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ヴェーダーンタの勉強とプージャー

ヴェーダーンタの教えを一言で言うと

तत्त्वमसि
tat tvam asi
あなたがすべての源である、人々が神と崇めるその本質なんですよ。

です。なので、他の宗教の様に神様を信じ讃えて、死後に神様のもとに行く、または天国と呼ばれる苦しみのない世界に行く事が目的ではありません。

そこで、よくある質問が、

自分自身が神様なのに、何でシヴァ神やガネーシャのプージャー(讃える儀式)をするの?

です。実際にヴェーダーンタを勉強して、教えている人にも「ヴェーダーンタを勉強しているのに、形ある神様を崇拝するなんて、ヴェーダーンタの教えが分かっていない証拠」と言う人もいます。ヴェーダーンタの教えを理解したのであれば、自分自身が神なので、何かを叶えるために他の形ある神様を崇拝する必要はありません。

そこで早とちりをしがちなのが、「ヴェーダーンタを勉強するなら神様を崇拝したり、プージャーをしちゃいけない」という点です。

分かりにくいですかね?細かく見ていきましょう。

まず最初にヴェーダーンタの教えを理解するためには自分の成長と理解に伴った神様=イーシュヴァラと関係を確立する必要があります。サンスクリット語でいうBhakti(バクティ)です。ここで注意しなくてはいけないので、バクティはただ単にキールタンを歌ったりプージャーをしたりするだけではなく、きちんとイーシュヴァラが何かを理解していき、その理解と共に成長していかなくてはいけない、という点です。最終出来にはTat Tvam Asiに辿り着けるように。バガヴァッドギーターの中では、このTat Tvam Asiという知識を得た人こそが最高のバクタ(バクティをする人)だと讃えられます。

そして、バクティは最終ゴールのモークシャには必ず必要だけど、単独で独立した方法ではないという事。モークシャを得るためには必ずTat Tvam Asiという知識が必要です。

一番初めの段階のバクティは良く知られている、形のある神様を崇拝する事=Saguna Isvara。これによって、個としての自分と全体=イーシュヴァラの関係を構築していき、全体と自分は離れていない、という事を理解していきます。自分の行いが全体を通して自分に返ってくる、という理解も深まるので、ダルマ(全てと調和をする事)な生き方も協調されます。

分かりやすいSaguna Isvaraでイーシュヴァラの理解が深まったら、今度は祭壇の前だけではなく、全てとして現れているイーシュヴァラに目を向けます。そうする、自分の日々の行いをイーシュヴァラに捧げ、行いの結果をプラサーダ(おさがり)として見るカルマヨーガな生き方をすることが出来ます。

カルマヨーガではブッディ=知性を整えることが出来るので、その整った知性によってヴェーダーンタの知識が理解されます。その理解はイーシュヴァラ=私、という最終的なイーシュヴァラの本質の知識です。

というのがバクティの3ステップです。プージャーをする事は最初のとても重要なステップで、2つ目のステップであるイーシュヴァラを全体に見るためにも必要なステップです。プージャーがどのように個としての自分と全体として現れているイーシュヴァラとのつながりを構築できるのかは、下で詳しく説明します。

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次にヴェーダーンタの知識を得るために必要な条件を見ていきましょう。

ヴェーダーンタの教えの神髄
tat tvam asi

を理解するために必要なのは、それがどういうことなのか、という知識です。まずはtvam=あなた自身の事を理解し、tat=すべての本質を理解していって、それらがイコールであると知ります。

この知識は本を読んだりYouTubeを見たりして理解できることではありません。「いや、私は今まで独学でハイデガーの哲学や、アインシュタインの相対性理論(もっと分かりやすい事でも良いのですが)を理解してきたからヴェーダーンタの教えだってウパニシャッドやギーター本を読めば理解できるはず」と思ってしまう方が多いようです。

ヴェーダーンタの教えがこれらの教えと違う点はサブジェクトマターが「自分自身」という点です。自分自身は自分で見れないのと、自分自身を自分ではないものと誤解をしてしまっている、自分自身で今まで思っていた自分を否定しようとしても、自分自身が邪魔をしてしまう等々という理由で、独学で知ることは出来ない知識です。なので、聖典があり、その聖典も読めばわかるというものではなく、もともとは先生が全集中をしている生徒に口伝で伝えてきたものです。その先生はヴェーダーンタの全体像と一語一句がどのように全体を紐解いていくのかを伝統的にその先生の先生からきちんと教わった人でなくてはいけません。

ヴェーダーンタの知識を得るために必要なもの①
聖典の全体像と一語一句がどのように全体を紐解いていくのかを伝統的にきちんと教わった先生

そして、その素晴らしい教えを受け止められる器=整った知性も必要です。

ヴェーダーンタの知識を得るために必要なもの②
整った知性

これは自分で日々の生活での行いすべてをこの整った知性を得るためにしていく必要があります。それには、どうやったら整うのか、という正しい知識が必要なので、それにも教えが必要です。

ヴェーダの文化の中では生活慣習すべてが、この整った知識を得るために仕組まれている、と言われています。西洋文化から見たら理不尽なことも、そのためです。人生のゴールが西洋的な視点での「精神や肉体の欲求をいかに満たすことが出来るか」ではなく、「自分自身の本質を知り、限りのない事由と幸せを手に入れる」=モークシャなので、生活をしていくゴールと物事を決める判断の指標も必然的に変わってきます。

では、ヴェーダの文化で生活していなかったら整った知識を得ることは出来ないのでしょうか?

先にも述べましたが、カルマヨーガで整った知識を得ることが出来るのかが教えられているので、それを勉強して、日常生活に反映させればいいだけです。

その中の教えの中の1つににプージャー(Deva Yajña)があります。細かい所作が教えられているわけではないのですが、自分を「個」として見たとき、それが「全体」とどのようにつながっているのかを日々の生活の中で見れるようになるための教え、としてあります。

今ここでパソコンを見て、息をして、地球の上に居て、その地球が太陽との距離を保ちながらグルングルン回っていて、さっき食べたご飯もやっと消化し始めて、そろそろねむくなってきたな、なんて思うことが出来る、そのためには「個」としても自分だけで生きているのではなく「全体」あり、それとのつながりがあって今こうしていることが出来る。

その「全体」への感謝の気持ちと、これからもよろしくお願いします、という祈りがプージャーです。

「全体」に感謝、といっても何をしたら良いか分からないので、シヴァ神やガネーシャと言った分かりやすい形に手を合わせたり、お花を捧げたりします。勉強を進めるうちに、その「全体」がだんだんと分かってくるので、祭壇の前だけではなく、日常生活の中でも日々の行いで「全体」とつながり、感謝の意を表すことが出来るようになるでしょう。

この様にヴェーダーンタの勉強を進めるうちに「全体」=イーシュヴァラへの理解が深まっていきます。

スワミ ダヤーナンダ サラッスヴァティーの言葉で;

The appreciation of a creator as Isvara is not a belief; it is part of growing up.
イーシュヴァラ(=「全体」)を創造者として感謝の気持ちを持つことは単なる信じることではなく、成長をするための過程なのです。

そして、それをすると徳=プンニャを得ることが出来ます。

このプンニャがあれば、俗に言われるラッキーなことが起こります。ラッキー、とはright place on right time、いるべき場所にいるべき時にいることが出来る、という事です。人勢最大のラッキーは

聖典の全体像と一語一句がどのように全体を紐解いていくのかを伝統的にきちんと教わった先生

に出会う事です。

最終ゴールのモークシャに辿り着くことが出来る大事な要因なので。出会うだけでは知識を得ることが出来ないので、自分の成長に合わせた勉強をコツコツを続けていかなくてはいけません。

ヴェーダーンタの知識を得るために必要なもの②
整った知性

そのためには多大なプンニャが必要です。先生が教えてくれること、自分が先生の教えを聞ける状態である事、それには健康・家族や天候など周りの要因も関わってきます。それらが問題なくそろうにはプンニャが必要なのです。

逆にプンニャがないとその先生と出会うことが出来なかったり、出会うことが出来ても、諸々の事情で勉強を続けることが出来なくなってしまいます。

ヴェーダーンタの教えは最終的にはこれらのプンニャからも自由になるのですが、その過程には多大なプンニャが必要、という事をお忘れなく。そのためのプージャーです。

Swami Dayanada jiは知識を得るためにはIsvara all the way(イーシュヴァラの理解を最後の最後まで深めていかなくてはいけない。最終的には自分の本質であると知る)と常におっしゃっていました。なので、グルクラムにはお寺があり、スワミジも形のある神様を、私たちのために崇拝されていました。

Tat Tvam Asiを理解してもMithyaであるこの世界と体がなくなるわけではないので、それを司る形ある神様への感謝の気持ちと崇拝はなくならないので。

プージャーのやり方のクラスを10月15日のビジャヤダシャミーで開催するので、是非ご参加ください。

日々の生活がピカピカと神々しく、毎日がHoly Day(ホリデー)となる生き方が始まることを祈って。


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