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二面性を持つこと


少し前にこんなことを言われた。

"難しいこと語る前に自分の性格考えた方がいい。めちゃめちゃふざけてる人が言っても響かない。"

一個人の意見なのだから、ただ心に留めておくだけでも良かったのだが、何故か今でも頭の中でぐるぐると回り続けてしまっているのでこの場に記すことにする。

匿名のため誰からの意見なのかは明確でなかったが、恐らくこの発言主はツイッターやブログ上での私と現実での私との違いに違和感を感じたのだと思われる。
確かに私はただのアホのちんちくりんだ。そんな私を知る彼(もしくは彼女)は、そんなヤツは難しいことを語るべき性分でないと認識しているのだろう。従って、私が発言したところで彼には何も響かないのも頷ける。

だが、二面性を持つこと、俗に言うと裏表があることは咎められなければならないことなのか。
彼が表として認識している私(アホ・ちんちくりん)は私にとっては裏であって、逆に彼にとっての裏の私(難しいことをゴタゴタ語る女)は、私にとって表かもしれないじゃないか。
ちなみに、難しいことを語る前に自分の性格を考えるべきだとの指摘だったので、早速この記事を書くにあたって実行してみた。
なるほど、客観的に見ると、ふざけてばかりで毎日インスタストーリーで友達と馬鹿騒ぎをしているただのアホに過ぎない。夜な夜な新聞の社説を切り抜きマーカーを引きまくってる人間には到底見えないだろう。
これは少し、芸人が政治的な発言をしたら叩かれるのと似ている気がする。(私は芸人に近い境遇にいるのか笑)
人は見えている部分のみを自明だとし、見えない部分が垣間見えるとそれを否定したくなる。

主観にとらわれ、"こういうタイプの人間はこういう趣旨の言動をするのが当たり前"というような考えに至るのはあまりに浅はかではないか。そのような個人の性質に対する先入観・固定概念が妨げとなり、個人の言動ひとつひとつの本質が見えてこない、もしくは見ようとしないのは非常にもったいないように思える。

多角的に、そして寛容的に物事を見つめる意識を持ちたい。

なにより、私は二面性を持つ自分を好きでいたい。

どちらの私も私であることに変わりないのだから。

最後に、この発言者に貴重な意見をくださって有難うと感謝したい。ブログのネタ提供どうも有難う。これが貴方の心に響いているとは全くもって思わないし、貴方に響かせるためにわざわざ書いているわけでもない。しかし、この記事を通して、SNS上ではわりかし政治色強めであるのも私のアイデンティティの一部であることをせめて知っていただけたら、と思っていることを伝えたい。

02/18/2019

(別サイトで載せたものをここにテスト投稿しました。)

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