき混ぜた。
「指先だけでも、温泉気分」
「猫がお湯につかるんですか? 猫は魚が好きだけど、水に入るのは嫌いなんでしょ?」
「でも、西表ヤマネコは川に入って魚を取るんだ」
「人間は猫についてあまり知らないようですね」
「だが世界は広い。アメリカ人は日本のことなどより猫についてのことのほうが詳しい」
(何かごまかされたようだが、うまいことを言う)
「デフレスパイラルや日本主義経済、それから猫のゴロゴロについて分かっている者もほとんどいないね」猫はひげをなぜて言った。
「ちょっと、頼みがあるんだが」
「何でしょう?」
「ちょっと、あの三日月に座りたいから、取ってきてくれないかい?」
「少々お待ちください。科学技術が発達するまで、3000年ほどお待ちください」
「なかなか、結構。不可能なことは、なんなりと言うがよい。余の辞書は不可能だらけだ。褒美に月の光で編んだワシの愛の力を進呈しよう」
「殿下のご厚意には感謝のしようがございません。夜空の星が涙となって感涙の涙を雨と降らせるでしょう」
「うまい、この茶を飲んでみないかね?」 猫は茶碗を差し出した。
「この茶を飲めば、腹がふくらみ子を宿すことができる。カエサルもこの茶を飲んで子を宿したという話だ」 猫は茶碗を私に手渡した。
「君に勧むしばらく吸え杯中の月」
「飲んでみましょう、イエスを生んだマリア様の気持ちが分かるかもしれません」私は茶を飲んでみた。
「私は生まれてくる子の、父となり、母となるのですね?」
「どの子にも、お父さんとお母さんが一人ずついる」
「一人二役もいいでしょ」
「実は頼みがあるんだが、」 
「何でしょう?」
「ちょっと歩いてオックスフォード大学に行ってほしい」
「歩いては無理ですが、タクシーで行ってきます」
「そして、ヤンキーズの松井選手に会ったら、『アロハシャツに海パンで野球をするのは止めてください』と頼んできてほしい」
「松井選手は野球場でサーフィンをしてるんですね」
「困ったことだ」
「私も困りました」
「なんだね?」
「松井選手はオックスフォード大学にいるんでしょうか?」
「いないのかね? そいつは気づかなかったな。ところで、何か望みはないか?  なんなりと言うがよい。 おいしい魚が欲しいとか、つめをとぐ木が欲しいとか? いろいろあるだろ?」
「そろそろ、眠りたいと思います」
「それはつまらん。人間は不便だ。夜になると人間は眠る。しかし、猫は目が冴えてますます猫的になるのだ」
「ギャーウキウキ」奇声が聞こえてきた。
(何だろ?)
「ギャユ、ゲコン」小太りで肌も服もしましまな妙な男がやってきた。
「・・・・」
「うけを狙う時は奇声を発するに限る。幼い子や幼い子なみのやつには効果的だ」
「私には、柔道で言えば『効果』というよりも、『指導』のように感じますが・・」
「ライオンの前でコケテモ、食べられるだけさ。お互いにユーモアに対する共通理解がないとね。ユーモアの道を歩むものは、スベルことを苦にしてはいけない。寒くならないことを考えるのだ。ホメラレモセズ、クニモサレズ、ソウイウギャグヲ、ワタシハイイタイ」
「あのガスマスクは何のためにつけるのでしょうか?」
「あれはやつの地顔だ」猫が答えた。
「あいつについてもっと説明しよう。ニャオー、ニャァー」(何を言っているんだ?)
「お前が猫の言葉が分かるのだったら、もっとうまく話せるのだが、人間の言葉では肝心なことは説明できん」
「アメリカンショートヘアみたいに、しましまですね」
「黒い猫がいて、黒い人がいる。しましまの猫がいるなら、しましまの人間がいてもいいじゃないか」
「でも夜は全ての猫を灰色にしますね」
妙な男「人や猫を外見で判断してはいけないよ。でも、うけるためには外見が大切なんだ」
猫「シンデレラの靴を履いても、猫は猫。猫は虎に似ていてもライオンになることはない。外見は重大だがさほどのことでもないんだ。ところであいつに名前をつけるとすると何がいい?」
「ブイヨンプワニンタン」
妙な男「ぼくは、シマだよ。しましまのシマだ」
「からだはシマらないけど、ギャグはシマったシマさんですね」
妙な男「男の反対は女だが、リンゴの反対は何かね?」
「リンゴの反対があるんですか? きっとその答えはナシでしょ」
妙な男「惜しい、違うんだ。リンゴの反対はゴンリだよ。ところで、君は友達が少ないだろ?」
「そうですね」
「『友達募集」の貼り紙をするといい。そうすれば、たくさんの猫が寄ってくるだろう」
「わたしはかつお節ですか?」
「そんなうまそうなものじゃない。メロンやすいかみたいなものだね」猫が答えた。変な男は言った。
「君は歌がうまいかね?」 猫が続けた。
「月がきれいだ。滝廉太郎の『荒城の月』でも歌ってごらん、聞いてあげるから」
(うるさい、猫のくせに。誰が歌うもんか)
「ところで、縄文土器って知ってます?」私の質問に変な男は壊れた。
「縄文土器、ドキ。胸がドキドキ、ドッキーン♪ 今がときめく潮時だー」
「縄文時代にアメリカに猫はいたのかね?」猫が質問した。変な男は答えた。
「ドキッとする質問だね。この気持ちを和歌にすると、和歌は分からんとしか言いようがない。ところで、短冊に『ウルトラマンになりたい』と願い事を書いたのは君だね。」
「違います。『ウルトラの父になりたい』と書いたのです」
猫「君は何を話しているのかな?」
「日本語です。しかし、猫が日本語を話すなんて夢みたいですね」
猫「日本語が話せる猫というのはわしともう一匹百年ほど前に記録がある。猫年代記によると、猫紀元◇1380年の13月32日に猫が人間としゃべったと記録がある」
妙な男「ヘルメットを脱げ」
私「君はガスマスクをはずさないのに、何でそんなことを言うのかね?」
妙な男「この、マスクははずせない。地球温暖化を防いでいるんだよ。君も京都議定書には賛同しなければいけない。私はアメリカ人にもっとガスマスクをつけるように訴えてくるよ」
妙な男は走り去った。
猫「そろそろ、時間が来た」猫は突然空中に漂った。
「ワァ」
「こうすれば、サメに襲われる心配はないだろう?」
「はー」
「もし、私に会いたくなったら、月を鏡にして会えばよい。月にいるのは、うさぎではなくて、私だと思ってほしい。月は猫の目のように形を変えていく。そして、鏡には微笑んでくれ。そうすれば、君に微笑を返すだろう。決して怒ってはいかん」猫は少しずつ消えていき上半身だけとなった。
猫「ところで、君は演習地としてどこに行きたいかね? 富士山がいいかね、京都がいいかね?」
「富士山がよろしゅうございます」
「それはいい。ではまた会おう」
「天に誓って」
「では、わしはこのできの悪い頭に誓おう」猫は笑いながら消えていった。

 私は演習地として富士山を選んだ。富士山を見ながら、富士山についてのネタを考えるのだ。ユーモアのパターンを一つ一つ実際に体得していくのだ。私は富士山が見える窓のある部屋で一人師匠を待っていた。すると、廊下で声がした。
「ユーモアなど実にくだらんものだ。あいつら、内容が空っぽなやつが面白いと思っていやがる。あいつらに、微分の面白さが分かってたまるか。あいつらには、水で薄めたすかすかの内容でも話しておけ」ユーモアについて、辛い意見を持っているようだ。
 ドアが開いた。師匠が入ってきた。眼と眼が合ったが、二人とも黙ったままだった。沈黙が続いた。そしてようやく師匠が口を開いた。
「君は何も話さないのかね?」
「何を話していいのか分かりませんでした」
「人間は動物と違って、細やかなコミュニケーションができる。面白いことを話して、人間としての能力を最大限に活用しなければならない」
「面白いこととはどのようなものでしょうか?」
「大きく分けて二つある。内容に関することと、論理や形式に関すること、つまり、処理の仕方のうまさについてのことだ」
「内容と形式ですか?」
「そうだ。内容には、組み合わせに関することと解釈に関することがある。何を選択するかという問題と、どういう印象を持つかという価値判断に関する問題だ」
「選択と価値判断ですか?」
「意外な話題を選び出すこと、意外な価値判断をすることが大切だ」
 それから、ユーモアの論理についても言及があった。論理や形式のパターンに当てはめて、情報を処理していけばいいことが分かった。パターンを覚えれば、情報の処理の問題である。私は富士山をキーワードにして、いろいろなパターンに当てはめて文を作ってみた。当てはめてやっていくと、何とか形にはなる。
「とにかく、いろいろなパターンを試してみること、量考えることが大切だ。できに対して私はいいとも、悪いとも言うつもりはない。とにかく、思いつくだけ、書き出してみなさい」
 私はいまいちのものも書き出していった。ただ自分で考えることの大切さは分かるような気がする。

「a、b、c、三つの選択肢があるとする。君はどれを選ぶかね?}
「選択肢が分からないなら、選択のしようがありません」
「どれをえらんでも、だめに決まっているじゃないか。人生は短くお金は少ないんだよ。君は結婚しても独身でいても必ず後悔する。勉強をしても、遊んでしまっても必ず後悔する。女性に言い寄るやり方が三通りあるとすると、その全てが失敗につながる。すべての選択肢は後悔へと通じる。松井選手が何億円稼ごうと、私の所得は低いままだし、猫はニャーと鳴き続ける。『一年・・・三百六十五回の失望からなる一期間』とはよく言ったものさ」
「すごい悲観論者ですね」
「人間は嫌なニュースを聞きたがるものだ。悪いニュースは視聴率が高いから報道されやすい。プラス思考を訴える人間はそもそもがマイナス思考なんだ。放っておくと人間はマイナス思考になりやすい。だから、プラス思考を訴えるんだ」
「それなら、私はどうすればよろしいのでしょうか?」
「心配するな。それでも、空は青く地球は回っているさ。ハッハッハ。だが、がんばっていつでも誰でも笑わせられるようになるといい。それができたら、チャップリンや夏目漱石よりも面白い。新人であり、無名であるものは、チャップリンや夏目漱石を超えていく気概がほしいのさ」
 私はそんなものかと思って富士山を見渡した。

 私は富士山での演習での作品を猫に見せようと思った。すると、猫が空中で笑いながら現れた。
「ちょっと、蚊を追っ払うために、歯を磨いてきたんだ」 そして、私の作品を見るとうなずいてまた消えてしまった。

 私は全ての笑いが好きです。でも、このような暗記は嫌いでした。しかし、少しずつユーモアが身に付くようになって、今ではこのシステマチックな対応方法が好きになりました。
 私は再び手に構文句集を取って読み始めました。
 夢が醒めたら、構文を手に取って夢の世界に戻ろうと思います。

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