見出し画像

私がクエスチョニングと自認する

私は自分をクエスチョニングとしている。ジェンダーアイデンティティがはっきりとしておらず、どう当てはめていいかよくわからないからだ。今まで自分なりに考えてきたが、答えは出ない。きっとこれからも探し続けてるのだろう。自分の人生(といってもまだ20年)をたどり、自分の性に対して向き合ってきた過程を記していこうと思う。

※2018年にフリーペーパー用に書いたやつなので自認は変わってます。その後出会った言葉ノンバイナリーがまさにそれじゃね?って思ってます。

幼少期の頃は、あまり性別に関して意識したことはなかった。親も自由気ままに育てるタイプらしく、注意されたことも少なかったように感じる。さすがにどうかとは思うが、パンツ一丁になって川で遊んだ写真があったり、スカートを履いていても気にせずに鉄棒をした記憶があったりする。その一方で、母の希望でフリフリのワンピースを着たことや、髪を色々とアレンジしていたことも覚えている。しかし、それらに対して反感はなく、動きづらいなと思う程度であった。


小学校に上がった頃からだろうか。男女という枠に当てはめられることが多くなった。始めに違和感を覚えたのはランドセルだ。性別によって赤か黒に振り分けられる。私は、赤色に分類されるのが嫌だった。かといって、黒色に入りたいわけでもなかった。それだけにとどまらず、名前シールの色や席、班分けなどの様々なものに性別が関わってきた。今まで意識してこなかった女という性別を、周りから当てはめられていった。初めこそ違和感を覚えたものの、当然かのように周りもそれに従っていたため、次第に自分の中にも当たり前のものとして刷り込まれていった。
私は、男の子の友達が多い、活発に遊ぶ子供だった。男の子服のコーナーにあるようなものを好んで着たり、後ろを刈り上げるほどの短髪にしたりしていた。仲良い子達に溶け込もうとしていたのか、憧れだったのか、あるいは「女の子なのに…」「女の子なんだから…」という周囲からの言葉への反発だったのかはよく分からない。そんな格好をしていたものだから、よく男の子と間違われた。しかし、男の子に間違われることはあまり嬉しくなかった。性別で振る舞いや格好までも決めつけられることへの違和感と同時に、世間が持つ女が男のように振舞うことに対する偏見を私も知らないうちに持っていたのかもしれない。


ある日(今からおよそ10年くらい前)、当時では珍しく新宿二丁目の方達のドキュメンタリーがつけていたテレビで偶然流れた。私の様子をみていた母は何と無く感じていたものがあったのだろう。「こういうのだったら、気にしないで言ってくれていいんだからね」と声をかけてくれた。私は漠然とした違和感や生き辛さをもっていたものの、悲観的に描かれていたテレビの中の人はどこか違う遠い存在のように思え、自分に当てはめることはできなかった。なので、母が言ってくれた言葉に対して「え!違うよ(笑)」と受け流すことしかしなかった。でもやはりどこかで、自分とは無関係のこととは思えなかった。


中学校に上がると、抱いていた違和感がさらに強くなっていった。小学校の頃は多少男女に分けられることはあっても、そこまで性別役割を強要されることはなかった。しかし、中学は違った。まず、制服が明確に二つに分けられ、友達も男は男で、女は女で固まるようになる。また、自分の体も明確に女になっていった。それと同時に女としての振る舞いを、より求められるようになった。嫌なスカートをはかされ、入りたかったサッカー部には男のみと断られ、「おしとやかに行動しなさい」と注意され、男には異性として意識され…と、自分にとっては苦痛なことばかりで、女でいることが嫌で仕方なかった。


自分の性への葛藤から、スマートフォンを持ち始めた高校生の私は、インターネットでセクシュアリティについてよく調べるようになった。ありがたいことに、ちょうどLGBTブームと呼ばれるものが始まった頃で、求めていた情報に触れることができた。そこで、同性同士は法律上結婚できないこと(何を根拠にかは分からないが、当然もうできるものだと思っていた)や、性はグラデーションで男と女という二つに収まらない選択肢もあることを知り、驚きを覚えた。自分が今まで悩んでいたことが解決し、少し楽になった気がした。しかし同時に、自分はそのグラデーションのどこに、何のセクシュアリティに当てはまれば良いのだろうという疑問が湧いてきた。


そこからまた、様々な情報や人と話していく上で、やっと自分のセクシュアリティのあり方を見つけることが出来た。それがクエスチョニングだった。私は自分の身体が女であることへの拒絶はない。どうやら今まで抱いてきた違和感は、ジェンダーへの嫌悪。社会的な女を押し付けられることへの拒絶だと気がついた。勝手に他人の基準で女に分類されて、その人が持つイメージで自分を語られることが嫌だったのだ。また、この国のジェンダーギャップ指数の低さから見て取れるように、女ということで不利益を被る立場から逃げ出したいという気持ちが、少なからずあったのかもしれない。


私も当たり前のように受け入れてしまっていた男女だが、よく考えてみると、その境界線は何なのか明確に説明できない。人によって境界線の答えは違うのではないだろうか。そんな曖昧な枠の中に無理やり自分を当てはめてしまうのではなく、自分と向き合いセクシュアリティについて今後も考えて行きたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?