見出し画像

久高島#2 ~久高島とひとびと~

昼ごはん前にはしゃぎすぎた我々はダッシュでガイドさんとの待ち合わせ場所に合流。
沖縄ってのんびりしているイメージがあるじゃない。
でものんびりしてたのは沖縄の人じゃなくて私たちだったよ。
申し訳ないことだよ。
好奇心の赴くままに気になったものがあるとぴゃーっと見に行ってしまうので、ツアーでもいつも時間ぎりぎりの一番最後にやっと来る人種です。

ガイドさんとあいさつをすませる。
そして、ガイドさんからツアーの午前中に行った斎場御嶽はどうだった?と尋ねられる。
「斎場御嶽いいところですね! よかったです」
御嶽がどういうものか理解できましたか?」
直球で難しい問いきたなコレ!
「うーん……知識は増えましたが、理解できたかというと自信がないです。難しいですね」
「そうですか」
微笑むガイドさん。
御嶽とは沖縄の人々に生きている信仰においても重要なものの一つだと思うので、御嶽を理解できたか?という問いは、沖縄の神や信仰を理解できましたか?と聞かれているのに等しい気がした。
自然崇拝、アニミズム、海洋民族などなど断片的なキーワードだけでわかったような気になるもなんだかなあという気がする。

そんな感じのガイドさんとの顔合わせがすむと、ガイドさんの運転でいよいよ久高島観光へ。

久高島は全体的にのどか。
島の南側に集落があり、北側は聖域なので人は住んではいけない。
集落の一番北側の通りを超えると聖域である。
神事があるときは、その道から北へ行くことは許されない。
なので観光に行くときには、神事があるかどうか調べていく必要がある。
農地や牛舎などは北側にも許されているが、基本的に手つかずのまま。
久高島が聖域とされるのは琉球神話の一番偉い神様、アマミキヨ(アマミク)が一番最初に降り立った島だからである。
そのため、島の各地に重要な祭祀の場所がある。

土地は個人所有ではなく共有。
琉球時代の制度がそのまま残っている。
現在では登記上は南城市長のものになっているらしい。
固定資産税は自分が住んでいる家の分は支払うことになっているのは、他のところと一緒。
畑は小石で区画ごとに均等に区切って、自分が必要な分を借りる。
久高島の住民になるには3年間のお試し期間を経て、許可が下りればなれるそうだ。

雨水をためる給水塔。
河もない小さな島だから水の確保はとても重要だったのだろう。

そんなわけで最初についたは昔の港。
ここから聞得大君(琉球王国の最高位の巫女。王族の女性がなる)が上陸した。
その港から見える沖縄本島と久高島の間の海が深くなっているので、戦艦が来て大砲を本島や久高島にも打ち込んだりもしたそうだ。
写真に写っている木のはえたこんもりしたところも御嶽。
貝塚でもあるらしい。

港を遠くから見て、写真を撮らせてもらったら、またガイドさんの車で移動。
集落を抜けていく。
集落の家は昔ながらの沖縄の民家ばかり。
通りも狭く、車一台が通り過ぎるのがやっとだった。
そして集落を抜けるといよいよ島の北側へ入る。
広がるのは背の低い木々が広がる雑木林。
おそらく、岡本太郎が「何もないこと」の眩暈(めまい)と表現した景色がそのまま広がっているのだろう。
そういえば、島の北側の道から見える風景をあまり撮っていなかった。
車で移動しているというのもあったんだけど。

そうして次についたのがクボー御嶽。
アマミキヨが作ったとされる七御嶽の一つで、沖縄でも名高い御嶽である。
ここはノロ(沖縄の神職。女性のみがなれる)以外の人は写真に写っている石から先は立入禁止なのだが、入り口に看板があるのみでわかりずらい。
久高島はレンタサイクルでガイドさんなしに島を回っている観光客もいるのだが(たぶんそういう人たちのほうが多い)、立入禁止と知らずに入っていく人は多いと思われる。
私たちの目の前で、カップルが立入禁止に気づかず入ろうとしてガイドさんに止められていた。
「看板ももっと目立つように立てればいいんだけどね、ノロさんが神様の通り道をふさぐように看板を立てるのはよくないって言ったから。かんばんを立てることもノロさんに神様にお伺いを立てもらって1年後にようやく許可が下りたよ」
とガイドさんは言う。
当たり前のようにノロが日常の会話に現れるのが、本州の人間には不思議な感じがする。
「ノロさんに、これじゃあ観光客が気づかないで入ってしまいますよって言ったんだけどね、『知らないのだから罪はない』って言ってね」
「知っている人は罪になるのにですか……」
つまり、知らないのだから仕方ない!ということだろうか。
納得できるような、できないような。
でもまあ、それでいいっていうのならばそうなんだろう。

クボー御嶽は昔は女性ならば入ってもよかったそうだけれど、久高島の観光客が増えるにつれて心無い人も増えてしまい、御嶽が荒らされるのでノロ以外は立入禁止にしたという話も見かけた。

ここでガイドさんがちらりと岡本太郎の名を出した。
「岡本太郎さんは立入禁止になっているこのクボー御嶽にも入ってしまいましてね。まあ、芸術家だったから変わり者だったんでしょうね」
「へー」
不勉強だった私は、帰ってきてから沖縄と岡本太郎について調べてそこで初めて岡本太郎が久高島で起こした事件について知った。
岡本太郎は1966年、イザイホーという祭りの最中に島にある風葬の地に行き、棺をあけて白骨化した遺体の写真を撮り、その写真が週刊誌に掲載されてしまったことで、島の人たちは動揺し風葬は廃止されたという。
これについてはインターネットで調べた限りでは岡本太郎を糾弾する人もいれば反論する人もあり、岡本太郎がどういう思いだったのかはわからない。

大学で民俗学をやっていたときのフィールドワークやその延長の旅行などで、こういった祭祀関係の場所に行くときにはちょっと悩む。
はたして個人の好奇心を満たすためだけに、ひょこひょこと現在も聖地として信仰されている場所に行ってもいいのだろうか?
だけど、見たいものは見たい。
なんだかよくわからないものを見たいし、知りたい。
その欲求は抑えがたい、でも抑えるのが人としてあるべき姿なんじゃないだろうか?
そんな迷いはあるけれど、結局は抑えられないし、観光客に解放されている範囲内ならばいいじゃないかと旅行に行ってしまっている。
なので、見せていただくのだから、せめて敬意だけは忘れないようにしている。

以上で久高島#2は終わりです。
放浪代の足しにしたいので、よければ投げ銭どうぞ。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?