介護なんて言葉は、どーでもいい。きれい事もどーでもいい。今、生きているだけなんだ。
介護って、辞書には「病人などを介抱し看護すること」って書いてあるんだね。
介護の介って、介抱の介なのか。介護の護って、看護の護なのか。
ふぅ~ん。。
でも、私がいわゆる介護施設「むく」を作った理由は、介抱して看護したいからではない。
介抱して、看護してもらいたいからでもない。
社会的弱者の老人の居場所を作ってあげたいとか、誰かの役に立ちたいとか、そんなモノであるはずもなく。
社会に貢献したいとか、そんなのほんと、どーでもいいし。
ぶっちゃけ、本能のままに動いていたらこうなったという方がしっくりくるかもしれない。
きれいな言葉は苦手だし、慈善と偽善は間違えちゃうし。
たぶん、自分の興味が人で、その行き着いたところが老人だったっていう、そういうもんなんじゃないかと思う。
誰のためでも無い、自分のため。
自分がやりたかったから、周りを巻き込んで始めた。
(巻き込まれたみんなには、本当に感謝)
むくの理念は「自分らしく生きる」だけど、未だに「自分らしさ」なんてわからないし、それを老人相手に語る気ももちろん無い。
じゃあ、なんで「自分らしく」なんだよって?
だって、こっちの都合を押しつけて「お世話してあげます」みたいなのは気持ちが悪くて、やってらんないでしょ。
だから「自分らしく」をとりあえずでも、模索して生きている人でありたいと思うし、スタッフにもそうあってほしいと思う。そして「自分らしく」=「わがまま」な老人を増やして欲しいと思う。
ところで、うちの婆ちゃんはね、島女で、ヘビースモーカーだったのね。
畑仕事をするときは、いつもくわえタバコ。
それもセブンスター。
町に出て行くときは魚とかをてぼ(背中に背負うカゴ)に入れて、物々交換して、お店によって、店の人に軽トラで家まで送ってもらう。
それが当たり前の日常。
これって、もちろん介護じゃなくて、当たり前の日常なんだよね。
くわえタバコは、婆ちゃんらしさだった。
これを、婆ちゃんが呆けても当たり前にできる場所を作りたかったのかもしれないなぁと、今になって思う。
婆ちゃん、最後には島から都会に出てきたもんだから、呆けちゃって。
マンション暮らしだから、五右衛門風呂も炊かなくてスイッチポンのお風呂になっちゃったし、海で魚をさばくこともなくなったし、カラスとけんかすることも、もちろんくわえタバコもできなくなった。
婆ちゃんが、婆ちゃんらしくなくなった時、婆ちゃんは呆けて、入院して、ベッドから落ちて、死んだ。
婆ちゃんが、婆ちゃんでいられる場所、というか、人を、関わりをつくりたかったのかもしれないな。
婆ちゃんは死んじゃったけど、生きてたら、くわえタバコで畑仕事ができる場所を準備できたかもしれない。
あ、でも島を出てきたらだめか。
婆ちゃんは、島女。
島女には海がないとね。
南半球を旅していたときに出逢った老人たちは、若者に臆することなく、ライブハウスやパブで踊ってた。
私も一緒に踊って、テーブルの上に上がって「いぇ~い!!」ってやってた。
このノリが好きなんだ。
年をとった?障がいがある?女だとか、子どもだとか、そんなのどーでもいい。
周りにどう思われるとか、そんなのもどーでもいい。
介護は「生きる」為のひとつの手段。
こっちの決めごとやルールは通用しない。
きれい事も通用しない。
生きるって、、、答えはひとつじゃ無い。
私は人が好きだから、むくを作った。
たぶん、爺ちゃん、婆ちゃんとくわえタバコで踊っていたかったんだ。
これでいい。
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