センスの悪い扇子

学校から帰宅した娘がおずおずと「怒らないでね」と言って差し出したのは、日の丸がプリントされた扇子だった。
入学式のとき、日の丸に礼をしないこと、君が代で起立しない理由を話していたので、それを見たら私がきっと不機嫌になることがわかっていたのだ。
小学校が創立50周年を迎え、その記念品に全校生徒に配られたらしい。
娘の気を使ってる様子が不憫になって、奥の方に仕舞い込んでしばらく放置していた。

気づくと「しんどい」「ママがしんだらどうする?」など口にするようになっていた。
鬱になって、ようやく自分がショックだったんだということに気づいた。
仕舞い込んでいた扇子を取り出し、これってひどいと思わない?と写真付きでSNSに投稿した。
同調してくれるメッセージをいくつか受け取って、やっぱりひどいことをされたんだとようやくじわじわ自覚し始めた。

この感覚って何かに似てるなあと思った。
ちょうど木下優樹菜さんがyoutubeチャンネルで、誹謗中傷について語ってる番組がアップされた。
「きえろ」「しね」など1つ1つのコメントは、「ばっかじゃねえの」と思ってスルーできる、でも、それが何千何万となったとき、普段の生活でふっと元気がなくなった時に、その言葉がスッと入ってきて、「あ、きえたほうがいいのかな」と思ってしまう、と。
送ってくるひとりひとりは気晴らしくらいの軽い気持ちでやってるだろうけど、それが何千何万と集まった時、本当にそれで命を絶ってしまう人がいるということを、普段のトーンとはまったく違う真面目さで語っていた。
これだ、と思った。

私は、自分の生まれた家庭や在日のコミュニティーの中で、日の丸や君が代の下、凄まじい暴力があったこと、その暴力への恐怖はいまだ終わっていないことを幼い頃から聞かされて育った。
それが、学校へ行くと行事の度に日の丸も君が代が強要されるし、周りを見渡しても違和感を持っているようには思えない。
一方で、私が聞こえるところでも、朝鮮や韓国の悪口を言う声は平気で聞こえてくる。
学校でのいじめや教師からの差別、長じてからの入居差別や就職差別、結婚差別など、満身創痍で日本社会で生きていく中、日の丸や君が代は現代の私にとっても暴力のシンボルとして脳と心に刻み込まれて然る状況だったのだと思う。

娘の通う小学校の地域には国立大学があるので、外国人やダブルの子どもたちがかなりたくさん通っている。
なのでこの辺りでは、ヒジャブを着けたお母さんが子どもを自転車に乗っけて買い物に出かけている姿や、綺麗にコーンローに編まれたヘアスタイルの学生がおしゃべりしながら歩いているという光景が当たり前のようにある。
公民館では色々なルーツを持つ親子が集まって、それぞれの国の料理を作って食べるイベントなどもある。
そんな町の姿を知っていたので、ここでなら安心して子どもの小学校生活を送れるんじゃないかと期待して、入学前に他の学区から引っ越してきたのだった。

その期待が、扇子ひとつで破られてしまった。


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