「今聖書を学んでいる」さん

こんばんわ。フォローありがとうございます。

さて「ペットの復活」についてですが、「復活」という神の目的は、本来、地上の生物の中で、唯一死ぬこと無く生き続けるものとして目論まれ創造された「人間」を対象にしたもので、その失われた権利を元に戻すということにあります。

ですから、聖書中には人間以外に対するそうした概念はありません。

さて、人と動物の関係性について、少し触れておきたいとおもいます。

神はアダムを創造された後、それ以前に造られていた動物を彼の元に連れて来られるようになりました。その目的は、名付け親になってもらうためでした。

これは「ミーちゃ」とか「ポチ」とかというネーミングのことではありません。

おそらく彼はよく観察して、或いは戯れたりしながら、もっとも適切な特徴的な名でそれらを呼んだのでしょう。

「人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった」創世記2:19

現代の多くの動物の普通名詞はアダム由来です。ちなみに「蛇(ナーハーシュ)」は「飲み込むもの」という意味です。

次に「復活」についてですが、人を復活させるためには、各人のDNA情報、人格のみならず、当人の全ての「記憶」も覚えていなければ「個」として「復活」させることは不可能です。

「記憶」というメカニズムを創造された神だからこそ、これまでに生存したすべての人に関する全部を「覚えている」ゆえにそれが可能になるのです。

人間に備わっているとも言える「忘れてしまう」という機能も慈しみ満ちた神の配慮であろうと私が考えていますが、復活の際、各人の忌まわしい思い出や、パニックに至りかねない記憶は当然、調整されるであろうと思われます。

一方、各人の「忘れがたい思い出」は当人の中で重要な要素を占めるはずで、それらのゆえに、その人の個性や人となりなどが形成されたとも言えるのですから、「人にとって忘れがたい」ことは神にとっても「捨てがたい」ことのはずなのです。

人の様々な「心残り」は、人の記憶を消し去ることではなく、人の記憶に寄り添った個別の対応によって解消される、或いは満足を得るように取り計らわれることを期待できると思います。

「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」黙示24:4

最後に「天国」についてですが、「天国」は神の住まいの「天」とは別のものです。

「天国」は人に罪が入ったゆえの、臨時の対策として存在することになるというものです。

「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。

「行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」ヨハネ14:2,3

「天国」はクリスチャンを召し、住まわせるための新たに天に設えられる施設であり、

その目的は「1000年の間、王また祭司となる」と言われているように、召された人々つまり「花嫁」が召される目的は、地上のかつて「非クリスチャン」だった人々を、人を創造された本来の目的である、「地上で永遠に生きる」ことができるように、リハビリのスタッフとして働くことです。

これが天国の役割です。ですから、人間以外、天国に行くことはありません。

 ちなみ今は、キリスト再臨前ですから、天国は目下「準備中」であり、未だどこにも存在していません。

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