考察ハムレット

こんなに感覚で埋め尽くされた夢は初めて見た。ゆめの中で電話を切った直後に現実のアラームが鳴った。4:30。
「だよな」と言う感覚で目が覚めて、ゆっくり言語化してみたけれど、どれも比喩、代わりでしかなくて言葉は足踏みをする。
だけどその度に、私の中で、分かる。
周りの全てが言う、分かるよねって。
そうして「感覚」は再度、確かになって行く。
私の中だけで使える通貨の様な質量を持つ。

張り裂けんばかりに内側から広がっていく。
心が鼓膜を破らんとする
頭が静かになると、タイトル曲の様でそうでも無く軽快な一曲が、脳内に流れているのが聞こえる。

代わり、そう、言葉ってこういう時に使うんだなって別のところで思ったり。
使うのは人間くらいで、他の動物が共有出来る「感覚・テレパシー」的なところを、
忘れたのか無くしたのか薄れたのか恐れたのか、何か知らんそこを埋めたくて言葉を産んで発展させたのか。
感情を共有する動物を見て感動する人間を見て動物は「たりめーだろ、何を言ってんだか今更」と思っているかもしんない。
まぁ、とにかく

どんな夢を見たかって
羊水を共有している様な、しかし質量は感じること無く、空気のように軽い。
そこは夕日のようにオレンジでずっと暖かく、体の内側から温まり巡る。
体は膨大で抽象的な空間ではなく、今と変わらぬ物質的な世界にあって、
実質的な距離は関係なく、ただ、全てを共有している事を知っている。
紐と紐の端を持っている。
「気持ち」は今言語化すると、最も近い「名前」となる。

人に伝えられる気がするのは「分かる、知っている」という感覚。

(ん、今上に書いたのは全部まとめて、私なりの「共感」の言語化でもあるのか)

とにかく言えるのは、
そんなに頑張って人に伝えようとする必要は無いという事。

何故かって、それは人の数だけある物だと「夢」の中で重々分かったから。

それでもこうして書こうとするのは人間だから。朝の電車は眠ろうと思っていたのにさ


#朝早すぎだろ

タイトル曲の様でそうで無さそうと述べた一曲は、訳を読んでみると、
戸惑いから一旦停止する程メッセージのあるものでした。
インスピレーションは認識の先を行く

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