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久高島#3 ~ニライカナイが見える海~

クボー御嶽の入り口を見た後は、島の東のイシキ浜へ。
今回は時間の都合で島の最北端になるカベール岬(アマミキヨが最初に降り立った場所だと言われている場所)には行けなかったのは残念。
また縁があって久高島に来ることがあったら是非ともカベール岬にも行ってみたい。

島の東にあるイシキ浜へ。
沖縄に来たらいくらでも見えるでしょと思わないでもないが、やはり陸地の人間は海が見えるとテンションが上がる。

ここは五穀が流れついた地だという。
例の風葬の地であった後生(グソー)は島の西側の目立たないところにあったらしい。

久高島のものは持ち帰ってはいけないと言われている。
砂、サンゴ、石、植物などすべて、自然のものであり、神様のものだからだ。
「この浜の石を女性が家族の男性のお守りのためにお祈りをして持っていき、また返しに来ます。
この浜の石はごらんのとおり丸くてすべすべしていていいものなので、持ち帰ってしまう人もいるんですよ。
ですが持ち帰った人は原因不明の体調不良に悩まされることが多いので、返しにくるか、宅配便で送ってきます」
宅配便でいいんだ!?
そりゃ忙しい現代人だもの、なかなか久高島まで来て持ち帰ってしまったものを返しにはこれないのはわかるけど、そんなお手軽でいいんだ!?
とかなんとなくやるせない気持ちになる。
しかし、靴の裏に砂がくっついてしまうのはどうしようもないよね!
これは持ち帰ったと見なされないよね!
小心者の私はそんなことを考えてガクブルする。

「久高島の東にニライカナイがあると言います。
ちょうどこの浜は東に向かっているから、こちらにニライカナイがあったんですね。
皆さんがいらした本土も東になりますね。
せっかくだからお参りしましょう。
なにか願い事でもしてみてはどうでしょう」
ガイドさんは御嶽や祭祀の場につくとせっかくだからお祈りしましょうと言って、時間を取ってくれる。
昨今のパワースポットブームもあるから観光客へのサービスの一環でもあるんだろうけど、なんとなく、そうやって自然や神様に祈るのが当たり前な人たちなのだろうなと思う。
久高島の東の海は水平線が広がるだけで何もない。
島影ひとつない海に、世界の果てや常世の国があると昔の人が考えたのも納得ができる景色だった。

引き潮だったので磯の生き物でつついて遊んできた。
友達はナマコを直接手でつついていたが、私はさすがに直接触る勇気はなかったのでその辺に転がっていたサンゴでつつくのみにしておいた。

イシキ浜を十分楽しんで、それから島の集落へと戻っていく。
その家の人が危険な貿易船の仕事をこなすなど立派なことをすると、石垣も立派なものにできたり、門を入っていすぐのところにある魔よけの石の壁(ヒンプン・朝鮮にも同じ習慣があるそうだ)も立派にできたそうだ。

御嶽にある香炉と沖縄線香。
沖縄線香は6本がくっついた形になっている。
場合によって線香を割って3本にしたり、12本にしたり、15本にしたりする。
ウチカビ(黄色の紙に古銭の形が押されている。あの世のお金)もお祈りの時に使う。

御嶽。
わかりやすいようにちょっと遠くから撮った写真を載せる。
神様が降りるのに目印となる植物を石垣で囲っている。
石垣は子宮の意味がある。
神様が降りてくるときに目印になる植物を教えてもらったんだけど、それらはだいたいみんな葉っぱがとがっているのは何か理由があるんですか?とガイドさんに聞いたらスルーされた。
残念すぎる。
本州でいうところの神社や祠みたいなものかなーとも思う。

お祈りする場所。
たまたま私たちが来たときに、ノロさんとノロに祈祷をお願いした人がまさにお祈りをしている最中だった。
ガイドさんは、せっかくだからノロさんのお祈りを見てせてもらうといいですよと言ってくれたが、さすがにそれは遠慮した。
見世物じゃないしね……
これは我が家が月命日に旦那寺の坊さんにお経をあげてもらうのとか、そんな感じなんだろう。

最後にイラブー(ウミヘビ)の燻製小屋とイザイホーが行われた場所へ。
イラブー漁は7月とか6月くらいから12月ぐらいまで行われる。
それでもってイザイホー。
久高島といえばイザイホーというくらい有名な儀式が行われたのがこの小屋だという。
後ろのこんもりした緑も御嶽。

イザイホーとは12年に1度行われる久高島の30歳から41歳までの既婚女性がナンチュと呼ばれる神女になるための儀式である。
高齢化、過疎化が進み、ナンチュとなる女性がいないことや儀式をつかさどり秘事を知るノロの不在のため、1978年に行われたのが最後になっている。
もともと部外者への公開を拒んでいたそうだが1978年のイザイホーは公開されて記録が残っている。
高度経済成長期でいろいろな伝統文化がなくなっていく中で、こうなることを予感していたのかもしれない。
奇しくも2014年はイザイホーが行われる年だった。
「今年は本来ならばイザイホーが行われる年ですが、人もいないし難しいでしょうね」
とガイドさんは言う。
本来伝えられてきたままの祭りの存続できればそれが一番なのだが、はたして儀式に参加資格のある女性をもっと広げるなどルールを変えてまで存続させるのもいいことなんだろうかと疑問に思う。
のどかに見える久高島の、これもまた現実なのだなと思うと、なんだか寂しい気もする。
今年はどうするのかインターネットで調べてみたけれど、はっきりしたことは見つからなかった。

こんな感じでガイドさんと回った久高島の現地ツアーも終了した。
道中、ガイドさんがノニやアダンといった植物を見せてくれたり、楽しいツアーだった。
まだ消化不良なところもあるので、またいつかのんびり行けたらいいなあと思っている。

久高島放浪記はこれで終了です。
放浪代のため投げ銭にしました。

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