悲しみは半分にならないだろ

この前の記事で引き合いに出したチャンネルのMBTI動画、どれも日本人でも楽しめて好き。

これ↓の中ででてきたこのやりとりなんて、TとFの1番の違いでは?と唸ってしまった。

(動画の33秒あたりからのやりとり)
出題者「悲しみを分けたらどうなる?」
F回答「半分になる」
T回答「悲しい人が2人になるでしょ」

私は予想通りTの考え方。愚痴も悪口も弱音も、「吐いたら楽になる」という考えが無い。もちろん、「共感してもらって楽になる」という考えもない。愚痴を言うことは「私は愚痴を言う人間である」ということの表明以外に意味が無く、愚痴を言った先に、問題解決は無い。
例外は仕事。業務の愚痴を愚痴として聞き逃さずにいることで、ボトムアップで改善できることもたくさんある。ただ、恋愛や人間関係の愚痴ってまぁ間違いなく「場が淀むだけ」じゃない?Tだからそう思うだけ?

悲しみもそう。悲しいことを共有したら、悲しい人間が二人になるだけだ。アドバイスがもらえるならともかく、共感されるだけの時間に意味を感じられないし、悲しい人は自分だけで良いと思ってしまう。

弱音に至っては私の天の声(Teさん)が「弱音なんて言ってる暇があったら働け!動け!」と制御してくるので、現実世界で弱音を吐くことはほぼほぼしない。パフォーマンスとしては職場の年上ズたちに言うことが無くもないが、半年〜1年に1回くらいかも。

思うに、Tは「悲しみ」を「事象・問題(解決できるもの)」として捉えている。悲しみを起こしている根本原因を潰すか、既に起こってしまったことなのであれば次は起こさないようにするか。だからやるべきは解明と対策であって、共感ではないのだ。

一方でFは、「悲しみ」を「感情・病理(解決できないもの)」として捉えている。相手に共感することで、「ひとりで戦わなくて良いんだよ」と伝えてあげる。解決できないことでも、1人だけで背負っていた病理を2人で背負えば、1人あたりの負担は半分になるでしょうという理論。

この溝はかなり深い。そもそもの現実の受け止め方が異なりすぎている。こう見ると、意外にもFの方が現実社会に対して悲観的なんだね。Fは問題解決を諦めてしまっている。Tは理屈が通れば世界の問題は解決すると思っている。

T=冷たい じゃないということが、伝わりましたでしょうか。
INTJからすると、根本の問題を解決する気もないまま共感だけしている方がよっぽど「冷めている」。

ばいばい。

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