Surrender and Freedom by Swami Dayananda Sarasvati jiから

The appreciation of a creator as Isvara is not a belief; it is part of growing up.
イーシュヴァラを(この世界の)創造したものとして見ることは単なる信じることではなく、成長をするための過程なのです (P37)

ヴェーダは宗教なのですか?とよく質問を受けます。この時はっきりさせなくてはいけないのは、「あなたが云うその宗教とは何ですか」という点です。もしその宗教が、どこかの天国にいる神様を信じる事を指すのであれば、ヴェーダは宗教ではありません。ヴェーダの中ではIsvaraが何かを教えています。それは、人の成長の段階で変化していき、最終的には自分自身である、という教えです。これはただ単に信じているだけではたどり着けない結論で、その全貌と教える方法を知る先生によってガイドされ、自分自身で考察をして理解していかなくてはいけません。

その手法の過程に「Isvaraはこの世界を創造した者」という教えがあります。端的に信じなければいけないように見えますが、「Isvaraはこの世界を創造した者」という理解はその次のステップへの架け橋となるので、スワミジは"it is part of growing up"と言い表しています。

このIsvaraの理解はバガヴァッドギーターでもクラスでも常に教えられているカルマヨーガへとつながっていき、アンタッカラナシュッディ(マインドの浄化)となるからです。マインドの浄化=好き嫌いに振り回されて忙しいマインドではなく、世界を客観的に見れるマインド、にはまず最初にこのIsvaraの理解が必要です。嫌なことから逃げたり、アーサナヨガをして一時的に落ち着くマインドはきちんとアンタッカラナシュッディが出来て落ち着いているわけではないので、長続きはしないでしょう。カルマヨーガをスキップしてのアンタッカラナシュッディは不可能です。

そうです。ヴェーダ・ヴェーダーンタの教えはすべてが順序良く教えの手法となっていて、それを扱える先生のガイドのもとで学びそして成長をしていけば、最終ゴールのモークシャは決して難しいものではないと解き明かしてくれています。そして、すべての過程でIsvaraの理解が必要となります。

スワミジが常に"Isvara all the way"と教えてくれたそのステップをギーターやその他のクラスで、日本の文化にも馴染むように伝えていきたいと思います。

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