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読んだ本の話/推し、燃ゆ

“芥川賞“と並んだ“推し“の単語に二度見しちゃった人も多いのでは?私もその1人でした。
結論、間違いなく芥川賞で、令和の純文学でした。

(ネタバレあり〼)

上記の違和感が最初に気になったきっかけだけど、読む決定打になったのは私自身の“推し“が気になってる本にこのタイトルを挙げてたこと。
乃木坂46、2期生、鈴木絢音ちゃん。

彼女がもしこの本を読んで、もし感想を我々ファンに共有する機会があったとしたら。
彼女の感想を“解釈“するためにも絶対読んでおかなきゃ!って、義務感にも似た衝動でポチりました。

作中の主人公、あかりも推しを解釈するタイプのオタクで、のめり込み度はさておき推し方にはかなり共感した。
どうしてそういう言葉を選んだんだろう、どうしてそう振舞ったんだろう、なんで今日の髪型はいつもと違うのかな。
推しを解釈するための材料として推しのことを調べる。ひとつひとつの意味を知るたびに好きになっていく。そんな感覚は私も覚えがある。

推しを自分の背骨に喩え、その背骨を失ったあかりは普通に生きて行くことすら難しくなる。
背骨を無くした生き物が、二足歩行が難しくなるように。

それが炎上した時でなく、推しが引退した時だったことに深く頷いた。そうなんだよお。
ガチ恋じゃないから交際発覚でもオタ卒はしない。炎上の内容によっては、ちょっとプロ意識〜!とがっかりする事はあるかもしれないけれど、基本はその言動の理由や背景という解釈の命題が増えるだけに過ぎない。
だから背骨を失うのは、推しを推すことができなくなった時、即ち引退・卒業なのだ。

炎上して離れるのは自分の意思だけど、引退はある日突然、でこちらの意思とは関係ない。
まさに青天の霹靂。out of the blue。
自分の推しが卒業発表した時を想像してみようとしたけど、うまくできなかった。


背骨の喩えに代表されるユニークな比喩が多くて、言語化がとても上手かった。
しかもその言語化される対象が、特に若者が共感するであろう価値観や感覚で。(著者の宇佐見りん先生は現役大学生!歳下!!)
偉そうだけど久しぶりに質の高い文章に触れた気分で、令和の純文学という感想。

最後に。
このタイトルを読む決め手に戻る。
絢音ちゃんはこの本を読んで、何を感じるのか。

結論から言うと分からなかった。

自分も知らず知らずに誰かの背骨にされているかもしれないことに慄くか、
ファンってそういうものなのかあと案外軽く受け流すか、
自分はこんな風にはならないぞと決意を新たにするか、
どの可能性もなくはないけど、どれも全然リアルじゃない。
推しとファンは絶対に交わらなくて、同じ世界を見る事はできなくて、その間には透明で分厚い壁がある。
私はその壁を少しずつ噛み砕いて理解することに喜びを覚える、シロアリみたいなオタクだけど、
その余りの厚さがたまに寂しかったりもする。

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