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浅間山噴火の歴史(簡略)

突然の「噴火のニュース」に驚いた方も多いでしょう。浅間山は、群馬県と長野県の県境に位置する活火山です。警戒レベルが3となり入山規制がなされています。火口半径4km以内には観光施設もあるそうで、周辺にいる方々は速やかに避難していただきたいと思います。

過去の噴火

浅間山はこれまでにも噴火を繰り返してきました。平成でも、小規模なものを含め6回ほど噴火をしており、数年に一回は必ず噴火活動がみられます。

過去の大規模な噴火として知られるのは、やはり天明3年(1783)に起きたものです。5月9日に始まった噴火活動は、約3ヶ月後の8月2日から激しく繰り返され、4日の朝には付近の住民も逃げ出し始めたそうです。そして、4日夜から翌朝にかけて噴火は最盛期を迎えたと言います。風下では軽石や火山灰が激しく降り、山腹では火砕流や溶岩が流下しました。

この災害により甚大な被害を受けたとして知られる鎌原村とその名主黒岩長左衛門の復興事業についてはテレビなどでも度々取り上げられています。鎌原村は、浅間山から北に位置しており、570人の村人が暮らしていました。しかし、この噴火によって477人の方が命を落とすことになります。その状況から「日本のポンペオ」として紹介するサイトもあるぐらいです。

また、この噴火によって押し流され、流れ込んだ土砂岩石は川をせき止めました。その結果、上流域で溢れ出た水はダムが決壊するように、高水位の洪水として付近の村を襲い、多数の死者が出ました。

そして現在へ

この1783年の大噴火以降は、小規模な噴火の繰り返しにとどまっています。しかし、自然災害に油断は禁物です。

近くで暮らす方も「噴火の警告を聞くまでは気づかなかった」とニュースで語っていたので、今すぐどうにかなるという訳ではなさそうですが、今後警戒レベルが引き上げられることも考えられます。軽井沢も近く、夏休みに旅行を計画されていた方は気をつけて頂きたいと思います。

しかし、昔は火山活動の始まりから3ヶ月が経つまで気づき避難できなかったと考えると、現在の技術の進歩に感謝しなければならないですね。


参考にしたサイト

一番最後のURLは、鎌原村とその名主黒岩長左衛門の復興事業について描かれています。

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