普通の書店員だった私の話

大好きな文教堂浜松町店(元ブックストア談)が閉店とのことて嘆きのツイートをしたところ、

その20倍ぐらいの熱量でリプライをいただきました。

私の言いたいことはほぼ関口さんに言ってもらってはいるのですが、これらを読んで思った事を書きます。最初はTwitterで表明するつもりでしたが、あれよあれよいう間に長くなってしまいました。

この社会における「普通の書店員」がどんな存在であるか考えるうえで、多少なりとも参考になれば。

なお、私の前前職がどちらであるかをご存じの方が多いかと思います。前提としてひとつ申し上げたいのは、私がいた会社固有の問題でこういった待遇なのではなく、業界全体がこういった労働環境を前提に回していかざるを得ないこと、私自身の待遇は当時の非正規雇用の書店員としては恐らく恵まれている方であることです。

以下本文です。長いので息継ぎしながらお読みいただければ。

 自分より20歳くらい上の書店員さんと話した時にいつも意外に思うのですが、書店員の仕事で家族を食べさせて、お子さんを育て上げ、大学まで行かせてる方が結構いらっしゃいます。
 で、大学出たお子さんはもっと真っ当な職を見つけるから個人経営の町の本屋さんって閉店しまくってるんだけど(笑)

 これは、私から見ても、私と同世代だったりそれより下の書店員さんから見ても「隔世の感」を抱かざるを得ない事実です。
 もちろん、それくらい稼いでいる方もゼロじゃないです。大きな書店の役員クラスなら、あるいは一部の出世した正社員ならもしかしたらそれぐらいの収入はあるのかも。あるいは、筆がたつので文筆業ができるとか、コンサルティング能力のある一部書店員。

 しかし、みなさんが直接目にしている書店員の待遇は、キツイ言い方ですが『劣悪』です。

 まず、正社員として採用される事がほとんどありませんし、時給はほぼ最低賃金、昇給の可能性は低く、社員登用の道はほとんど無い。あっても基準は明確ではなく先の見通しは立たない。交通費が出ない事もざらにあります。
 私は前前職で4.5年前働いた後に契約社員に登用してもらう事が出来て(時給は相変わらず1000円いってなかったけど)厚生年金に加入していました。そして、そのおかげで病を得て退職したあともなんとか生き延びられた。そういう部分も含めて、たまたま働いていた店が大手だった私はおそらく一般的な書店員よりかなりよい待遇であったのだと思います。

 よく本屋の店員が何も知らなくて腹立たしいみたいな事を言われますし、学生バイトに接客させるのは客を舐めている(自分は何度も来てるんだから正規の書店員に対応してもらうのが当たり前だと思ってる方はそれなりにいる)とクレームが付くこともあるんだけど、この待遇で働いている人間が、この待遇で入って来た新人さんを充分に育て上げて本のことならなんでも出来るカリスマ店員に成長させる事が出来るのか?と考えたら否でしょう。
 しかも、書店の営業時間はどんどん伸びており、アルバイト含めて店員の数はどんどん削られています。時間帯によっては、まだ仕事を覚えていない店員だけで回す場合もあるし、究極の場合はワンオペです。

 当然だけど、入って来てくれた方は辞めます、どんどん辞めていく。採用側も教育する先輩店員も、ある程度淘汰されることを前提に動くしかない。

 おそらく、これは書店の現場だけの問題ではありません。この国の労働現場のほとんどが抱えている宿痾です。

 現場で働く人間にまったく利益が配分されていない。その一方で仕事内容はどんどん過酷になり、労働時間は伸び続ける。適応出来ずに辞める人間が続出したとしても、ある程度は「淘汰」されるものだと考えて現場をまわすしかない。

 「淘汰」なんて簡単に言いますが、淘汰された人間の一人として言いたいのは、淘汰された人間は煙のように消え去る訳ではなく、その後も生き続ける必要があると言う事です。

 社会的ひきこもりの方々のうちまったく就業経験のない方は27%、契約社員や派遣社員などの非正規雇用を経験している方は35.1%です。一般的なイメージと異なり、ひきこもり状態の人たちにも働いた経験があるかたは一定数存在する。
 しかし、正社員の割合(27%)より非正規雇用の割合が高いことにみてとれる通り、彼らに開かれている仕事のほとんどは現場の職員が「淘汰」される事を前提に成り立ってしまっている。過酷すぎてついて行けない人間が出ても、それは仕方ないと言う論理でなんとか回している現場なのです。そういった現場での就業経験が躓きの石となってひきこもりに陥った方もいるでしょうし、長い時間のひきこもり状態からようやく就業した先で「淘汰」を経験した方も多いと思います。

 私は、それが国益にかなうかどうかで価値判断をする事は好みませんが、敢えて言います。

 このまま、労働者を使い捨てる事を続けて、かなりの数(社会的ひきこもり当事者の数は推計61万人)の人間が社会に居場所を失い、そこから復帰出来た人達ももう一度「淘汰」されかねない、そんな国がいつまでも豊かで美しい国であり続ける事ができると、本当に思いますか?
 正社員が雇えないから非正規雇用で賄う、日本人を雇うのが容易ではないから海外から来た方に置き換えてさらに劣悪な環境で働かせる。そうやって末端末端を切り捨て続けるやり方を続ければ、いずれ切り捨てられるのはあなた自身だとは思いませんか?


 いまは「書店員ブーム」なのだと思います。書店の仕事への理解やリスペクトは、私の現役時代よりも明らかに高まっているように見える。

 しかし、個人的に気になるのは、そこでスポットライトを当てられるのが一部のものすごく能力の高い人達だけになりがちな事です。地理的にも首都圏か関西地方の都市部で働く人達にかたよっていますし、ある種の「提案」を打ち出して本を売る能力がある方、本の作り手やマスコミ関係者と直接語り合える立場の人達ばかりが繰り返し取り上げられる傾向は否めません。

 そういった方々は確かに目の覚めるような仕事ぶりを見せてくれますし、そういった方々から学ぶべきものも多いでしょう。

 だけど私がいつも思ってしまうのは、書店員というお仕事をカリスマクラスの人しか生き残れない仕事にしてしまっていいのかな?という事です。(さらにいうとそれくらいの能力がある方でもダブルワーク、トリプルワークでなんとか生活していけるかどうか、という場合も多いんですがそれはひとまず置きます)

 本来書店員って、真面目に実直にお客様の注文にできる限り応えていれば、それなりには生計がたつものだったはず。その仕事を続けたいと思う限り結婚も子供も諦めるとか、そんな覚悟を抱かなければ続けられない様なものではなかったはずなのです。

 関口さんの一連のツイートを読んで、私は昔の自分自身を、淘汰されて辞めていった人達を、結婚やお子さんの誕生を機に職場を去っていった人達を思いました。

 私たちはずっと本屋であり続ける選択はしなかったし、本屋であり続けるために自力で小屋を建ててのける根性も持っていなかった。(なんのこっちゃ?って方は本屋lighthouseでググッとなをお願いします)

 でも、考えていただきたいのは、みんな他の仕事より待遇が悪い事は承知の上でわざわざ書店を選ぶ程度には、本屋を愛していたって事です。私に限れば、未だに未練たらたらですし(笑)


 私に言えることでは無いかもしれないし、それが出来ない事情もよく分かります。でも、最後に言わせてください。

いま、この仕事を愛してくれる人が、この仕事を目指してくれる人がいる。だから遅くは無いです。

 「普通の書店員が普通の生活が出来る」業界にするために、何が出来るかを考えてくれませんか?

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