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情報は無料だと思うな。

結論から申す。
情報は無料ではない。何が言いたいのか。つまりは、人に対してうかつに話を聞くなということだ。以下で詳しく説明する。

 生活していると、よくこんな声をかけられる。「この~言葉の意味は?」一見すれば「~という意味です。」これだけで終わる話である。しかし、それをわざわざ人に聞くべきなのか。私は違うと考える。それぐらいスマホで調べるなり、国語辞典を持ってくるなりすることができる。わざわざ自分が知らないことを人に押し付けるようになっている現状は少し違っている。

 これは序の口だ。よく、「~について教えて」という質問を受ける。これが一番私をいらつかせる。何にいらつくのか。そもそも、「ついて」というのは案外高度な技術と知識が必要なものだ。
 例えば「アメリカについて教えて」という質問を受けた時、どこか方面から切り込むのか、それとも幅広く拾うか、それかもっと別の方面から攻めるのか。答え方は無限大だ。その中で、自分が相手に適していると考える情報を取捨選択し、相手に伝わるように伝える。簡単なようで、高度な技術を要するものであり、それを安易に相手に求めることは違うのではないか。
 そもそも、情報というのは今や検索エンジンやAIによって簡単に手に入れられるようになった。そのせいで、情報は無限に簡単に無料で手に入ると考えている人が多すぎる。本来は情報は本のように価格があり、価値があるはずだ。だからこそ、情報商材が成り立つし、noteで有料でも読もうとする人が出てくる。そして、その情報を見極めながら少しずつインプットしていき自身の知識が形成された中、相手に「~について教えて」と言われるのは自身の苦労や労力を相手は一切追わずに情報を得ることができるのである。これは、フェアであるとは言えない。

 他には、ノウハウを聞こうとしてくるもの。これも嫌いだ。ノウハウなんてまさに、経験の積み重ねであり自身が持っている情報でもトップを争うレベルで高価な情報であるはずだ。この情報を安易に聞こうとすることは、また相手が苦労せず情報を手に入れられることになってしまう。
 例えば、相手が作ったものに対してアドバイスをする程度であれば、どのように改善すれば良くなるか考える行為は、自身の技術向上にもつながるため歓迎されるが、ただノウハウを聞いてくる行為は、行ってしまえば相手のみが利益を得ることになり、教えた側は赤字だ。そのような行為が増えって言っていることは、非常に残念に思う。

 この問題は、決して私を取り巻くだけではないと考える。海賊版や違法コピーの問題も元をたどれば、情報は無料という考え方があるからこそ生まれているものなのではないか。この考え方自体を改め、情報や経験に価値を正しく見極めることができるようになれば、新しい市場にまで発展するだろう。私の怒りが収まる日が来ることを祈っている。

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