見出し画像

7月18日

7月18日

前日、かなり飲んだが、起きたら軽い二日酔いだった。
新潟に帰ったお客様がわざわざ家に来てくれて、最近痛かった肩周りのマッサージをしてもらった。
終わって二人で、星男のランチを食べて、別れた。
その後は、文章を書いたり、ぼーっとこれからのことを考えたりした。

私は、ほとんど新宿から出ない生活をしている。
ほぼ全ての用事が新宿で完結する。

新宿区に住んだのは、付き合っていた彼の家に転がり込んだ34歳の頃からだった。
それまでは、世田谷近辺に住んでいる期間が長くて、はじめこちらの方はやはり都会だと感じた。

世田谷の方では、畑がまだあったり、高い建物もそこまではなかった。
その感じが好きだった。

新宿にくる前の半年間だけ、根津に住んでいた。
根津に来る前、すぐに引っ越しをしなければならず、その前に付き合っていた彼に飼っていた犬を預かってもらっていて、彼の実家が浅草にあったのと、仕事先が小田急線だったので一本で行ける比較的近い街を選んだ。
ほとんど行った事もなく、縁もない街に住むのは初めてだった。

私は、不安症で慣れてない場所に住むのは怖いことだったのに、なんとなく、どうにでもなれという投げやりな心情だったと思う。
しかし、住んでみるとこの街の色々がどんどん好きになっていった。

別れたばかりの落ち込んでいる時に、不忍池の蓮に生きる強さを見た。
冬の時、泥だらけに見え、枯れた蓮が暖かくなるとすごい勢いで葉を伸ばし、花を咲かせた。
私は、それを見るのに夢中になった。
蓮の池に行くと、全てのことがどうでもよく感じた。
毎日、生きているというエネルギーを浴びていたかった。

その半年の間に、私はまた恋に落ちて、新宿に移り住んだのだ。

懲りもせずまた恋ができたのは、蓮のおかげかもしれない。

数年たち、また新しい恋人とは別れていた。
私は、上野の美術館やその辺りに行くついでに前に住んでいた家を見ようと思った。
アパートは1階を人に貸していて、上は大家さんであるお婆さんが住んでいた。
アパートの前に着くと、その周りに仰々しく入ってはいけないという目印の黄色のテープが張り巡らされていて、よく見ると家は燃えた後のように黒く焦げ、焼け落ちたであろうドアや開いた窓がそのままになって何もない黒い室内が丸見えだった。

私は驚いて、慌ててネットで調べると私が出て行った半年後にここは大火事になって、大家さんのお婆さんも亡くなってしまった記事を見つけた。

なんとも言えない気持ちになり、意味のない奇声を発するのを止められなかった。
自分がどういう感情なのかもわからなかったが、奇声と涙がただひたすらに溢れこぼれ落ちた。

そのまま、新宿までただギャーギャーと奇声を発しながら歩き続けた。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?