2023年11月19日_小さな寂しさを記録する

 先日のカウンセリングで、カウンセリングルームに到着してチャイムを押した時、3分ほど早かったせいか無視された。少し待って、カウンセリングの開始きっかりの時刻にチャイムを鳴らすと、部屋に通された。そのことをカウンセリング中に話すと、「待っていた数分間、不安になったのではないですか?」と聞かれた。
 私の反応は、「え???」だった。対応してくれなかったのは、先生本人ではないか。何を言っているのだ?と思った。

 そういう「え?」という質問がときどき挟まれるのだが、たぶん、何かを気づかせようとしている問いかけなのだろう。ちょっとした瞬間の寂しさに鈍感になっている私に対して。

 …と思いながら過ごしていたら、今日、まさに小さな寂しさを感じる瞬間があった。隣県に暮らす友人のTさんからのお茶の誘いに応えた時だ。その日は近くに来るので、という話だった。「夕方からは、何か用事があるんですか?」と問うと、夜は別の会食があるという。
「そうか、私への誘いはその会食のついでか」と思い、暗い気持ちになってしまった。特にTさんからのお誘いでは、そういうことが多々あって、2番目に位置づけられたりすると、「もう、そんなことなら誘わないでくれ」と怒りのような感情が出てきてしまうのだ。 
 でも、ずっとそんな自分を見て見ぬふりをしてきた。そんなことで怒るのは子どもじみているし、何より、自分が「ついで」の存在であることを認めるのがイヤだ。
 そういう感情があったんだな、と気づいた。というわけで、ここに記しておく。

 そもそも、私からTさんを誘ったことはほぼない。求めてばかりで、しかも一番に優先にしてもらわないと怒る。
なんというか、ぜんぶ私の母親にしてほしかったことなのかもしれない。

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