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パリオリンピック閉会の日に トリノオリンピック時のブログから

 
2006年に書いたブログ記事です。本日8月12日(日本時間)、パリオリンピックの閉会式が行われました。
五輪=閉会式、トム・クルーズさんが登場 屋根から降り立つ | ロイター (reuters.com)
 
「このような選手もいた」ということを知っていただきたく、18年たった今日に紹介します。
 
 
イタリアのトリノオリンピックでの日本人選手の苦戦が報じられています。
 
女子フィギュアスケートもあり、まだまだこれからだ! と思う反面、ひょっとしたらこのまま・・・と悲観的になってしまう、テレビで応援している人たちも皆、同じような気持ちではないでしょうか。
 
それにしても、マスコミはすでに「日本人の気持ちの問題か」「甘えがあるのか」など選手の姿勢を批判し始めています。
 
オリンピックの行き過ぎた商業化に伴い、参加する選手のスポーツマンシップも低下しているのではないか、そのような私の仮説に基づき「ゴルフの精神」を引き合いに出しながら持論を述べてみたいと思います。


「伝わってくるもの」がありません。マラソンの高橋尚子さんから受けるような「必死さ」を感じないのです。
 
もちろん、私がこのように感じるのはテレビ報道を見ただけであるからです。
トリノに応援に行っている人、オリンピック本番前から選手たちの努力を見ている人は決してそうは思わないでしょう。
 
しかし、です。オリンピック選手をあたかも商品のように扱っている、このテレビ局の報道姿勢は、はたして正しいのでしょうか。そうした報道姿勢であるからこそ、視聴者には必死さが伝わってこないのではないのでしょうか。
私はそのことを言いたいのです。
 
メダルを取った選手が総理大臣に祝福されるシーンをメディアは報道し続ける、メダリストを芸能人のようにゴルフ番組にも「出場」させる。
このようなメディアによるメダリストの「ブランド化」が、オリンピックに出場する選手たちの甘えにつながっていないとは言いきれません。
メディアに関わる方々は、もう一度オリンピック報道の原点に戻り、自社の報道姿勢を考えてみていただきたいと切に願います。
 
トリノオリンピックが始まり、「耐震強度偽装問題」「ライブドア問題」「アメリカ産牛肉輸入問題」など日本の大問題に関する報道がますます減ってきたようです。残念なことであると私は考えています。
 
最後に、インターネットの掲示板に寄せられたこのコメントを紹介します。
 
「大統領の夢へ再び スケート500メートル 金のチーク」レース後の記者会見
 
「米五輪委員会の金メダル報奨金2万5000ドル(約300万円)は、虐殺のために難民となったスーダンの子どもを助けるために非政府組織(NGO)に寄付をする。企業にも支援を求めたい」。難民キャンプを訪ねる計画も明らかにした。
 
「スケートは楽しいし、愛している。だが正直なところ、少し馬鹿げているように思う。タイツをはいて氷の上を滑り回るために、生涯を費やすなんて。でも僕はスケートが速いおかげで、寄付を集めたり、世界の問題に注意を呼びかけたりできる。大きなことを成し遂げたら、世の中のためになることをしよう」
 
この五輪で引退するつもりだ。「98%決めている。中断していた経済学の勉強を再開したい。できればハーバード大で」。再び、政治を目指す気持ちが頭をもたげてきている。
 
ウィキペディアより ジョーイ・チーク - Wikipedia
ジョーイ・チーク(Joey Cheek、正式名William Joseph Cheek、1979年6月22日 - )はアメリカの元スピードスケート選手。右手を氷に触れる三点スタートがトレードマーク。
 
ソルトレイクシティオリンピックに出場1000mで銅メダルを獲得した。2005-06年の世界スプリント選手権で総合優勝した。
 
トリノオリンピックでは500mで金メダル、1000mで銀メダルをそれぞれ獲得し、アメリカオリンピック委員会から贈られた報奨金4万ドルを人道支援組織の「ライト・トゥー・プレー」に寄付した。
 
2005-06年シーズンをもって現役を引退した。引退後はスーダン・ダルフール問題解決を目指す人権活動家。
<引用終了>
 
※以下のURLは日本オリンピック委員会(JOC)のホームページです。現代のオリンピックの精神との違いが「一目瞭然」です。
https://www.joc.or.jp/sp/column/olympic/history/001.html
1.    オリンピックの誕生|JOC - 日本オリンピック委員会
オリンピックの聖なる休戦
古代オリンピックにはギリシア全土から競技者や観客が参加しました。当時のギリシアではいくつかのポリスが戦いを繰り広げていましたが、宗教的に大きな意味のあったオリンピアの祭典には、戦争を中断してでも参加しなければならなかったのです。これが「聖なる休戦」です。オリンピアからアテネまでの距離は約360km、スパルタまでは130km。武器を捨て、ときには敵地を横切りながらオリンピアを目指して旅をするために、当初は1カ月だった聖なる休戦の期間は、最終的に3カ月ほどになったといわれています。
<引用終了>

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