徒然なる言葉
SNS、YouTube、ネトフリ、アマプラ、話題の漫画やアニメ、レシピ動画にグルメサイト、インプットが多すぎる世の中で、どんどんアウトプットが下手になる。
思考を巡らせ、行き着く先を吐き出すこともなく、ただ忘れたくなくて何度も何度も頭の中で繰り返す。
心情や思想、何でもかんでもSNSに吐き出せるタイプではないのだ。監視カメラだらけの世の中で誤解のないよう表現するのはなんて億劫なんだろう。自己承認欲求と面倒を天秤にかけ、結局書きかけた文章も載せかけた写真も消してしまう。
誰にどう思われたいからでもない言葉がある。
感じたこと、経験したことをそのまま記し、形にし、吐き出したいだけなのだ。
そんな気持ちを書き記そうと、「徒然なるままに」なんて書き始めようと思ったけど、よくよく調べてみると紀貫之のマインドを誤解していた。
『徒然草』
〈原文〉
つれづれなるままに、日暮らし、硯すずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
〈現代語訳〉
孤独にあるのにまかせて、一日中、心に向かい合っては消える他愛のない事柄を、とりとめもなく書きつけてみると、妙に妖しくおかしな気分になってくる。
紀貫之、めっちゃ孤独。学生の頃、きっときちんと背景だったりこの続きも学んだはずなのに全然覚えない自分にもびっくりなのだけど、少なくとも慌ただしい毎日で疲れた。人の目とか気にしたくなーい、好きなこと書くわ。的なマインドではなかった。
呑気なギャルがセンチメンタルに安易に自己投影してごめんな。
誰かに吐き出したかったけど、相手がいなかった紀貫之と、誰かに吐き出したいし、相手もいくらでもいるのに、面倒になってしまった私。
繋がりすぎると、案外面倒なものだよ。
なんて。
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