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東京アンブレラ基金に寄付しました。そして私のもやもやを聞いてくれ……

https://umbrellafund.tokyo/

(私のFacebookからの転載です)

以前もシェアした東京アンブレラ基金に些少ながら寄付しました。
ネットカフェは休業要請の対象となっており、
実際に感染リスクも高いと予想される場であるため、
仮に緊急事態宣言が取り下げられたとしても、早期の営業再開は難しい状況です。

「ネットカフェ難民」という言葉が人口に膾炙して久しいですが、
安定した住居を持てずネットカフェなどを泊まり歩く生活を余儀なくされている、
「ホームレス状態」の方は決して存在しなくなったわけではありません。
総数を把握することはほぼ不可能ですが、近々の推定では都内で4000人。
そのほとんどがネットカフェ休業に伴って住まいを失う危機に直面しました。
また、コロナ禍の影響で貧窮状態に陥る方の中には、
そのまま住まいを失う可能性の高い方も多く含まれることでしょう。

感染症は人を差別しないと言うのは、半分当たりで半分は外れ。
確かに同じ条件下においてウィルスは人を区別しないでしょうが、
感染リスクを背負って働く方々のかなりの割合が非正規雇用など充分な待遇を得られていない方々です。
アメリカでは、待遇など差別されているマイノリティの死者が、
リモート可能で広い家に住むことが出来る人たちのそれよりはるかに多いと言われています。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200508-05070383-sph-soci

某ナショナルチェーン書店の旗艦店が営業を再開したところ、
お客様が殺到して「三密」状態になってしまったという話を見聞しましたが、
その前線でお客様対応をしている書店員さんのかなりの割合が、
かつての私のような不安定雇用の人だと思います。

このところのコロナ禍に関するあれこれを見てると、誰でも簡単に共感できる「やわらかい善意」と「そうではない善意」があるな、と思うことが多いです。
なぜか、この日本において貧窮状態の人を救いたいという善意は「そうではない善意」とされます。
いつもの自嘲モードで言っちゃうけど、みなさんの交流の場でこういうこと書き込むやつってウザいしイタいでしょ?(何度かそういうご指摘はいただいてるのである)

やわらかい善意にはもちろんものすごく価値があって、
その善意で救済される人やお店があるのであればそれはとても素晴らしいことです。
でも、「誰かを経済的に支えたい」「困っている方を手助けしたい」という気持は同じなのに、
対象者が外国籍だったり経済的に弱い立場だったり、障碍者だったり、DV被害者や性犯罪の被害者だったりすると、それはウザくてイタくてうっとうしいと見なされます。
何かの拍子にくそリプ食らったり、直接の友人から遠巻きにされる覚悟を持たないと、
言えない何かがいまの社会にはある。

正直、それには納得できないです。
むちゃくちゃもやってます!
でももやってるだけではどうにもならんので、
とりあえず外出自粛で浮いた分の極々一部を寄付しました。
給付金に関しても、
入金のめどが立った時点でその一部を何らかの社会運動に寄付するつもりでいます。
もちろん、それは極々一部であり、生活費にまわしてちょっといい肉を食べるとか、
お世話になっていたお店で何か買うとか、まあ自分のために使う割合の方がずっと多いです。

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