自分史〜生まれてから中学生まで
俺の人生真ん中あたり、52歳
昨年の11月に父が逝去。人生の先輩で師匠のように慕っていた人が立て続けに4人も亡くなった2020年。今度は私が先行く者となる順番が来たようだ。
ここで、自分の半生を振り返り忘備録として記録を綴っていきたい。
この忘備録の目的は今までを振り返りこれから何がしたいのか、何をしようとしているのか、そして生まれてきてくれた3人の娘たちに何を伝え何を残し、そしてどのように社会に貢献していこうとするのか、これを改めて確認すること。思いつくままに書き殴っていこうと思う。
まず、私の人生の目標が決まったのが15歳の時。そう中学校生活が終わろうとしている15歳の春休み。
4月生まれの私にはもうすぐ16歳になる、と言う時だった。
ある映画を見て、この地球は環境汚染でだめになっていく、破滅の一途を辿っていくだけではなかろうか、と本気で不安になりそこから得た答えが
「俺は地球を守る人になる!」だった。
そう言うとまるで正義のヒーローになるような勢いだけど、その時の私は本気だった。歳をとって大人になった今は表現力もついたので、もう少し分かりやすく具体的に説明すると「私たち人類がこの地球にいつまでも住むことが出来る様に、共生の道を模索する人になる」と言った方が回りくどいけど分かりやすいかな。
福岡で生まれて、14歳で父の仕事の転勤で転校するまでは福岡にいた。人見知りで大人しくクソが付くくらい真面目。でも勉強はできなかった。普通の学生、取り立てて目立つ才能も能力もなかった。
転校先ではいじめられ福岡に戻りたくて仕方なかったが、そんな人生を変えてくれたのが中2の冬休みから通い始めた塾で、そこで出会った先生からの一言だった。
「お前には普通の中学生の2倍の数の同級生がいる、人との出会いはとても大切なんだ、今はわからないと思うがきっとわかる時が来る。福岡に帰らずにここに残って高校はここで通え、辛い時はいつ訪れても構わないから。」
これが、出会いを求める人生を送るきっかけとなったターニングポイントだったように捉えている。
この先生との出会いがなければ、きっと今私は福岡で普通に会社員をしていて中学生以上くらいの子供がいてうだつの上がらない人生を送っていたと思う。
人生、何がきっかけで変わるかわからない。これをきっかけに私の人生は波瀾万丈なとても楽しいものへと進み始める。
生まれ故郷を離れることになった転校で強制的な出会い、そしてそろそろ受験のことを考えないと、と考えて通った塾での出会い、この二つが14歳の私には大きな出来事となり、いざ高校へ進学しようとしていた春休みの映画鑑賞でその後の人生を決める大きなショックを受けることになった。
多感な時期にこんな経験が出来たことは恵まれていたのだと思う。
そんな熱い想いを抱いて高校へと進学した。
to be continued
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