第一回弦楽器指導者の会を終えて

去る9月20日に台風14号の接近の危ぶまれる中6名の参加者にお越しいただき楽しい意見交換の場を得ることができました。

参加者は現役音大生から近く独自の教本を出版されるというベテランの先生までと幅広く、様々な視点での意見を交換することができ有意義な時間でした。

立場や世代によって興味関心は異なりますが、やはりひとりひとりの先生のその時に関心のあることを軸にした切り口があってこそ、教えることを楽しみ充実したものにできるのだなと感じました。よく教えたいのは皆同じですが、心の中のよりどころは十人十色だなと。これはあたりまえのことですが、一堂に集まるとそんなことがリアルに感じられ面白いです。

さまざまな学びがありましたが、現役の学生の方々の視点から学ぶことも実に多いと感じました。学生は自分の教える経験に加えて、過去にどう習ったかということをより鮮明に記憶しています。そのような学生の方々も含めた参加者との会話の一端を紹介したいと思います。

参加者A「教える時に過去に先生に言われたことをよく思い出して生徒に伝えるようにしている」

参加者B「もちろんそれは大切だが、先生たちは生徒が良くできていれば褒めるだけで、教えるのはできていないポイント。だから過去に受けたレッスンで受けた言葉の記憶は、その先生の教えられる知識の氷山の一角。ほかの生徒には別のことを言っていることも良くある。」

参加者C「そこにグループクラスの意味があるかもしれない。ほかの人が何を言われているかを見ることで、自分がたまたまよくできていて指摘されなかった部分も知ることができる。」

参加者D「僕の子供のころについた先生は、よくできているときに何がどう良かったかを必ず具体的に言葉にして言ってくれた。」

参加者E「それはヴァイオリン演奏のあるべき全体像を示してくれているということですね。」

このような会話があったわけですが、私自身はよくできた時に何がどう良かった言ってもらった記憶はあまりないのです。「よくできました合格!次の曲に行っていいよ!」という感じの記憶が多い気がします。自分が教える時も限られたレッスン時間を有効に使いたいので、生徒が良くでいた時に長々とほめることはせずに、即座に次の課題に話を進めるような教え方をしてきました。

よく考えると、その時に悪いところを直してやることには即効性を感じますし将来への基礎になりますが、生徒の何がどう良いかを具体的に褒めるということも、モチベーションを上げるという意味だけでなく将来的への指針になることなのです。意識せずにできていたことが、良いことだったのだと意識に残れば、生徒がひとりで何かの曲に取り組む時にはが道しるべとなります。またよくできているポイントも含めて網羅するように具体的に指摘することが、音大に行き教える立場になる人に、教師としてのかけがえのない下地を与えることなどは考えてみたこともありませんでした。

そこでさっそく翌日から「よかったことを具体的にどうよかったか褒める」ことを1週間実践しています。

気づいたのは、まず具体的に褒めるには意外と頭を使います。具体性があやふやだと思い付きのお世辞と変わらなくなってしまいます。そしてなにより教えることが楽しく新鮮になります!できないことをできるようにしてやることに偏重していたのかもしれません。よくできているところを探す方が難しいです。間違いは目をつぶっていても気づきますが、当たり前にできている普通のことをピックアップすることは全く違う集中力を使うようです。

おまけにもう一つ、先述の「よくできていることを具体的に褒める」ことをしていた先生が、ビブラートをどう教えていたかというお話も聞くことができました。

ビブラートはヴァイオリンの場合は指を揺らすことで作るのですが、教えるのに中々苦労する部分です。通常は基本の位置から指を動かして振り切った位置まで持っていき、そこから元の位置に戻すという動作を連続して行うものとして教えます。ところがこの先生は振り切った位置に先に指を合わせ、そこから通常の位置に戻すという、通常とは逆の手順で教えていたそうです。

後で考えると、これも鍵は「具体性」なのですね。ビブラートの練習の難しさのひとつには、どの方向にどんな振れ幅で指を揺らすのかが学習者にはつかめないところにあります。ところがこの先生はMaxに振り切った場所を先に示してしまうのです。そこからいつもの場所に揺り戻すと。これはかなり具体的で分かり易いと言えます。

さらにそこで生徒にかける言葉も素晴らしい。そのようなやり方で覚えさせるビブラートは、さしあたり出来るようにする段階のビブラートであって、もっとも表現力に富んだビブラートではないわけです。そこでこの先生はビブラートを教える時にこうおっしゃったそうです。

「僕はこう教えているけど、この先ほかの先生のところに行くと違う教え方をされるかもしれないからね」と。

なにが素晴らしいかというと、これが初心者のやりかたであるとか、まがい物のやりかたであるとか、あまり良いやり方ではないのかもしれないといった、疑念やネガティブな捉え方を避ける言い回しだと思うのです。それと同時に、いつまでもそのやり方にこだわってはならず、次の段階では別な取り組みがあることを納得させるための布石になっているわけで、本当に思慮深さを感じます。

また折りを見て他に出た話題もシェアしていきたいと思います。






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