弱者男性のなりそこない

※いうまでもないですが、このnoteはきわめて差別的な用語が多数登場します。特定の個人を誹謗中傷する意図はありません。

導入

非常にいまさらなんですが、「弱者男性合コン」ってあったじゃないですか。

そうです。「本物の弱者男性じゃない!」って話題になったやつ。


ここに参加した人たちがほんとうに弱者男性かどうかはまあ一回おいておきましょう。主観的ですし。

禿でもデブでもチビでもブサイクでも弱者じゃないやついくらでもいるし見た目じゃ判断つかんでしょ。

でも「本物の」弱者男性が合コンで失敗してるところがみたいだなんてずいぶん醜い発想ですね。ここは動物園じゃないぞ。

ところで

弱者男性ってとんでもないワードだと思いません?

平成後期くらいは「オタク」「キモオタ」くらいだったのが「陰キャ」だの「チー牛」だのを経て、「弱者男性」ですか。人権のかけらもない。

このワードを使う文章からは「弱者男性はこっちくんな」みたいな気配さえ感じますね。差別意識がすごい。

本能的にはわかるんですよね。
もともと弱いオスって生存価値ないんですよ。強いオスだけいれば種の生存には支障ないわけですし、弱いオスの子って生存確率低くなりますし。

ただ、それを丸出しにされると「本能に忠実なんだなあ」とおもっちゃいますね。差別は本能的なものでしょうし。

本題

ようやく本題です。

幸か不幸か、ぼくはどうやら「弱者男性」側ではないらしいです。独身ではあるものの、他の計測可能な指標である学歴とか年収とか見ちゃうとどうも平均はしっかり上回ってるらしいので。

(弱者男性を自称するデメリットはかなり大きそう。理由は説明しないけども。)

ところが自分ではとてもとてもそれを自認できないんですよね。困ったことに。なんででしょうね。

答えは簡単で、周りに上位互換みたいなのがいっぱいいるからなんですね。

同じコミュニティにぼくより明らかに優れた能力をたくさん持っているのに、ぼくが勝てるところがほとんどないやつがたくさんいるんですよ。

困ったことに、性格まで大体彼らのがいいという。どうしろと。

背景

ぼくはもともと病弱でした。というかいまでも病弱です。
小さいころから体力もなく、風邪なんだか風邪じゃないんだかよくわかんない体調の日も多く、長時間外で遊ぶことができないこどもでした。

コミュニケーションもいけておらず、いわゆるIntrovertで、おともだちも少ない。

ロングスリーパーなので練習量でごまかすのも難しい。

本来的にはいわゆる弱者側に落ち着いても何もおかしくなかった。ただ、ひとつだけ得意なことがあった。それが助けてくれたわけです。

何を隠そう、ペーパーテストです。たまたまこれだけは才能があった。

これのおかげでそれなりに名の知れた大学にも入れたし、その勢いで就職もできた。

(ペーパーテストって実際努力で這い上がるのに比較的割がいいとおもうんですけど、その話は今度します。ちょうど炎上してましたね。)

ところがどっこい。そういう世界には「なんでもできるマン」がたくさんいるんですよ。

C特化で選出されたのに、となりにはAC両刀のガブリアスいるみたいな。伝わらないか。

なので、そういうひとたちといると自分が「たまたまペーパーテストできるから紛れ込んでしまった」存在に思えてくるんですよね。

つまり

そういう身からすると、弱者男性って明日は我が身なんですよ。

一歩間違えればただの引きこもりorワーキングプアまっしぐらだった。今でもそう思ってます。
弱者男性に石を投げたり、弱者男性の醜態見たさに配信見たりなんてとてもできない。むしろ共感性羞恥だろ。

実際現代社会において弱者とよばれてないのなんてほとんど偶然でしょう。昔はマンモス狩れるのが偉かったのに、今じゃお金とかいうよくわかんないもの持ってる人が偉いわけですか? 平安時代に美人とされていたおたふく顔って今ではどんな扱いです?

もともとそこに線なんてなかったものを無理に線引きしようとするなんてぼくにはできません。そこの差なんてたまたまだし、基準も日々動いているわけですし。

だからこそ、そういうワードは極力使いたくないし、ひとをカテゴライズせず、その人のやるこということだけに純粋に反応していきたいな、と思ってます。

自分より下位の存在を認識して安心したい気持ちはわかるけど、理性的にありたいものですね。

ただオタク各位は風呂には入ってくれ。頼むから。


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