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ロープのヘビ

はじめに
「間違い」という認識が何か、そして真実を知る事はどういう事なのかを説明するためにヴェーダーンタの教えに出てくる典型的な例がロープのヘビです。

よく出てくるので、「あ~、その話ね。知ってる、知ってる。」となった人に特に注意して読んでもらいたいです。知らない人は、これから勉強する時に注意して勉強していってもらいたいです。なお、この文章はヘビのロープと言う例を使っているので、比喩的な表現となっているので、ちょっと分かりにくいかも。詳しいヴェーダーンタの内容はクラスで勉強してもらえれば、と思います。

ロープのヘビ
日の出前や夕暮れ時に道を歩いていると道端にヘビがいて、キャっとなったとします(という事は今の時代に日本で生活していたら、経験はないと思いますが、想像してみてください。)そのヘビは実際はロープに投影された自分の想像上の虚像のヘビだとします。虚像だけど怖いです。キャっとなります。また、友達にどれだけ大きくて、どんな色をしていたのかも話すことができます。夢に出てきてうなされるかもしれません。単なる間違えなのに!

これが真っ暗でロープが見てていなかったら間違いも起こりません。また、ヘビを今まで見たことが無くても起こりません。間違いが起こるのは、間違いを起こすだけの明るさ=知識があって初めて起こります。

ヴェーダーンタは現実の中のこのヘビ(捉えられるもの全てを)取り除く教えだと思われがちですが、スワミジ ダヤーナンダジはムンダカ ウパニシャッドのクラスの中で
"We are not trying to remove the snake or understand the nature of snake"
[(ヴェーダーンタの教えは)ヘビを一生懸命追い払おうとしているのでも、ヘビがどんなものなのか突き止めようとしてるんじゃないんだよ]
と教えて下さいます。

そうなのです。ヴェーダーンタはそのヘビが虚像だからヘビを真実と思わないようにしようね、と言っているのではないのです。それだとヘビが居なくなったとしても、次は別のものが見えるかもしれません。また、ヘビが怖いからそのヘビがどんなヘビなのか、毒が有るのか無いのかを知ろうと突き詰める教えでもありません。それは根本的解決にならないので。

じゃあ何をしようとしているのでしょうか。

それがヘビではなくてロープであるということを知る。それが教えです。

世の中はヘビで忙しい
ヘビを追払うこととロープを知ることは同じ事のように見えるけど、全く違う次元の思考です。「ヘビ」に目を向けて追い払おうとするのは、私達に降りかかる不幸や幸いをどうにかしようとすることです。

お金を儲けるために商いをしたリ、ヨガで身体のコンディションを整えたり、アーユルヴェーダで体質を知ってお薬を飲んだり 、有名になる為にYouTubeに頑張って動画をあげたり、マインドフルネスでマインドを落ち着けたり、コロナのワクチンを打つのも同じかな(これは色々異議が出てきそうだけど、この例の上では同じ括り)。

世の人々はそれに沢山の時間とお金、労力を費やし大忙しです。そして、それは悪い事ではなく、この世に身をおくものであれば対処しなくてはいけない事です。でも、それでは「ヘビ」はいなくならない=問題は形を変えて次から次えと現れるだけ。根本的な問題解決になっていないのです。

大抵の人はその「ヘビ」をどうにかしようと忙しく、そして、その根本的解決方法がある事すら知らずにヘビを退治しようとします。

ヴェーダーンタを勉強していても、この「ヘビ」退治の方法を知っているにも関わらず、「ヘビ」に気を取られ、「ヘビ」が何色でどれ位の大きさで、どうやったらこの「ヘビ」が襲ってこないのか、に没頭してしまう場合があります。真実を知れば「ヘビ」は怖くない、という事は分かっているけど、まだ真実が分かっていないので、やっぱりこのヘビ怖いわ、どうにかしたい、とヘビに目がいくと、ロープを知ることに重要さと尊さが見えなくなってしまうようです。

「ヘビの谷」に沢山の人が落ちてしまっている気がします。

この「ヘビの谷」にハマってしまうとヘビのアーだコーだにこだわって時間や労力を費やし、ロープを知る事に時間と労力を使えなくなってしまうよう。ロープを知ればヘビは必然的に居なくなるのに。そして、「ヘビの谷」にはまったままだと、いくら神聖なウパニシャッドを勉強しても、ロープが見えてこない。

「ヘビ」に気付き、「ヘビの谷」に落ちない、または這い上がる方法もヴェーダーンタの中ではいろんな形で教えられています。と、この先を書きたかったのですが、ヘビとロープの話しだけになってしまいました。

次回は(いつになるかわかりませんが)この方法をまとめて書きたいと思います。

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