③教本についてより深く考えてみる~後編

前編のまとめ

・学校教科書はプランに従って細かく作りこまれているということ
・実際に教える上では教科書の内容よりもさらに小さなステップに落とし込まれていること
・教えるノウハウの共有が学校関係にはありそうだということ

前編では国語教科書を例にとって、上記のポイントを導き出してみました。これらのポイントを弦楽器指導に当てはめて考察してみます。

教本の成り立ち-リダクショニズムとホーリズムの視点から

教本をは教科書と基本的に同じプロセスで作られています。まず目標があり、それ分解してより単純な要素に落とし込み、それら複数の要素を組み合わせて全体を達成する流れを作るというプロセスです。(リダクショニズム)対極にあるのは全体は部分に分割することができないという考え方で(ホーリズム)、禅の公案の様に分かるか分からないかの世界です。しばしば芸術家タイプの人が段階主義的なメソッドの類に抵抗を示すのは理解できますが、ホーリズム的な考えを基に教程を作ることは難しい。したがってより多くの人の理解を目的とする教本の類はリダクショニズムに基づいています。

教本のたどった歴史の洞察

さて『篠﨑バイオリン教本』の著者の篠﨑弘嗣先生は教本の序文に「初学者の指導法にも関心をもって各国のあらゆる指導書を研究」するうちに、当時の外国では「年少者の生徒は非常に少なく、従ってそのための指導書等もあまり研究されていない」ことが分かり、自ら教本を編纂したと述べられています。教本の中には日本で親しまれていた曲とともに、各国の楽曲や練習曲がふんだんに引用され適所に配置されています。

また前編で触れた『サクラ読本』の編者の井上赳氏も篠﨑先生と同じく各国を訪れて国語教科書を研究した人物ですが、こう述べています。「教科書は、時代とともに発達し、進展し、変遷する。昨日まで名著とたたえられて教育実際家にもてはやされ、全国児童の口に声高く誦読されたものが、ただ新書のみが対象として考えられ、取り扱われる。しかし物は歴史なくしては存在せず、随って真個の教育を成さんとする人は、当体の教科書が出るまでに、ほぼいかなる歴史をたどったかを明らかにすることが極めて肝要である。」

つまり現在の教科書の下地となる過去の教科書と研究にも熟知しろとおっしゃっています。氏の本格的な姿勢がうかがい知れます。

ステップに分解することの利点と留意点

ステップに分けて整理することは、教える側が何を教えているか正確に自覚するのを助けます。注意点は全ての生徒に全てのステップが必要なわけではないことです。指導のルーティンができるとつい忘れがちなので常に敏感でいたい部分です。

例えばある目標を10段階のステップで教えるとします。「一を聞いて十を知る」という言葉さながらに、間のステップを必要としない生徒もいるでしょう。別の生徒にはステップ1と2をやらせてみて、様子をみつつ更にステップ5と8をやらせた後に10に到達する場合もあるかもしれません。

全ての生徒に必要なくても1から10を用意しておくと、指導中の対応力が上がります。生徒が上手くできない時に、さじ加減の異なる対策がすでにあるので、貴重なレッスン時間を消費して対策を練らなくて済むのです。

さらにグループレッスン(とりわけ小さな子供の)では、細かくステップを用意して常に取りだせる様に頭の中を整理しておくことは、死活問題と言えるほど重要になります。教師が考え迷っている時間を作ってしまうと、子供の注意は散漫になりしまいには騒ぎ出してしまいます。

これ理解してシラバスを作ってグループレッスンを繰り返すうちに、根本的には個人レッスンと同じアプローチを使えることが感じられ安心できるようになります。ちなみにこれまでで最もハードだったクラスは、5歳児8人グループと小学生数十名のグループでした。

知識の共有

さて日本の弦楽器の指導界をみると知識や経験の共有はおろそかにされていいるのは否めません。そのような情報交換をする文化に乏しく慣れていません。なので気心の知れた指導者同士で指導上の話をしてみても深い話には発展せず、瞬く間に茶飲み話に戻ってしまうのは多くの方が経験しているはずです。

ピアノ指導者に話を聞けば、指導者向けの講習会が数多く開かれているそうです。また多くの新しい教本が常に考案されています。(多すぎて困るそうで、ヴァイオリンは教本の数が少ないことが逆に羨ましいとか。)海外に目を向けるとアメリカでは弦楽器指導者向けのシンポジウムなどがよく開催されています。

この日本の弦楽器指導界の現状には私は一石を投じたいと思います。

研究会の開催

ここまで教本にまつわる考察を書いてきましたが、まだ一般論的な外堀の部分にすぎず、具体論で書きたいことは山ほどあります。しかし私自身の「何を教えているかをもっとはっきり深く理解したい」という思いは表現されたかもしれません。

また学校教科書の例を通して、あえて別の世界からの我々の世界を見てみました。主観的意見の強いこの業界において客観的であろうとする試みです。主観だけでは輪が広がらないと思うからです。

そこで少しでも教えることに興味を持っている方、より多く知りたい方、踏み込んで考えたい方とぜひ集まって、まずは楽器を手に教本を開き気軽に意見の交換をする場を作りたいと思います。またこれから教えたい方には、私のいくらかの研究と経験がお役にたてばと思います。真摯に考える先生たちが交流を持つべきです。開催については近いうちにあらためてお知らせしますので暫しお待ちください。


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