むくが出来るまで話① (もう時効だろう暴露話)
むくができるまでの話を書こうと思ったら、私の事を先ずは書かなくちゃということに気づきました。
しばし、お付き合いくださいませ。
さて、生まれた時からみっちゃんと呼ばれていて、未だにみっちゃんが愛称な私ですが、小さい頃は男の子みたいな女の子でした。
クラスに1人はいる、スカートを絶対履かない女の子。
もしくは、女の子より男の子と遊んでる方が多い女の子。
1度だけ、父親に「スカートを履け!」とフリフリの真っ白なスカートをプレゼントされたことがあって、恥ずかしすぎて大泣きして拒否ったという(笑)
ちなみに、未だに礼服以外、滅多な事じゃスカートは履かないです。
成績もまぁまぁ良くて、運動もそこそこ。
小学生の頃は男女問わず友達も多くて、割りと人気者の方でした。
でもね、うち、変な家だったんですよ・・・。
幼稚園は2回転園。
小学校の時には4回引っ越して、3回転校。
全部同じ市内なのに、引っ越しばかりしてました。
多分、父親が命を狙われてたんじゃないかな(いや、マジで)
家にいる時は、いつも父親の付き人が数人いて、いつも賑やか。
家の2階には、彫り師さんが住んでて、いつも、うつ伏せで寝ているおじさんの背中に割り箸の尖ったようなのをトントンやってました。
隣の部屋では、アダルト~~なビデオが流れてて・・・。
「おー、みっちゃん!大きくなったら背中にドラえもん入れたるからなー」
って言われて(当時小4)、真剣に何がいいか考えた事も(笑)
遊ぶおもちゃは、リアル麻雀にサイコロとでっかいすり鉢。
おじさんたちの膝の上で、サイコロを振るのが私の役目。
母親は「姐さん!」と呼ばれ、父親の背中には墨こそ入ってなかったけど、いつからか小指がなかった。
海水浴に行けば、背中に龍やら鯉やら、きれいな絵を描いたお兄さん達が周りにいっぱいいて、その背中におんぶされて遊んでもらってた。
そう。
そういう訳ありな家庭で私は育ったんです。
でもね、私は普通の家庭を知らない。
それが「普通」だと思っていました。
そういう世界が、怖い世界だとも知らない。
そういう人達が、世の中では悪人とされている人達だってことも知らない。
父親は実父でなく、2度目の父親だったけど、父親ってのも2、3回変わるもんだと信じてたくらい。
大人になったら、男の人は背中に絵を描くもんなんだって勝手に思ってた。
きっと、狭い世界で生きていたら、この世を知らなかったら、それが普通だと信じて疑わず大きくなるんだと思います。
アフリカの奥地にあるなんとか族なんて、そうですよね。
周りがみんな裸だったら、それが当たり前だし、周りがみんな顔に墨入れてたら、それが当たり前。
何が普通かなんて、ホントわかんないもんです。
宗教とかってのも、そうやって洗脳されていくのかもねー。
で、子どもだった私は、親を選べなかったからね、どうしようもなかったわけです。
でも、そんな家庭が普通だと信じていたのは小学校まで。
流石に6年生にもなると「うち、なんか変?」と気づきだしたのでした。
友達の中には「あんたと遊ぶなってママに言われた」とかって、一方的に縁を切ってきた子がいたりもしました。
子どもって、ストレートだから何でもかんでもストレートに言われて、心がザワザワして訳が分からなくなったこともあったな。
そんな時、事件が起きたんです。
リアル事件で、父親やいつも一緒に遊んでいたおじさんが新聞の一面にでっかく載っていました。
「○○組 幹部逮捕!△△発砲事件容疑者!」
みたいな。
そのときは、さすがにズドーーーーンって、ひっくり返りそうになったね。
なんだよ、それ!!って。
それから、父親(実父では無いが)は刑務所へ入り、我が家は実質母子家庭に。
そして、私は「受刑者の娘」として生きていくことになったわけです。
②へ続く。
(注:父親とは離縁後、既に他界しており、今現在、個人としても法人としても、反社会的勢力のみなさんとは全く縁も関係ありません。)
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